玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

時間の謎解き

2023-02-28 10:36:11 | つぶやき

昨年の7月の事件以降、時間が経過しましたが、東京地検はいろんな謎解きをしてくれます。

コロナ禍の東京オリンピック開催は、天皇が懸念を表明したにも拘わらず、菅政権は強行しました。

もし中止したならば、お金を払った企業はどういう行動をとったのでしょう。

アベ・スガ政権は天皇の懸念も無視しました。彼らは暦を定め貨幣を変えます。古来これらは王の仕事でした。

小池都庁もオリンピック強行に同調しました。都は法外な安値で選手村の土地をゼネコンに払い下げていました。

オリンピックに使われない選手村は単なる都心のマンションになってしまいます。

現在、住民訴訟が係争中のようですが、マスコミは報じません。

オリンピックを強行した政治家たちの台所事情が時間が過ぎて少し判ってきました。

しかし、オリンピック汚職は元電通役員の賄賂で終了しました。割り切れなさが残ります。

ところが、また電通などの広告業界の談合問題が浮上しました。これも元電通社員の訴追で終わるのでしょうか?

東京地検は、都や国という「公」に踏み込みません。たぶん議員という「政」にも踏み込まないのでしょう。

結局、本来の謎は解けません。

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「言葉のあや」発言

2023-02-26 10:29:25 | 近現代史

1975年9月、昭和天皇は米国に訪問して、帰国したばかりであった。ザ・タイムズの中村康二記者が、ホワイトハウスで「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」という発言がありましたが、「戦争に対して責任を感じているということで宜しいですか?」と聞いたのである。

すると、天皇は「そういう言葉のあやについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」と答えた。―これが有名な昭和天皇の「言葉のあや発言」である。

これに関して、先日、小田急線で見かけた原武史は「天皇が責任を感じていたのは第一に皇祖皇宗に対してで、国民に対する責任観念を意味するはずの〈戦争責任〉という言葉には、にわかに反応できなかったのではないか。」と解説した。

現在、私が格闘中の『国体論』の著者白井聡は「国体護持のために日米合作の物語は〈天皇に責任がない〉と決めたのである。戦後30年経っても天皇であり続けていること、その場で記者会見をしていること自体がこの物語の結末である。」と解説した。

私はこの「言葉のあや」についての歴史家又は思想家としての二人の解説は傾聴に値すると思う。

しかし、私のような俗世間に長く身を置いた者は、新聞記者への事前の根回しに失敗したんじゃないのか、あるいは、そういう質問があると予想していたなら、「天皇のお言葉」を政府か宮内庁は予め作っておくべきだった、と思うのである。

従って、私の見解は、昭和天皇の人間らしい「生の声」であったが、「天皇のお言葉」としては後代まで残る言葉になるまい、ということになってしまう。

【引用文献:原武史『昭和天皇』岩波新書、白井聡『国体論』集英社新書】

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何となく見た顔

2023-02-25 11:29:17 | 日記

先週のこと、小田急線に乗っていたら、向かいの席の初老の客の顔が何処かで見た顔なのだ。暫く記憶を辿ったが、その人がバックから分厚い本を取り出して読みだすと、やにわに付箋をどんどん張り付ける姿を見て思い当たった。

小田急線沿線は大学が多い。厚い本は背表紙にラベルがあったので、何処かの大学の図書館のモノだと推察が付いた。そして、付箋を貼る習性から研究者だと気付いた。

あの顔はテレビで二、三度見たことがある。歴史家の原武史だ。彼の本や論考は少し読んだことはある。元皇室の記者だった経験か、彼の書く関係は皇室や天皇の関係のモノが多い。

著作を読んでいるためか、勝手に親近感があって、話しかけたくなってしまった。

でも、こんな爺が話すのも如何と思って止めたが。

 

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東條はプーチンではない

2023-02-24 14:30:50 | つぶやき

嘗てこの圀も九十年前ぐらいに満州事変という支那(中国)への侵攻を自己都合で起こし、その成功体験なのか、日中戦争、日米戦争へと戦争を拡大させた過去の歴史がある。

ロシアもクリミア併合の成功体験で今回の侵攻が始まったのかもしれない。

ただし、東條はプーチンではなかった。一応この国の歴史?では「軍部が暴走した」と軍人集団の責任にしようとしている。

支配者が個人であれ集団であれ、国家が一旦戦争を決定し、それを受け入れる官僚体制と、政府を批判しない国民習性があり、国家の嘘の理屈を報道する又は真実を隠蔽するメディア体制があれば、ー

戦争というモノは案外簡易に現実化するのかもしれない。

ロシアのウクライナ侵攻はその懸念(怖さ)を我々に与えた。

このセオリーによれば、この圀も、民主憲法を持っていても、九条を変えなくても、戦争をする可能性がある、ということを考えざるを得ない。

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二大政党制は何処に行ったのか

2023-02-23 15:04:03 | ぼやき

選挙に行けと息子に云うと「二択?」と返された。「小選挙区制」は小沢一郎らのリードで細川政権の時に成立した。「政権交代できる二大政党制」という謳い文句だったが、その結果は。

共産党はコアに固まり、公明党は自民に付着し、リベラル系野党はどれも指導者不足。民進党の前原は希望の党に合流し、小池の失言で安倍政権の長期化を造った。枝野の立憲民主党は、私は「保守だ」という始末。結局、力・頭足らずの二人だった。

現在は二大政党ではなく、自公の長期政権となり、野党は小党乱立で隙あらば与党に入ろうと窺っている。

何のために政治家をやっているのか、野党議員にも聞いてみたい。維新・国民・立民は、実は自民党と同じで官庁口利きの利権屋に成りたいのかな。共産は党のために議員をやっている化石の党だね。他の小党は政党の體を為しているのだろうか?

今更二大政党はない。政党政治という代議制も怪しくなった。選挙で国会の過半数を占める党の内閣の「官邸政治」になっている。

国会の議決より「閣議決定」を優先する政治の行き着く先は「権威主義体制」であろう。

その先鞭がアベ・スガ政権であり、キシダの「国葬決定」「防衛費倍増」「安保3文書」によって、白井聡の云う「2012年体制」となるかもしれない。

市民は更に選挙に足が遠のくが、それは議員家業の利権屋さん達の思う壺ということだ。壺は統一協会ばかりではないようです。

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