玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

記憶は曖昧

2013-07-29 15:22:29 | 雑感

記憶というのはあやしいものだ。30年前だろうか。一冊のSF本に強く感動した記憶があった。今となって、題名も著者もすっかり忘れた。その本は引っ越しの際に他の本に紛れて捨ててしまったらしい。ここ数年そのことがやけに気になっていた。恥ずかしいが、その感動したストーリーも覚えていない。当時は、友達にも、SF にしては考えさせられる内容だといって随分紹介をしていた。ずっと気になっていたが、どうしようもなかった。

先日ふとしたことから、ジョージ・オーウェルの『1984年』をバイブルにしているという某大学の教授の話を聞いた。彼と年代も近いし、「ひょっとして、これかな?」と早速アマゾンで買った。表紙はいかにも、昔見たような気がしたが、読み始めてすぐに別物だと分かった。それから一月ぐらいたっただろうか、同時期のSF物として、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』が目についた。これも早速買って読んでみた。今度はおぼろげながら過去に読んだ記憶がジワーと出てきた。

読み終わって、「これに感動したのか!」というのが正直な感想だった。決してつまらなくはないが、とりわけ素晴らしい本だとも思えなかった。時間が人の感覚を変えてしまうのか、あるいは、年齢が想像力を鈍くさせるのか、わからない。とにかく人の記憶というのは曖昧なものである。

写真のもう一冊は、先日古本屋で買った『新唐詩選』である。多分私は読まないだろう。ただ、巻末に落書きがあって、「2003・5・15 この詩集の第一刷を求めたときは、紙質は藁半紙状ので、歳月を半世紀経て破れ易くなりし故に、再度求めしものなり、懐古の情深し」と力ない鉛筆の字で書いてあった。相当の年齢の方とお見受けした。それほどの思いの本を何故手放したのか、知る由もなく、果たしてこの世にいるのかも知らない。止むを得ず、私の手元に置くことにした。

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憲法の前文

2013-07-26 15:22:40 | 憲法

中学とか高校のクラス会に行くと、先生という方が必ず来ることになっている。ただし、生きていらっしゃれば・・・。私はその先生という人たちと話したことがない。実は、ほとんど当時の記憶がないのだ。その先生に何かを習った、教えられたという経験もほとんどない。向こうも私の名前を覚えてないだろうし、こちらも同様で、顔すら覚えていない先生もいる。

ところが、一人だけ中学三年の時の担任だが、彼から教えてもらったことが二つあった。彼は社会の先生だった。まず、初めに、彼は黒板にこう書いた、「修身、斉家、治国、平天下」と。ずいぶん古めかしい人だなと思ったのが第1印象だ。そのうち、憲法の前文を暗記させられた。今でも、3段落のうちの1段目はほぼ正確に言うことができる。何故だか、それが、後の人生で役に立った。

憲法の前文が、就職試験や小論文試験で使えたのだ。民主主義の基本フレーズ(「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」)を簡単に言うことができたのだ。それに、ちょっと高尚な漢字使い方が文章の手本になった。

「われらとわれらの子孫のために、・・・我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、・・・」の“恵沢”という響きがなんか荘重な感じがしたものだ。ところが、アメリカ合衆国憲法の前文の一節にも、「・・・われらとわれらの子孫の上に自由の恵沢を確保する・・・」とあった。そのうち、双方の英文で比較しようと思う。

最近故あって、他国の憲法を読んでみると、日本に比較して、フランス、イギリス、アメリカは前文が短かく、言葉も想像したほど格調が高くない。どうも、日本は難しい漢字を使うことが文章の格調を高めると考える人が多いのだろう。それとも、アメリカが日本に西洋の民主主義を徹底しようと考えたのだろうか。大日本帝国憲法の第1条には、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とある。第4条、「天皇ハ國ノ元首ニシテ、統治権ヲ総覧シ、…」とある。敢えて、今更に、天皇を元首にもどすという自民党の先生たちは、いったい我々国民に何を教えてくれて、何を残してくれるつもりなのだろうか。

 タブの木

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二大政党

2013-07-22 21:03:10 | 政治

日本には二大政党は合わないのかもしれない。しかし、戦前は政友会と民政党という二大政党だった。政友会は地方の地主層を支持基盤とし、民政党は都市住民が支持層であった。両政党は政権が倒れると次は野党に政権が移るという“憲政の常道”を主張し、政権に就くや、内務省(=警察)を押さえて、選挙の時には相手陣営を徹底して選挙妨害をして勝利するという筋書きを立てていた。そこで、国会の論戦は相手の足の引っ張り合いをもっぱらしてきた。それが典型であったのが、1930年4月、直近選挙に敗れた政友会が民政党政権のロンドン軍縮条約に反対し、『統帥権干犯』の論理を持ち出した。結局、それが発展をして、魔法の杖のように憲法解釈を固定化し、物言わぬ大元帥閣下(=天皇)の直下の参謀本部という議会の関与できない政治権力形態を造り上げることになり、それを言い出した政党は、今度は軍部官僚に首根っこを抑えられて、ずるずると軍国主義化、戦争主義化にはまり込んでいった。

その時、『統帥権干犯』を叫んで、民生党の浜口雄幸内閣の国際協調外交を非難した政友会の犬養毅は、その2年後、皮肉なことに自分が首相になった時に、5・15事件で、海軍青年将校によって、真昼間に首相官邸で暗殺されてしまう。軍部の満州事変以降の狂気の戦争拡大主義は、国民総動員体制による、戦争のための兵舎国家を求め、頭脳集団である革新官僚とも手を結んでいくが、その代表格が今の安倍首相の祖父である岸信介であった。彼が、何故憲法改正を自らの政治目標とするのかは、祖父が戦後に首相になっても、果たせなかった憲法改正の遺志を継いでいるとしか考えられない。三代にわたる一族の家訓で、再び天皇を元首にするという後ろ向きの憲法を作ることを許す国民がいるとしたら、天皇に捧げてしまった息子の無駄死にを、靖国に祀り上げることによってしか、心の解決をできなかった何百万という息子を失った母親たちの悲しみをどう考えているのだろうか。例大祭に閣僚が参拝に行けば済まされるのか。

イギリスやアメリカが二大政党だからと言っても、日本は過去に二大政党で失敗しているのだ。今回の参議院選挙を見て思った。日本は自民党一党だけがあって、あとは非自民党があるだけだ。民主党という政党などありはしない。ただの寄せ集め党でしかない。今後、もしみんなの党と維新の会が一緒になっても、また、第二の寄せ集め党を作るだけであろう。

私は自民党が政友会に似ているようで嫌いだ。そして、あまりに“日本人の利”に添った政党であるから、信用していない。この利に聡い政党を作ったのも、育てたのも、まさに日本人である我々なのだ。お祭りのときの町内会を見てごらん。議員が必ず挨拶に来て、金一封を出している。それが当然で、町内会の毎年の予算書にも入っていることがある。病気になれば、議員に良い病院を紹介させ、介護施設の順番を早めるのも、保育園の順番をとるのも、みんな議員に頼む。そういう風に議員を使うのが当然だと思っている国民がまだ多いのである。それは選挙で投票してあげたお返しだと思っている人もいるのかもしれない。そういう土壌がなくなれば、自民党もよくなるだろうし、信義のある立派な政党も生まれるかもしれない。せめても、そう思いたい、空しい参議院の選挙結果であった。

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真夏の夜のカレーライス

2013-07-14 16:35:24 | 日記

暑い夏の夜に、初めて自分でカレーライスを作ってみた。まあ、初めてにしては上出来だったと思う。

翌日の朝、カレーを食べようと鍋のふたを開けた。

この時、真夏はたった一晩でカレーが腐るということを知った。

腐ったカレーの臭いはとてつもなく強烈だった。何とかおたまでかき出して、鍋の底を洗っていた時、急に涙が出てきた。

あれから40年。

たまに台所で残ったおかずが鍋にあるのに気付くと、今でも自分で片付けてしまう。

一人暮らしが長かったために、私は料理をするようになった。

ズッキーニとレタスのスパゲッティー、もちろん飲み物は麦茶だ。

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麦茶の思い出

2013-07-12 19:10:57 | 日記

夏の暑い日、外から帰ったときは、私は胃袋がいっぱいになるほど麦茶を飲む。今まで、それで腹を壊したことは一度もない。我が家には、夏は必ず冷蔵庫には麦茶のボトルがあった。

母は私が22歳の時に死んだ。5月だった。

その年の夏に、冷蔵庫の中に麦茶がないことに気が付いた。

その年は特に暑い夏だったことを覚えている。

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