玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

不用意な政治家

2021-03-31 11:06:31 | ブツブツ

イスラム国に捕まっている二人の命が掛かっていることを、彼は当然知っていただろう。

必ず影響があるのを解かっていただろう。残酷な政治家である。

その後も、雑な失言で、森友事件で文書改竄を起こさせ、又犠牲者が出た。

傍目からは、怪しい友情の加計事件もあった。けっこう人が良いのかな?

近ごろは、意趣返し選挙で犠牲となった河井夫婦も居た。

全く性格が解からん。すぐにボロが出てしまう。

大叔父は完璧だった。「非核三原則」は大嘘、でもノーベル賞をもらった。

祖父の大噓はまだ出て来ない。あの方は妖怪だから。

そんな不用意な政権を7年8ヶ月も継続させた。

それを支持した官僚、財界、メディアは、この国を何処に連れて行く気なのだろうか

 

 

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未必の故意

2021-03-30 11:01:11 | 政治

或る事実が発生すると思いながらも、発生しても仕方がないと認めて行為する心理状態を「未必の故意」というのだそうだ。

衆目の予想外、閣議決定からの憲法の切り崩しが成功した後だった(→2014・7・1、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更が閣議決定された)

2015年1月、後藤健二さんがイスラム国に囚われているのを知っていたが、中東訪問で「イスラム国の脅威の為に2億ドル出す」と演説した。

それが引き金になって、後藤さんばかりか、一緒に人質となっていた湯川遥菜さんも殺された、と孫崎享は言った。

その事を思い出して、当時のニュースを見ていたら、ISからの身代金も2億ドルだったことを知った。まさに当てこすりだ。未熟な人間の確定的故意だ。

その後、彼は自分のやったことは棚に上げて、「罪を償わせる」と発言した。

それを聞いた時、ぎょっとした。何を根拠にその言葉を言ったのだろうか。

お前は回教徒か?キリスト教徒か? この言葉は仏教にはない。一種の宣戦布告だ!

あれ以来、この国は階段を右傾へと大きく踏み外した。

 

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うたた寝のあと

2021-03-29 11:33:33 | 雑感

近ごろ、私のパソコンは勝手に動く。

とくにYOU TUBEをクラシックか懐メロにしておくと、一曲終わると次の曲が用意されている。

それが過去に私が聴いたモノか、又は、好きそうモノがちゃんとチョイスされているので、その儘にしていることが多い。

昨晩も晩酌の後、パソコンを見ながら小一時間寝てしまったようで、目が覚めたら「報道特集」の森友事件をやっていた。

多分二コマは見ただろう。「真実を知りたい」という赤木さんの奥さんの悲痛な訴えはよく分かるが、あの森友事件からこの国の政府が急激におかしくなった。

8億円の値引き、それだけでこの国は✖堕ちた。国の財産を首相夫人が関与しているからと値引きしたのは明らかである。

一人の犠牲者の死によって、公文書の偽造・改竄が公になったのに、それを行った公務員は不起訴だった。しかも、その改竄の当事者や関係者たちはみな出世した。

思い出せば、その内情を知っていそうな首相夫人の秘書だった女性官吏も外国の大使館に異動して、もう帰って来たとか。外国に行っている間にマスコミ各社の特派員は何も動かなかった。

行政を監視するマスコミも、公務員を処罰する警察・検察もみんな動かない。これがこの国の現状だ。

こんなに民主主義が骨抜きにされた壊れた国家でオリ・パラの「おもてなし」ができるのかしら?全く不安である。

聖火の巡行を一県を除いてやるらしい。そんな金があるならばコロナ対策に使った方が良いと思う。

 

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1995年の暗示

2021-03-26 11:05:56 | 近現代史

1994年の細川連立政権が脆くも崩落した後は、単なる利権集合の自民・社会・さきがけ連立政権となる。

翌年、1995年は戦後50年という節目の年だった。ところが、この年に何か盛大な記念行事が行われたのだろうか。

1月の阪神淡路大震災、3月のサリン事件と、とてもお祝い気分にはなれない。

大災害や大事件が無くても、記念行事をやっただろうか。実は戦後50年と言うが、裏は敗戦50年でもあった。

村山首相は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。・・・」という『村山談話』を残した。社会党左派の血の一滴であろう。

他方、これに反発するように、自民党の「歴史・検討会」は『大東亜戦争の総括』を刊行し、「大東亜戦争は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争で、アジアの解放戦争だった」と主張した。

『村山談話』が自民党の守旧世襲派を呼び覚ました。

この時の屈辱感が、世襲派自民党員の右傾化への原動力として蓄積され、近年の改憲行動へマグマ化されたのではないか。

単に50年という節目だが、次代への転換や暗示を感じさせる

【参照文献:中野晃一『右傾化する日本政治』岩波新書、小森陽一『天皇の玉音放送』五月書房】

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貴種という政治

2021-03-25 11:01:43 | 近現代史

貴種といえば、源氏嫡流。鎌倉幕府の源氏は三代で途絶えた。

ところで、細川連立政権は1993年に55年体制をともかく一回止めた。但し、一年持たず僅か263日であった。

この時の連立前の各党の衆議員数は、社会70、新生55、公明51、日本新党35、民社15、さきがけ13、等の順だった。しかし、連立政権は、第4党の日本新党から首相が出た。

小党乱立の烏合では、貴種の血を持つ細川護熙しか首相は勤まらなかったのではないか。しかし、政権は瞬く間に社会党や武村等の権力闘争で脆くも瓦解した。

それから16年後の2009年にやっと政権交代をして、民主党政権が生まれた。初代首相の鳩山由紀夫も一年持たず266日だった。

細川家は足利幕府以来の武門と近衛家の血を持つ日本有数の名家であり、鳩山も祖父が戦前戦後の大政治家の血統を持つ。

結局二人の貴種は先鞭をつけただけだった。あっさり権力を手放すのも、この二人の共通項であろう。

鳩山は議員も辞めた。細川も議員を辞めるつもりだったらしい。

当時の細川首相に仕えた石原信雄官房副長官は「…殿様の意地、見栄でしょうね。…短命で終わる内閣ではなかったのに」と悔しがった。

余談だが、石原は長く官邸を支えた自治官僚であるが、不運なのか、1995年の都知事選で選挙運動を全くしないタレントの青島幸男に敗れた。貴種とはタレントのようなモノなのか?うーん、違うな。

【参照文献:細川護熙『内訟録』、孫崎享『戦後史の正体』、石川真澄『戦後政治史』】

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