玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

机の下の警棒

2024-06-17 09:49:39 | 言葉

「答弁を差し控える」というならば、その理由、答弁拒否という行為に至る適切かつ合理的な説明がなければならない。議会側の質問に鹿児島県警の監察部がこの言葉を使った。

近代民主社会において、言葉の説明をせず、警棒をふるう警察行政は、非民主、反民主を超えて独裁制、専制政の前段階である。

権力側が、あえて口を閉じて、「問題があるか」という居直りでもある。特に常時武器を携行し使用できる警察行政の態度には机の下の警棒や手錠が垣間見える。

昨今の警察中枢キャリア官僚の暴力性は、アベスガ政治の反知性を気取っただけの生来の無知・無学からの負のレガシー(遺物)でしかない。

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へつらうヒトたち

2023-01-22 14:42:14 | 言葉

 「へつらう」の漢字「諂う」は、確か論語の中に出てきた気がする。

この国の新しい辞書の広辞苑では、「人の気にいるように振舞う」とある。古い辞書の言海では、「侫ス、媚ブ、等々」。

辞書によって説明が違うのが一寸おもろい。

ヒトに簡単に諂う者は、他人にも自分への諂いを求める。トランプと安倍晋三にそれを見る。パンケーキの政治記者とスガにそれを見る。

いまキシダは誰に諂っているのか。あのお方は周りのうるさいヒトに諂えば、自らの身は安泰だと思ってゐるのではないか。

近頃は忠実な名誉白人としてG7の首長たちに諂っているようだ。

ただ彼の致命的な欠陥は、色々な方面に諂っても、主権者である国民に諂わないことかもしれない。

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「君」という言葉

2020-01-20 19:52:02 | 言葉

寝る前に枕元に本を置いて、睡眠剤で何冊か目を通す。その一冊に『折々のうた』がある。

そこに、「羨(うらや)ましやわが心 夜昼君に離れぬ」とあった。

注釈に、出典は『閑吟集』とあった。室町時代中期の歌謡集だと云う。そんな昔から、この「君」という言葉があった、という事に驚いた。しかも、愛する者への呼称であろう、…。

近頃、韓国ドラマを見なくなった。大量生産・粗製乱造なのが分かったからだ。代わりに邦画を見るようになった。
『君の膵臓を食べたい』を見た。年甲斐もなく涙が出た。その最後の方の言葉に、「君としか呼んでくれなかった」という、ヒロインさくらのセリフがある。

作者はこの「君」という言葉を十分に知っていたのだろうか。あえて、現代のちょっと隙間のある関係に使う呼称の「君」を使ったのだろうか、どちらでもよいが、ふと小さな疑問として残った。

sakuraが待ち遠しい。

 

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