玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

旅、その後→

2015-04-29 13:37:00 | 旅行

神戸泊の翌日、JR快速で大阪に向かう。大阪で二度漬け禁止の串焼きをどうしても喰いたい。梅田の地下街にあると聞いた。確かに朝10時からやっていた。 これぞ大阪!

すっかり酔って、また快速に乗った。着いたのは、晴天の京都駅。さすが変わり身の早い京都だ。その後、新幹線に乗って、一路東京へ。

この小さな旅、振り返れば、高松から姫路→明石、そして、結局はJR快速の直線的「三都物語」であった。どこも中国人や外国人の姿は多かったけれど、気になるのは、一時的な観光景気があったが、街そのものの活気がなかったことだ。

神戸の元町商店街ではシャッターが閉まった店が目立った。立ち寄った蕎麦屋の店主に聞いたら、人件費は嵩んで遅くまで営業できないとのことだった。

所詮、経済も人口も東京一極集中のなかで、大阪都構想は、橋下天皇が言うような「二重行政と税金の無駄の解消」ではなく、屋上屋の無駄を重ね、大阪市の人材と財政を大阪府に吸い上げられるだけの事と、やんちゃな天皇のエゴ、それだけの成果だろう。たぶん何もしない事が正解なのだろうが、ここで何かをしないと、関西はずるずると苦しくなるだろう。

 

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姫路城に行ってみた

2015-04-24 14:17:20 | 旅行

初めて、姫路の街に降りた。 商店街は祝賀ムード じょじょに姫路城に近づく。

ここからが一番きれいだ。 入場料1000円だが、エレベーターはないだろうから、ここで十分。

城壁を見る。 

街には変わったバスが走る。

前夜は四国高松に泊まった。締めは決まって讃岐うどんだ。

今日は、これからJR快速で、明石にいく。

かなりのピンボケ!恥ずかし。

 これがほんとの明石焼き。

ふと港に出てみる。 これが子午線の街か? 

今晩は神戸に泊まる予定。

 

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選挙に行ったぞ!

2015-04-13 23:56:41 | 時事

イトー・ヨーカー堂の理由あり商品、あるいは不用品ばかりのフリーマーケットのような変哲のない候補者から選ばなければならないのが、最近の選挙の印象である。候補者ポスターを見ても、誰一人魅かれる者がない。でもここから選べと言う。最低条件での究極の選択のようでもある。これが国民の義務なのだから、と思い直してみるが、どうしても今回は行く気にならなかった。

今日はさぼりと決め込んでテレビを見ていたが、その時ムッと何かこみ上げた。「これは誰かの計略に嵌っているんじゃないのか!」多過ぎてだぶついている議員定数、低い投票率であればある程に組織投票で当選は確実、誰でも一念発起して毎朝駅頭で演説すれば議員バッチと俸給がもらえるという俄か政治屋、そんな奴らに議席を与えてなるものか!多額の議員報酬と政務活動費をドブに捨てるようなものだ。

そう思ったら、意地になって選挙に行った。そんな人間の行動は自ずから決まっている。議員報酬は自分の贅沢や遊興に使わず、本部に上納し、普通の庶民生活をしながら、基本的に何でも批判し続けるあの頑固で時代遅れのイデオロギー党に入れるしかない。そう決め込んで、投票所に行って、見たこともない名前を書いて出てきたら、出入り調査に初めて遭遇した。

出入り調査って、けっこうはっきり聞くんだね。投票した名前はもとより、候補者に期待する項目とか、支持政党とか、もちろん支持政党は無しさ。こんな選挙でも、アラブやアフリカや中国に比べて、民主主義が行われていると感謝しなければいけないのかな。選挙結果を見ると、関東地方では、私のような投票行動をとった者が多いようだ。まあ、そんなものだ。

 ピアソラ:オブリヴィオン

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桜の樹の下

2015-04-08 19:31:22 | 時事

今日は季節外れの冷たい雨、とうとう今年の桜は終わった。

最近、安倍首相の懐刀と言われる菅官房長官は、懐から飛び出して沖縄県知事に会ったが、「粛々と進める」との表現は上から目線と批判されて、「謙虚に反省したい」と述べた。「粛々と進める」とは「時間が掛かろうが、着々と進める」とのニュアンスがあるし、「謙虚に反省したい」とは、謙虚じゃない反省があるのか、と聞き返したくなる。

当の安倍首相は、祖父岸信介首相が果たせなかった憲法改正を、「我が軍」とか、「人身売買」とか、「日教組」とか宣って、なんとか国民の改憲アレルギーを中和して、自分の代で祖父の夢を実現しようとしている。祖父譲りのあざとさ、狡猾さが垣間見える。

一方、天皇は、昭和天皇が責任を取らなかった戦争の犠牲者の慰霊のために、戦後七十年経っても、なお老いた身体を引きずってパラオへと向かう。天皇の曲がった腰を見ると、なぜだか、自分の代で責任を果たし、後代に引きずらないという一途な意思が窺われ、痛々しくも悲しい気持ちになってしまう。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と云う。最近、この言葉は梶井基次郎が謂ったと知った。

ヨコハマみなとみらい

大和市の千本桜

 

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