玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

そもそも

2013-02-26 23:52:11 | 政治

「そもそも・・・」と、この言葉を使っただけで、最近の若い人などはエーッと白けるような時代遅れの野暮ったい言葉になってしまった。 それをあえてここで使わしてもらう。

そもそも地方自治体が尖閣諸島の土地を買うことの是非は政府やマスコミでちゃんと議論されたのだろうか?そもそも東京都の自治に何の関わりのない太平洋上の国境の島を買うこと、それは憲法で定められた地方自治の本旨に則った行為なのだろうか。東京都民の休暇村でも造るつもりなのか。あの時に誰もその事を議論しなかった。

そもそも中国は日中国交正常化以来、日本からの経済支援を揉み手をしながら謝々と受け取って、ともかくじっと国の力がつくのを待っていた。その間虎視眈々と爪を研いて、何か爆発するきっかけを待っていたのではないか?そうだとすれば、まさに飛んで火に入る夏の虫だ。この間の悪さは老王のこれまでの周到な政治センスとはかけ離れている。これが老いの傲慢さなのか、どこか滑稽さすら感じさせる。

東の老王は、事あれば「支那と言ってどこが悪い!」と開き直る。彼は81歳だというと、多分1932年生まれであろう。十五年戦争の入り口である満州事変の翌年に生まれている。いわゆる戦時中の真っ只中に育っている。10歳の少年の頃の1942年には、ミッドウェイ海戦、ガダルカナル島の敗退と太平洋戦争は曲がり角に来ていて、翌年は山本五十六の撃墜死、アッツ島玉砕と既に日本の敗色は濃くなっていた。もっとも、当時の大人ですら大本営発表の嘘っぱち報道でしか戦況を知り得なかったのだから、10歳の少年が戦争の実態をどれだけ知っていたかは疑問であるが、早熟そうな彼にとっては、あの戦争への子供なりの捉え方がきっと明確に在った筈である。そう思うと、今の彼の言動や行動に一種の気味の悪さが付きまとう。ひょっとすると、彼は日本人の大多数が愛した好男子の弟の顔とはまるで違う心の顔を持っているのだろうか。

そもそも尖閣の問題はもっと慎重に、あらゆる衆知を動員して、議論をつくして十分に検討をして行うべき難しい問題であったと思う。あの時、米国に行ってマッチをすってくるような不良老人の剣幕に慌てて対応してはならなかったのである。今更にして民主党の政策決定者は後悔をしているだろう。

「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と憲法の前文にある。老王にはピラミッドではなく、権力を与えたことは迂闊であった。彼には、この前文を玩味して欲しいものである。まあ、所詮無理であろうが。

○近頃一日のちょっとずつが春に変っていく。そんな感じ。

去年の千鳥ヶ淵の桜です。

千鳥ヶ淵には戦没者墓苑がある。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨ふって、ぬかるみ

2013-02-19 16:42:08 | 近現代史

昨日、中国からの留学生と話す機会があった。「この状態、長びきますか?」「長くなるだろうね」「どうして?」と聞かれた。「片方は受けた暴力をしっかりと子孫に伝えているのに、暴力を振るった方はその行為をはっきりと子孫に伝えていない。その子孫同士が、今となって向き合って、片方はだいぶ力をつけたので昔の屈辱を晴らそうとしている。もう一方はその怒りや屈辱が一向に理解できない。何で今更、というぐらいの言葉しか出てこない。そんな関係だから、今後どう向き合って行ったらいいのか、全くのお手上げの状態だね」と答えた。その場だけの耳ざわりのよい返答はしたくなかったのだ。「せっかく日本語ができるようになったのに、残念だね」といって別れた。

今日はあいにくの雨だが、最近の隣国との関係は、雨降って地固まるとは思えない。日本は子孫に大きな負担を残したようだ。今からでもやれることは、国として歴史教育、とくに近現代史の捉え方を明確にすることだと思う。

日本の戦争責任は、法的には東京裁判とサンフランシスコ条約で決着をしている。賠償は最大の被害国である中国には払わなかったが、中国側が要らないといってきたのを日本側が受け入れたということになっている。こうした理解は今の両国に果たして通用するのだろうか。また、直接の被害者・加害者がいなくなって、世代の問題がある。遺産相続のように、戦争責任も次の世代に継承されるものなのか、今我々が直面している最大の課題である。(秦郁彦『昭和史の論点』文芸春秋社)

ドイツは戦争責任を一般国民とナチを分離して整理をした。悪いのはナチで、ドイツ国民はむしろ被害者だとした。日本の場合だと、悪いのは“ただ軍部である”というように、言えるのだろうか。そこを整理しないで、戦後の日本は経済にのみまっしぐらに進んできた。そのツケが今此処に来ているのだと思う。辛く悩ましい問題だが、今度は避けてはいけないと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔物が通る

2013-02-17 13:48:30 | 雑感

スーパーの衣料品コーナーで近所の中学校の制服が売り出された。春は近いようだ。

公園の横を歩いていると、高校生らしき女の子が追いぬいていく。スリップオン、超ミニスカートの制服、学校バックにはぬいぐるみ人形がジャラジャラぶら下がっている。髪はもう赤く染めている。この娘はさっきのスーパーのやぼったい制服から何年経ったのだろうか。

新聞紙上では、この娘たちの存在によって、一生を台無しにする男たちが何人もいる。もうりっぱな魔物だ。彼女らのほんの一握りは、いずれほんとうの魔女になるだろう。

しかし、私が行く高校のクラス会は、神通力の消えた魔法使いのおばあさんばかりだ。これに較べて、男たちは白髪頭か、禿ばかり、枯れた流木か盆栽のようだ。どちらにせよ、人間の寿命は短い。

魔物たちよ、スカート丈を少しだけ長くして、せいいっぱい生きてくれ。

今年の桜は何処に行こうか?

新松田の早さくら

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

革新・改革というもの

2013-02-13 22:39:44 | 雑感

西の王様はリカバリーが上手い。桜宮高校問題の対応に日本代表の元バレー監督を招聘することなど、そんな格好の良い事を当初から考えてはいないだろう。たぶん王様は権力的な入試中止の暗いイメージを薄めたいのだろう。また、マスコミが跳び付くような餌を投げて、少し色あせたニュースを生き返らせ、自分の姿がまたテレビに映るのをねらっている。でも、それによって、いくらの金がかかるのだろう。監督は非常勤だから、無償のボランティアなら、まあよしとしたいが、実際はどうだか判らない。

革新・改革という名のもとに、その場だけの世間の目を引く行為を行って、その費用は全部公費で賄われるというのが、これまでの革新的な首長たちが行ってきたことであった。革新・改革という言葉で公然と無駄な出費が行われる。どうも日本人は革新・改革という言葉に弱いようだ。今までも、この言葉で、どれだけ革新的な政策や形だけの組織改革が生まれたのだろう。王様たちは簡単に言うけれど、すべて費用もかかるし、労力もかかるのだが。実際どれだけの成果があったのか、マスコミは何も言わない。吉本芸人の瞬間芸のように、マスコミの目を引くだけの御座興でなかったことを願う。

 梅がちらほら咲いてきた。春はそろそろやって来る。しかし東アジア情勢は嵐の前の静けさだ。こういう時は、西の王様のタレント活動も自粛して欲しいものだ。

〇 B級グレメ・シリーズ~昔ながらのラーメン

  鶴見 満州園のラーメン。

実は鶴見では餃子の方が昔からの名物だ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブツブツ

2013-02-07 23:28:50 | 歴史

高知の駅には大きな坂本竜馬の像がある。だが我々の知っている竜馬は司馬遼太郎の竜馬であろう。徳川家康は山岡荘八の家康であり、宮本武蔵は吉川英治の武蔵であろう。たぶん歴史は後代の者が創るものなのだろう。

人間の記憶などあてにならないものである。時間が経てば、自分のいいように記憶を書き換えてしまうものだ。歴史は古いものほど解からない。しかし、日本の歴史教育は古いものから始める。邪馬台国が何処にあるのか解からないのに、その辺りから始まる。まだ記録が残されている近代から、近世、中世、古代へと遡って歴史を見たほうが良いのではないか。

かつて日本は遅れてきた帝国主義国家であって、時の軍部の専断で東アジアの多くの国に迷惑をかけた。最近の中国を見てみると、これも遅れて来た膨張主義国家であるような、時代遅れの共産党か人民軍か、どちらが先導しているか判らないが。

両者の共通した欠点は、国を動かす指導者たちが如何せん経験不足を自覚せず、野望と自尊心だけが先走りしているようだ。日本が冷静であるためにも、日本人は自らの恥かしい過去を振り返る勇気が求められている。今日の私は少し真面目過ぎたようだが、・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする