玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

私たちは幸運な世代だった

2015-12-29 23:52:19 | 

今年の芸人の芥川賞作家の愛読書が太宰だと聞いた。先日、テレビで石原慎太郎が「太宰なんて、大嫌いだ。3回も心中しやがって、しかも最初の心中では、女だけ死なせてしまった。なんと女々しい奴だ」と云っていた。ふうん、どちらにせよ、我々普通人には、“今さら太宰”の感がある。

戦後生まれの我々は、あの厳しい受験戦争の中で、何で小説なんて読んでいたんだろう。今振り返れば、何の役にもたちはしない。まあ、そうではないという御仁もいるだろうが、私にとっては、かつてのその為の読書時間がもったいないような気もする。それでも読んだのは、小説は一種の娯楽であり、まだ見ぬ大人世界への疑似体験のつもりであったのだろう。

でも、自分に与えられた現実は、漱石のような知的生活にも全く縁がなく、太宰のように一緒に死んでくれる女性にも全く巡り会う筈もなく、今日まで地道に単調に暮らして、結果皺くちゃな顔と白髪頭となり果てた者には、小説とはいったい何だったのだろうか、と振り返ることがある。

しかし、図書館に行くと、小説本はほとんど中心スペースにあって、分類番号で言うと、所謂900番台の文学が圧倒的に多い。また、ブック・オフに行くと、あの108円の文庫物の多さに圧倒されてしまう。日本人と云うのは、かくも現実を嫌い、嘘や、夢や、この世にあり得ないことが、如何にも好きなようである。それとも人の一生とは、あまりに単調で退屈だからなのだろうか。尤も、それは、中東の人々にとっては、遥かなる手の届かない夢の生活でもあるのだが。

ともかくも、日本では、我々の住む戦後時代は、今日までの70年間、他国に武力を使って侵略・浸食したことはただの一度も無かった。また、自分の意に反して国家警察に拘束されたり、ましてや、存在そのものを国家機構に圧殺されたこともなかった。長い人類の歴史上で、この国の戦後を生きた世代の時間は、実に稀にだが、戦争のない、自らも戦争に行かない、幸運な時間でもあった。しかし、どうも最近の自民党政治を見ると、この幸せな時間が後代に続くかは、若干怪しく思えてきた。

これからの時代は、出版界は望んでいるようだが、小説を読む人間が増えるのではなく、小説のように生きることができる人間が増えるべきだろう。そのためには、幸運にも、GHQのほんの一部の理想家たちが、無造作に置いていってくれた世界で一番平和的で民主的な現憲法を、小説も読んだことも無さそうな、一人の人間として魅力もさほど無さそうな、ただ国家権力と自分自身の一体化を仕組む、油断も隙もない、策略的人間像しか見えてこない政治家たちのリードで、現憲法を改正することだけはほんとうに勘弁してほしいものだ。まあ、こっちは死んでしまうけど、後に残された若い者が可哀そうです。

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東海道 宮宿

2015-12-22 14:06:07 | 散歩

先日の伊勢参りの帰りに、東海道「宮の宿」に立ち寄った。旧東海道は多くの川が交通の障害となるが、ここ宮宿と桑名宿は船で渡ることになる。通称『七里の渡し』と呼ばれる。まさにその距離は七里という事らしい。(写真はクリックすると拡大します)

 七里の渡し

 常夜灯

 付近の古い建物 

東海道にはこうした渡船場所は天竜川・相模川・多摩(六郷)川にもある。このほか、かの有名な大井川や安部川等、人力に頼る多くの徒渉箇所がある。(『宿場の日本史』宇佐美ミサ子)

江戸幕府は何故橋を架けなかったのは、軍事的・政治的目的という説、或いは、経済的・自然的理由という説が分かれるが、いずれにせよ、江戸徳川体制の前近代性を物語るものだと思う。まあ、今の時代から見ると、緩やかな時間の流れの時代であったことは確かだろう。

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今も昔も

2015-12-16 11:32:11 | 

司馬遷の『史書』の「刺客列伝」の章には、「士為知己者死・・・士は己を知る者の為に死す」とある。意味は「男は己の理解者のために命をかける」という事だろう。この文章に、「女為説己者容・・・女は己を説(悦)ぶ者のために容(かたちづく)る」と続く。これは解釈は不要だろう。不思議にも、二千年余の時を超えて、今も言葉が生きている。

同じ章には、趙の国の襄子が権勢を誇った智伯を殺した後、そのしゃれこうべに漆を塗って杯にしたという。千五百年後の日本の戦国時代に同じようなことがあった。あの独創的な織田信長にも手本があったのか。ふーん、言葉は時の空間を簡単に飛ぶ。

◆先日の旅より

  香川高松の朝の空

  神戸三ノ宮の夕べ

 

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ええじゃないか

2015-12-05 21:17:43 | 旅行

生涯二度目の伊勢参りをした。伊勢市駅を降りると、式年遷宮を経て、駅前は整備をされて、外宮も前よりも賑わいが感じられた。 

外宮  

社殿の近くからの写真撮影は禁止であるとか。

前回は内宮まで歩いたけど、バスに乗って内宮へ移動した。

内宮  鳥居から先に異空間があるように感じさせる雰囲気はさすがだ。 

おかげ横丁で鯛茶漬けと赤福とぜんざいを食う。おみくじ 橋の上から

おかげ参りのありがたさは一回限りかな、と思った。

江戸時代、おかげ参りは1705(宝永2)年頃から、60年周期で起こり、幕末の1867(慶応3)年の「ええじゃないか」騒動につながっていく。まるで流民や暴徒のような庶民の、蟻のような群列は、箱根の関所、新居の関所をどうやって突破したのか、天竜川や大井川をどうやって渡ったのか、私は知りたい。ただ、その巨大なエネルギーに驚き感心するとともに、当時の農民の一生一度の夢が、有名な社寺の参拝であったというもどかしさと哀れさを見てしまう。そこで、今の我々の自由さを思い起こす。今の時代の日本人たちは、自らの境遇や置かれた世界の偶さかの幸運を、余りにぞんざいに扱っていないだろうか。まさに、これでは、ええじゃなかろうに!

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うどん県に行く

2015-12-03 22:15:18 | 旅行

今年2度目の高松訪問 

相も変わらずうどん   

街の名物、荒物屋の猫 

それにしても、人が少ない  

地方は元気がないのか、ちょっと気になる。

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