記憶というのはあやしいものだ。30年前だろうか。一冊のSF本に強く感動した記憶があった。今となって、題名も著者もすっかり忘れた。その本は引っ越しの際に他の本に紛れて捨ててしまったらしい。ここ数年そのことがやけに気になっていた。恥ずかしいが、その感動したストーリーも覚えていない。当時は、友達にも、SF にしては考えさせられる内容だといって随分紹介をしていた。ずっと気になっていたが、どうしようもなかった。
先日ふとしたことから、ジョージ・オーウェルの『1984年』をバイブルにしているという某大学の教授の話を聞いた。彼と年代も近いし、「ひょっとして、これかな?」と早速アマゾンで買った。表紙はいかにも、昔見たような気がしたが、読み始めてすぐに別物だと分かった。それから一月ぐらいたっただろうか、同時期のSF物として、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』が目についた。これも早速買って読んでみた。今度はおぼろげながら過去に読んだ記憶がジワーと出てきた。
読み終わって、「これに感動したのか!」というのが正直な感想だった。決してつまらなくはないが、とりわけ素晴らしい本だとも思えなかった。時間が人の感覚を変えてしまうのか、あるいは、年齢が想像力を鈍くさせるのか、わからない。とにかく人の記憶というのは曖昧なものである。
写真のもう一冊は、先日古本屋で買った『新唐詩選』である。多分私は読まないだろう。ただ、巻末に落書きがあって、「2003・5・15 この詩集の第一刷を求めたときは、紙質は藁半紙状ので、歳月を半世紀経て破れ易くなりし故に、再度求めしものなり、懐古の情深し」と力ない鉛筆の字で書いてあった。相当の年齢の方とお見受けした。それほどの思いの本を何故手放したのか、知る由もなく、果たしてこの世にいるのかも知らない。止むを得ず、私の手元に置くことにした。