玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

やっとマスコミらしくなった

2015-06-30 00:18:52 | 時事

安倍政権批判を自重してきたマスコミも、自民党の驕った若手議員に、あそこまで言われると、さすがに自らの存在問題として捉え、重い腰をあげて怒るんだ。初めてだね、御用新聞の産経・読売も立ち上がったのは。これで憲法問題・安保問題も普通に世論形成の俎上にのっていくだろう。

それにしても、自民党はほんとに懲りないダメ政党だね。何年たっても変わらない、このザマを何度見てきたことだろう。自民党という政党は、議員数崇拝病、議員驕り病、与党怠慢病等の病的体質から抜け切れず、そのことが世間から嫌悪されて政権から転がり落ちることを何度も繰り返す。しかし、また臆面もなく、殊勝に改心した顔付をして、ドブ板選挙で国民に土下座をして許しを乞う。

国民の大勢も利益誘導政権には甘い。ほとぼりがさめると、自民党は与党になって政権をめざす。政権を取るとまた例の病気が出て、国民から嫌われる。聞き分けのない子供のように、それの繰り返しだ。こうした政治の迂回現象は、地方優位の選挙制度を改めなければ、自民党の病的体質は治るまい。

それにしても、先日の18歳以上の選挙権付与に与野党全員が賛成というのには恐れ入った。若い人に選挙権を与えるということは、都市部に圧倒的に若者が集まっているのだから、また、都市と地方の1票の格差が更に広がることになる。そのことを真剣に指摘したマスコミも評論家もいない。この不具合を私に教えてくれたのは、町の老人業の先輩たちであったことを添えたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

品川宿 ー東海道53次-

2015-06-22 21:37:23 | 歴史

先週何を思ったか、数年前にやっていた東海道53次で抜けていた品川宿に行ってみた。実を言うと、暇だったので行っただけ。豊橋で止まったままの「東海道散歩」を再開するかは決めていない。

 品川駅も随分変わった。 国道1号、つまり東海道を歩く  跨線橋をわたる。京急線が見える。 踏切を渡ると、品川宿に入る。 幕末ここで高杉晋作や久坂玄瑞が密議したという。  少し歩くと、川を渡る。

更に進む 

腹が減ったのでラーメン(570円)、

そして終点、青物市場駅へ まずは、ここまで。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姑息な憲法解釈

2015-06-15 22:37:42 | 憲法

戦争を絶対しない平和国家という夢を留めているネジが全部抜け落ちたような情けない政治状況となった。

首相が愚かだと、恥ずかしい国家になる。普通の人間が考えれば、集団的自衛権は当然憲法違反だよ。それが解らないとは、そもそも法的なものの考え方ができない人間なのか、それとも単に知力が欠けているのか、我々庶民には到底理解ができません。

議員数の優劣が民主主義の根幹であるとする閣僚たちの顔付を見ていると、彼らは政局や状況判断でしか物事を見れない異種の人間のように見える。まあ、残念だけど、盆暗首相と貪欲軍師の合作の所業としか見れない。暴走内閣をコントロールできない自民党は、結果として、無能力者集団であることがよく判った。

米ソ冷戦が終わり、米国一極体制が続かず、イスラム教のジハードによるテロの頻発、中国覇権の擡頭と、21世紀に向かって日本が平和国家として生きていくには、非常に厳しい政治状況にあることは誰もが解っている。今こそ日本の国の自衛を真正面から考えなければならない時期に来ているようだ。

そろそろ小手先の憲法解釈論議はやめよう。政府は国民に真正面に向き合って憲法改正の必要性を説明する責任がある筈だ。こういう時こそ、政治家冥利に尽きるのではないか。国民には、日本の平和をもうアメリカに依存できないこと、平和を守るには国民の負担が必要であること、そして、新たな道を進むには、何よりも主権者である国民の意見を尊重すること、こうしたことを、芯の通った政治家であるならば、明確に発言するべきである。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本から本へ

2015-06-09 14:18:07 | 

三ヶ月前、WOWOWで『ハンナ・アーレント』という映画を見た。彼女の写真によく似た役者が演じていて、さしたる感動もなかったが、老い先の時間も限られていることから、アレントの『全体主義の起源』を読みたいと思った。図書館ネットの検索で調べると案外ボリュームがありそうなので、偶々横に記された『ナショナリズムの名著50』(大沢真幸編集)を借りた。そこに、アレントの『全体主義の起源』の解説文があったからだ。その他当代の思想家たちの本の解説を適当に読んでいると、『文明の衝突』サミュエル・ハンチントンの解説に魅かれた。

この本は、1998年に日本語訳が刊行されている。振り返れば、この頃の自分は、組織での立場の揺らぎ、疲弊した家庭での子供の問題と、いろんな意味で、胸突き八丁の時期であった。題名こそ頭の隅にあったが、とても読めるような精神状況ではなかった。仕事の忙しさを理由に読み損ねた本を、遅ればせながら挑戦することにした。

ずっと若いころから、いつも恐ろしい存在としてソ連という共産主義国家があった。1989年のベルリンの壁の崩壊とともに、その大本であるソビエト連邦が脆くも解体して行った。それを目の前にして、世界はアメリカ一国支配になることが自明なこととなったが、いざ冷戦が終わってみると、その後の十数年はどうなっただろう。実は、そのことを現実に見てきて、21世紀になったが、意外なことに、昨今の紛争やテロが頻発する混沌とした世界がひろがっている。

昨日、やっと読み終えた。ハンチントンは「西欧の民主主義が普遍的になることはないという前提に立って、アイデンティティの対立が今後の世界を規定していく」と言った。そして、「世界中の人々が同時に同じ映像を見ても、それぞれの文明の価値観によって異なる解釈をする」とも言う。

ベネディクト・アンダーソンは「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」と言う。こうしたところから、常に紛争の主役となるイスラム教の国々の行動の一端が少しばかり理解できるのではないだろうか。しかし、我々日本人のうち、戦後生まれは、西欧民主主義にかなり浸っているので、本来は非西欧型の見方ができるアジア人である筈なのだが、ちょっと最近はできなくなっている。まことに困ったものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飯盛女の墓 ー藤沢宿ー

2015-06-01 13:59:27 | 歴史

先週、旧藤沢宿の永勝寺にある「飯盛女の墓」に行った。実は10年前にも行ったのだが、記憶があいまいで、もう一度見ておきたいと思ったのだ。

  幕末には京都~江戸間の人・モノの交通が異常に増加した。そのため宿場は伝馬制の負担がのしかかり、本来の宿商売が廃れた。その打開策として、旅籠に二人の飯盛女を置くことにした。要するに、宿場に色街機能を持たせた訳だ。ここ永勝寺では死んだ飯盛女が丁重に葬られていた。 39基の墓は墓地内に四角く並べて、互いに見合わすように建てられていた。実は、このことが、私の記憶から消えていた。

施主は皆 旅籠 小松屋源蔵。 豆州アジロ コマツと読める。 豆州川奈村与八娘とある。(写真をクリックしすると見えます!)遠くから身売り同然で来たのだろう。墓が立てられただけ、まだましな境遇だったというべきなのだろうか。しかし、概説を読むと、

ここにある墓は、1761~1801年までの40年間に造られたという。小松屋源蔵一代の義侠心というべきなのか、…。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする