10月、未曽有の台風行列が去った。大島の災害は町長の資質に問題があったのかもしれないと片付ければ個人の問題だが、実は制度にも問題があったのかもしれない。むろん、今年一番の強い台風が来ると言うことは誰もが解る状況にあって、副町長は出張、その中でも敢えて自分も出張したという、自治体の長として考えられない判断行為が残った。また、そうした判断しかできない人間が、選挙に当選しただけで、地方自治体の首長、つまり最高責任者になってしまう危うさを改めて感じた。
他にも、危うい首長はたくさんいるようだ。大阪の首長である橋下氏の判断も、何か舞い上がってしまい、まるで地に足が付いていない。ただ、選挙によって住民から期限付きで行政を託されたというだけなのに、何でも自分の思い通りになる王様になったように錯覚しているようだ。
かつて、田中康夫が長野県知事になった時は、金魚鉢のようなガラス張りの知事室を造り、行政の透明性を演出したが、そんなことで行政の透明性は担保できる筈もなく、単なる子供騙しにすぎないのだが、何故かマスコミは真面目に報道していたのには恐れ入った。また、彼は小説家で夜に仕事をするのが好きなようで、夜中の2時でも、3時でも平気で職員を呼び出していたそうだ。これは、なんか権力に酔っているように思える。
今度の大島の問題だが、町長がどうしても島を離れる必要性があったとして、災害に関するすべての権限を留守番役の教育長に明確に委任をしていれば、まだ、責任者としての自覚が感じられるが、どうもそうではないようだ。組織運営の基本知識のない人間が選挙だけで簡単に行政の首長になってしまうのだ。
地方自治制度の問題として、果たして首長は大統領制でいいのだろうか?もう一つの市民の代表である筈の議会が、首長の王様のようなわがままな行動や基本的組織管理能力の欠如を修正できないのが現実である。最近は、そうした無力な議会の存在意義も問われている。存在意義に疑問符が付く両権力主体が勝手気ままに行政を進めるならば、第二、第三の夕張市もまた生まれるだろうし、まさに痴呆自治となってしまうだろう。