玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

道祖神

2022-10-11 13:48:14 | 歴史

今、読みかけの本がある。

そこに「境界には人々を守るために衢神(ちまたかみ)がいるとされた。」、「よぎない事情で旅に出なければならないものは集落に守ってもらえると考えられた。」とあった。

また、「衢神が旅行の神である道祖神(どうそじん)となった。今でも村境であった道沿いの位置に道祖神と刻んだ石が残っているところがある。」と。

【引用文献:武道誠『地名から歴史を読む方法』河出書房新社】

引地川沿いの善行方面に向かう小道にて

鵠沼海岸の住宅地にて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦ではなく、敗戦に

2022-08-15 13:55:20 | 歴史

 戦後に生まれた者にとって、戦争は歴史として知る。しかし戦後の「日本史」の教育は古代から始まり、明治維新、大正ロマンぐらいで終わる。近過去は、授業をしないのである。不思議なことに、大学の入試問題にもその範囲は出てこなかった。だいたい戦後生まれ世代の人はほとんど同様な体験や機会をもっている。したがって、「8・15終戦の日」という日が特別であるかのようにマスコミによって印象付けられて行く。学校は夏休みなので何も言わない。甲子園球場の高校野球での黙祷が象徴となり、旧盆で人々が田舎に大移動していくのもその背景となった。ほぼこの世代は同じような体験を語る者が多い。東京は9月1日が始業日だ。歴史を見れば、9月2日が敗戦の日であり、世界的には第二次世界大戦の終了の日にすることが多いそうだ。この日に何か学校や地域行事が行われた記憶はない。我々は気がつかない所で、見えない手によって、想像や思考をある一定の方向に向けさせられているような気がしている。それは悲しいことに、結構十年単位の時間が過ぎてから気付かされることが多く、今も気付いてないコトがあるだろう。

 先の戦争が「大東亜戦争」と称していたのを、米軍占領後に「太平洋戦争」に名称変更させられたことを知っているが、従来の戦争名称の流れからすれば、日清、日露、第一次、日中戦争・・・とくれば、日米戦争が適切であろう。仮に「日米戦争」という名称が一般化していれば、「終戦」ではなく、やはり「敗戦」であり、「原爆を落とした国は米国」であることが歴史の上で、より明確化したのではないかと思う。さすれば、この国が今でも「敗戦国」であることが、身近に解ろうというモノだ。

(参考文献:佐藤卓己『八月十五日の神話』ちくま新書、他)

この写真には「…聞いたあと」と注釈がある。皇居前にはラジオは無いし、拡声器は無かったから!、であろうか…?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欲望の党の片腹

2022-08-08 13:42:55 | 歴史

振り返ると、実に奇妙なことであった。昨年の自民党総裁選挙で、およそ一国の首相として相応しくない一人の女性候補があそこまで善戦するとは思わなかった。

男気の河野太郎が議員票では彼女に及ばなかった。そのバックに安倍氏が居たのであるが、あの業突く張りで自尊心の塊の国会議員たちが安倍氏の一声で一斉に票が動いたことが全く解せなかった。この時に実に危うい怖い政党だと思った。

客観的に視れば、一つの欲望の塊のような動きをする政党だとも思った。しかし、その不可解さは、2発目の銃撃で彼の命が奪われたと同時に、この欲望の党の片腹に穴がポッカリ開いて、其処から中が少し覗けるようになってきた。

彼が志半ばにして斃れて、僅か三日後にブリンケン国務長官が横田基地を経て、キシダ首相に弔意を示した。何と迅速で丁重な弔意で、まるで植民地の宗主国のようではないか。

彼が何を言いに来たのか、あるいは事務引継ぎに来たのか、分からない。この時に欲望の党は、アメリカの一つの機関ではないかと思うようになった。

一人の王が消えたからだろうか、もう忘れかけた昨年のコロナ禍のオリンピックのことが急に東京地検特捜部(東京地方検察庁特別捜査部)によって掘り返されていく。ちなみにこの特捜部の前身はGHQが設置した「隠匿退蔵物資捜査部」である。(孫崎享『戦後史の正体』創元社)

マスコミでは「清和会」の代議士は捕まらないという言説が今更に流布される。だから王様は捕まらなかったのかもしれない。

段々戦後の見たくない歴史の欠片が曝されてくる。此の國は歴史を嫌でも学び直さなければなるまい。

戦争は8月15日に終わったのではなく、9月2日に敗戦を認めたという歴史から紐解いて行かないと何も見えてこなくなる。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修正史観と釈明史観

2022-07-18 19:30:15 | 歴史

歴史修正主義と云うと、どうしても、日中戦争時の南京虐殺は何十万という犠牲者数の証拠がないから民間人虐殺事件は無かった、従軍慰安婦は軍が無理矢理連れて行ったという証拠がないから従軍という文字を削る、関東大震災時の朝鮮人虐殺は無いから自治体の長として追悼文は送らない、という立場の考え方が一足飛びに思い浮かぶ。

歴史を自虐史観から離れて、新しい教科書を創ろうということも、修正史観の類似というふうに見えてしまう。それを言うと、また攻撃する人たちもいるかもしれないが。それらはひとまず横に置いておいて、―

『ルーズベルトの開戦責任』草思社の文庫版の翻訳者の前書きにでは、― 歴史修正主義史観の本質は、日本やドイツの枢軸国の擁護にあるのではない。ルーズベルトやチャーチルの外交を分析にそこにまちがいがなかったかと疑うことにある。―と翻訳者の渡辺惣樹は云う。

とかくこの圀の翻訳語は難しい。

また「先の大戦で日独の枢軸国がベルサイユ体制を破壊し、世界覇権を求める“極悪”の全体主義国家であり、その野望を叩きのめす外交を進めたルーズベルトやチャーチルが“絶対善”」となり、「ヒトラーや東條英機が“極悪人”となる」というような正統な歴史観にたつ歴史家は、一度不都合な事件や発言に触れると釈明に終始せざる得なくなる、と。こうした歴史観を「釈明史観主義」とフーバーは軽蔑したそうである。

此の圀の翻訳文化という線上での不確かな動揺とか、翻訳された概念の日本語化の難しさを感じないではいられない。

また他方では、「歴史修正主義」というレッテル貼りの戦いにばかりに躍起になって、実際は何が歴史の真実かの議論が広く行われていないことを憂う。

伊勢佐木町の古い映画館が潰れた…。コロナではないとのこと。

(「ニュー・テアトル」2018・6・1閉館)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皮肉な武器援助

2022-06-06 13:17:15 | 歴史

かつて第二次世界大戦の時に、アメリカは対ナチス・ドイツと戦っているスタ―リンのソ連に武器援助を行った。中国大陸で侵略を続ける軍国国家日本と戦っている蒋介石の国民軍にも援助し続けた。

あれから約80年、今アメリカは、ソ連の後継であるプーチンのロシア帝国のウクライナ侵略に手を焼いている。そして、中国大陸では、国民党政府に勝った中国共産党政府の覇権主義による太平洋進出に怯えともいえる程の緊張感を持って対応しようとしている。

超大国アメリカの有り余る富を背景とした気紛れな武器援助は、悉く、ブーメランの如く、将来の自国の危機を招く結果となっている。

まさに自らの行動が後世の自らの危機を生み出していることがよくわかる。

当時、ヒットラーのドイツが強すぎたのか、先ずは英国を助け、ソ連を応援し、結果は分不相応な巨大なソ連邦にしてしまった。ソ連邦が冷戦で瓦解しても、また昔の帝国建設のプーチンの野望に四苦八苦で対応する始末。

仮に日本を虐めなければ、中国は大きな台湾になっていたのかもしれないが、今では習近平の太平洋進出を招くとは。

歴史にifは禁物なのは解っていても、つい言いたくなります。

春の小さな雑草たち

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする