「そもそも・・・」と、この言葉を使っただけで、最近の若い人などはエーッと白けるような時代遅れの野暮ったい言葉になってしまった。 それをあえてここで使わしてもらう。
そもそも地方自治体が尖閣諸島の土地を買うことの是非は政府やマスコミでちゃんと議論されたのだろうか?そもそも東京都の自治に何の関わりのない太平洋上の国境の島を買うこと、それは憲法で定められた地方自治の本旨に則った行為なのだろうか。東京都民の休暇村でも造るつもりなのか。あの時に誰もその事を議論しなかった。
そもそも中国は日中国交正常化以来、日本からの経済支援を揉み手をしながら謝々と受け取って、ともかくじっと国の力がつくのを待っていた。その間虎視眈々と爪を研いて、何か爆発するきっかけを待っていたのではないか?そうだとすれば、まさに飛んで火に入る夏の虫だ。この間の悪さは老王のこれまでの周到な政治センスとはかけ離れている。これが老いの傲慢さなのか、どこか滑稽さすら感じさせる。
東の老王は、事あれば「支那と言ってどこが悪い!」と開き直る。彼は81歳だというと、多分1932年生まれであろう。十五年戦争の入り口である満州事変の翌年に生まれている。いわゆる戦時中の真っ只中に育っている。10歳の少年の頃の1942年には、ミッドウェイ海戦、ガダルカナル島の敗退と太平洋戦争は曲がり角に来ていて、翌年は山本五十六の撃墜死、アッツ島玉砕と既に日本の敗色は濃くなっていた。もっとも、当時の大人ですら大本営発表の嘘っぱち報道でしか戦況を知り得なかったのだから、10歳の少年が戦争の実態をどれだけ知っていたかは疑問であるが、早熟そうな彼にとっては、あの戦争への子供なりの捉え方がきっと明確に在った筈である。そう思うと、今の彼の言動や行動に一種の気味の悪さが付きまとう。ひょっとすると、彼は日本人の大多数が愛した好男子の弟の顔とはまるで違う心の顔を持っているのだろうか。
そもそも尖閣の問題はもっと慎重に、あらゆる衆知を動員して、議論をつくして十分に検討をして行うべき難しい問題であったと思う。あの時、米国に行ってマッチをすってくるような不良老人の剣幕に慌てて対応してはならなかったのである。今更にして民主党の政策決定者は後悔をしているだろう。
「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と憲法の前文にある。老王にはピラミッドではなく、権力を与えたことは迂闊であった。彼には、この前文を玩味して欲しいものである。まあ、所詮無理であろうが。
○近頃一日のちょっとずつが春に変っていく。そんな感じ。