玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

小さく報道する自由

2018-10-31 15:23:31 | 時事

この圀は二つの法体系によって成り立っているという。一つは日本国憲法。もう一つは日米安保条約であろう。近年、安保条約の『地位協定』を変えずして、憲法を変えたいという首相がいる。さらにまた、より以上に、アメリカの従順で強力な助っ人(属国)になる御つもりなのか。お爺様はそう考えていなかったはずだ。

ABE氏の意図する方向が見えない。平野貞夫は先日「ネット」(『永田町フ~ゥン録』)で「安倍は9条改憲なんかどうでもいいんだよ。オリンピックのテロの危険性に引っかけて、緊急事態条項を造りたいだけだ」と言っていた。確かに安保法制で実質上は、現憲法下でも集団自衛権行使は可能になった。

それでは、緊急事態条項を造れば、それは当然に首相の権限になるのだろう。まさか四期目も首相を勤め、ヒットラーにでもなる御つもりか。まさか?21世紀の独裁者でもあるまいに?

そう云えば、『明治150周年記念式典』1023日)に平成天皇が出られなかったそうだ。公式的には「お声がかからなかった」と宮内省は答えたが、天皇に嫌われたのか、それとも別の意図や思惑があったのか。本来大問題になるはずなのだが、メディアは小さく報道する自由権を行使している。

今日の日経新聞では、『米中の冷戦をどう生きるか』(1031)の締めの段に、「米国との安全保障条約を吉田首相が決断したおかげで、日本は米ソ冷戦に耐えられた」とある。吉田茂の英断と言うなら、コソコソ隠れるようにして、一人で陸軍司令部の下士官クラブで調印するのか?

また、安保条約に調印していたから、日本はソ連に占領されなかった、とでも言いたいのか。こんな浅薄な意見を堂々と紙面を飾る新聞、・・・もうだめだろうなあ、・・・。まさに紙幅のムダだな。

Rock, paper scissors 2

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あなたも虎の尾を踏むのか?

2018-10-27 18:40:40 | 時事

日米の外交では、アメリカの虎の尾を踏んだ首相は失脚するという定説がある。

敗戦後、この国は常に対米追随と自主路線の選択の狭間で、政権がドラマチックに変転するのをくりかえしている。

田中角栄は独自の資源外交を中国に求めたということで米国の怒りを買い、ロッキード事件でもみくちゃにされて首相の座から転がり落ちた、と巷間で噂されている。

最近では、鳩山由紀夫が「最低でも県外」と米軍基地問題に自主路線を標榜したが、政権は僅か一年も持たなかった。

先日の『日中会談』は、最近のTAGとかFTAで行き詰まりそうな日米貿易交渉に備えて、同じ悩みを抱える中国に一応近づいた第一歩なのかな。

今回の外交政策は、この国の自主外交路線への入り口となるかもしれない。もしそうなるのならば、長期安倍政権の実力として正当に評価をしたいものだが、まさかトランプ様のスパイではないだろうなあ・・・?

タイで見つけた秤屋

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隠蔽新聞

2018-10-24 22:31:37 | 時事

隠蔽というのは政治権力者の特権なのであろうか。世界広しとその隅々まで、権力者を自認した者たちの日常行動でもあるように多発している。 

当然、隠蔽工作はメディアの圧迫や誘導によって成就するのだが、今サウジで、少し前はロシアで、そして、この圀の森友・加計でも行われている。 

この圀では、忖度行動というのもあるらしい。過度の同調行動でもある。先日、日刊ゲンダイのネット版で平野貞夫らが行った安倍首相への告発が報じられていた。 

それは、総裁選告示日に…安倍首相が内乱予備罪で刑事告発される」(201898の見出しだった。 

文末は「熱っぽく訴える平野氏らを冷ややかな目で見ていたのが記者クラブのメンメン。会見場は空席が目立ち、途中で離席する記者もチラホラ。質問は幹事社からの1問だけで、それも〈ムリ筋の告発なんじゃね?〉みたいな内容だったから、ハナから理解しようとする気はないようだ。」と締められていた。

こういった切り口でも、ゲンダイはまだ掲載した。他紙はここに書かれたように無視したのだろう。相撲協会の話題には飛び付くくせに、この白けた行動!…。背筋が寒くなるような記者たちの様子が伝わってきた。 

メディアが無視すれば、あったことが無くなってしまうのである。それが、今の自民党=ABE政治の情報操作である。一方、野党はやっと当選した議員身分を楽しむことに余念がない、これじゃどうしようもないか!

タイの宝くじ

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どうも武勇伝ではない…

2018-10-19 13:21:12 | 近現代史

1951年9月8日、サンフランシスコ講和会議の調印を終えた夕方に、吉田首相は単独で、アメリカ陸軍第6軍司令部の中で、アチソン国務長官・ダレス国務省顧問とともに日米安全保障条約に調印した。吉田は調印にあたって、「この条約は将来問題になる恐れもある、それゆえ調印は私一人で行う。・・・」と云ったそうな。【保坂正康『昭和史入門』文芸春秋】 

たった一人で、且つ汚れ仕事の責任は一人で背負う、何と度量の広い政治家かと思った。まるで武勇伝のようにも思ったが、「単独で…」ということに何か割り切れないものをずっと感じていた。 

最近この事実が詳しくわかってきた。実際に調印した場所は、米国陸軍第6軍司令部の「下士官クラブ」だった。吉田首相の調印相手は2人でなく、アチソン国務長官・ダレス国務省顧問・ワイリー上院議員・ブリッジス上院議員の4人だった。【孫崎享『戦後史の正体』創元社】 

変哲のない「下士官クラブ」で、しかも4人を相手にこちらは一人。何か変ではないか。その後の安保条約の重さから考えても、吉田茂は単独で行く理由はあったのだろうか。敗戦国として、理不尽な内容の条約を調印するみじめな姿を同胞にも見せたくなかったのか?彼はそんなに見栄っぱりだったのか? 

日本の防衛の運命を決すべき重要な条約の調印を、きわめて不自然な秘密裏の内に行われていたという事実が、政治として、掛け値のない断面であろう。もとより裏切りを内在した条約であり、その旧安保条約には具体な駐留条項がなかったという。 

すべて政府間の「行政協定」、つまり今で云う「地位協定」の中に米軍駐留の本質があるそうだ。ということは、行政協定ならば、国会の審議も批准も要しない、国民が公に知り得ない二国間の単なる約束なのである。しかも、一方は世界一の巨大国家であり、他方は追従しか手段を持たない気弱な圀だという。 

これじゃ、話にならん。吉田茂は、どういうつもりで、たった一人で調印に臨んだのだろうか。何か、別に秘密裡に調印する必要があったのか! 

今となっては、どんな状態で調印させられたのかの証人すら居ないではないか。そもそも、占領国アメリカと堂々と渡り合ったというあの豪快な政治家吉田茂の印象・評価は根底から誤っていたのだろうか、…?

もうすぐ冬だが、畑は休まない、・・・。

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明晰な老人であった

2018-10-13 13:51:30 | 政治

戦争責任を問われて、「それは言葉のあやのようで、それに私は文学的なことはよくわからない」と、この国の先代天皇が答えたような記憶がある。これを聞いた国民は「ああ、天皇はとうとう呆けてしまわれた」と感じたに相違ない。この時天皇は74歳だった。

がしかし、それをじかに聞いたわけではない。今活字に残る事柄を拾うと、19751031日、米国訪問から戻った昭和天皇に対して、ザ・タイムズの記者が、ホワイトハウスで「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」という発言がありましたが、「戦争に対して責任を感じているということで宜しいですか?」と聞いたのである。悲しみという感情を責任に結び付けた質問であったわけである。

それで昭和天皇は、「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、・・・」と答えたのである。まったくボケていない。十分に批判に対応できる、また、それに値する明晰な頭脳を持つ74歳の老人であった。さすがである。

ご飯論法で、カエルのツラに小便のような恍けたふりを平気でやる無責任首相より、はるかに要を得た答えをしているではないか。問題はこの戦争責任質問がされたのは、戦後から30年経っていたということである。この圀は骨の髄まで呆けた言論体制ある。そして今も延々と、この呆けた風土は続いている。

いまだに、「天皇の戦争責任」という言葉が禁句となっている。したがって、すべてがあの815の昼から、古いセピア色の写真のように静止して、誰もあの戦争の責任をとっていない。だから、今だに「従軍慰安婦問題」が生きかえり、「原爆反対」も堂々と言えない肩身の狭い圀なのだ。「教育勅語」を残したいだって、「9条を改正したい」だって、ただズレているとしか思えない。

【引用文献】

H・ビックス『昭和天皇』・辺見庸『1★937

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