この国の憲法では、国民には最低生活の生存権があります。議員にも政党交付金で生存権を与えた筈です。
社会慣行のとしての寄付や献金を決して否定するものではありません。
当節の自民党、立憲民主党、国民民主党の諸兄は議員の体裁生活権を主張しているように見えます。
裕福で上級層の見映えを得る為に、政治家としての必要な生活権を求めているようです。この程度の性向の人間にイイ政治ができるのでしょうか。
この国の憲法では、国民には最低生活の生存権があります。議員にも政党交付金で生存権を与えた筈です。
社会慣行のとしての寄付や献金を決して否定するものではありません。
当節の自民党、立憲民主党、国民民主党の諸兄は議員の体裁生活権を主張しているように見えます。
裕福で上級層の見映えを得る為に、政治家としての必要な生活権を求めているようです。この程度の性向の人間にイイ政治ができるのでしょうか。
殆どテレビは見ないが、昼食の時に静かさに耐えれるような美味い物を食べてないので、何となくテレビを点けてしまう。
今日は5(テレ朝)をつけると何とかワイドショー、ロシアのことをやっていた。悪いが何も知らない人たちが、ディレクターの求める方向に口をパクパクさせているだけにしか見えない。
6(TBS)は「ひるおび」で、ウクライナのことをやっていた。要するにアメリカの支援疲れを言いたいだけ。
ジャニーズを使わなくなったら、テレビはどうするのだろう?吉本雛壇劇の独壇場になるのか。
昨日のアーク・タイムズで、ジャニーズ・ジュニアの練習場をNHKが提供していたと報じた。近くで借りた施設は年間で億単位の費用だとか。
おいおい、公共放送で受信料を取る放送局が共犯者だよ、言葉を失う、…。
まあ、どうせテレビは見ない、今度テレビが壊れたらもう買わないし。
町で見た牛と車、今度マアマアの肉でも食いたい。
後から考えて、あの時に大きく間違えたと思うことがある。
それは随分と昔のことだが、…。
私が大学に入るころは、公立高校を落ちた人たち、或いは、希望の公立高校に入れない人たちが私立高校を選んでいた時代であった。
当時は麻布も開成も東大合格者は日比谷・西の後塵を拝していた。
不思議だが、そんな時代があった。ということは貧乏人の子供でも頭が良いか、並外れた努力をすれば、東大に行けた時代があったのである。
それが或る時、新聞が、受験競争が厳しいから自殺者が出たとか騒ぎだし、天野貞祐とかいう偉い人が中心となって、都立高校の入試を学校群制に変更し、希望の高校に必ずしも入れないようにし、都立高の加熱した受験競争を止めて、旧府立系の進学高の平準化を進めた。一見、民主的かのように見えた。この学校群制は千葉県や愛知県など数県にも波及した。
結果どうなったか、都立高の受験熱は冷めたが、麻布、開成、灘、ラサールなどに優秀な者が集まり、全国の私立校が東大入学者の上位を占めるようになった。
都立高は押しなべて、進学校から誰でも行ける普通の高校に滑り落ちた。
その後、東大の学生の方が早慶の学生よりも家庭収入が高いというニュースがあった。つまりは東大が潤沢に受験準備に投資できる金持ちの子供の行く大学になってしまったようなのだ。
それが理由ではないだろうが、近頃の官僚の金へのこだわり、金への執着、天下りへの忖度が目に余る。天下りを含めた生涯賃金で今までの教育経費を取り戻そうとしていると疑ってしまうほど、倫理観の喪失が窺える。
公共の事、国民を、国家を考える人材の養成が官僚予備校である東大の使命ではないのか。もう優秀な官僚ではなく、民間と変わらぬ私欲や出世の為に官僚をやっている人ばかりになれば、もう東大の存在価値がないのではないか。
振り返れば、あの時に安い授業料で優秀な人材を育てる都立高を潰させた。要は、公平で平等な教育行政を破滅させた失敗は、今もこの國の教育を歪めている原因にもなっている。
その底意にあるのは、経営に貧した私立学校側が自民党筋を動かした結果の歪んだ教育改革ではなかったのか、と疑問視している。
現在は、都立校や神奈川の公立校も総合高校などを造り、大学進学にも熱心になったようだが、今また、私企業の請負による英語の聞き取り試験の導入などと云うと、・・・。
また、政治が邪魔をして、教育分野を荒廃させていくことを危惧する。それを進めているのは、自民党教育族の誰だろうか。
豆大福と云えば、東京の「岡埜榮泉」、湘南では「伊勢屋」?
あくまでも、個人の私感ですが。
昨晩「2021衆議院選」デモクラシー・タイムで、立民党の敗因を「政権選択選挙」と掲げたからと、畠山理仁氏が言っていた。
確かに、国民は枝野を首相にさせる程に信頼を置いていない。ただ悪魔のアベ・スガ政治に少しお灸を据えたいだけだった。
枝野立民党は成長していなかった。古い背広で街頭に出てきた。変わったのは青いマスクで顔が見えなくなっただけ。
まだ民主党にこだわっていた。だから執拗に「立憲主義」に固執し、逆に略称はダブっても「民主党」とする。
それで、どれだけの民意が削がれたかお構いなし。あまりにスガの人気が無いので、立民党だけで勝てるという甘い幻想に酔っていた。
口では国民の側に立つと言いながら、地元に足を置かず、霞が関で週刊誌種で官僚をネチネチと虐めていた議員は今回は苦戦を強いられた。
野党はあらゆる面で恵まれていないのに、自民と同じ手法をやりたがる。やり方も工夫が無い。自民党が国会を開かないのは憲法違反と責めるだけ。自民党内の総裁選でマスコミを占領してると文句を言うだけ、それなら自分たちもやればよかった。
今回は立民党のリベラルでなく「保守」が見えた。枝野の100議席野党の弱小野党への傲慢と排除が見えた。枝野が好きな「愚直」は、結局万年野党のぬるま湯の中のことだった。
湘南にも牧場がある。
国民審査では選択的夫婦別姓に背を向ける4人の裁判官の✖が特に都市部で明確に出たそうだ。
これを見ると、この國の国民は確かに頭がいい。
今回の選挙結果には何か重大なモノが隠れているのだろうが、今はよく解からない。
どちらにせよ、四年に一回の「主権者の意識動向調査」が終わった。
これをどう捉えるか、我々年寄りの個人の力量が試されているのかもしれない。
そろそろ高齢者は退場しろと、黄色カードを突き付けられているのかもしれない。
現在の二者択一の小選挙区制でなく、昔のような中選挙区制度であれば、我々高齢者は、若い人に働く場と同じように政治の場も譲る選択肢もあるのかもしれない。
ふとそんなことが頭を掠めた。
あれほど自民党に、医系技官に、コロナ対策の無能さ・無力ぶり・怠慢を見せつけられて、自らの命も若干危険に曝されても、決して選挙行動に動かない自国民の人権意識をまったく理解できない。
今日も高齢者のウバー・イーツ(Uber Eats) を目にした。
菅に言われなくても、この國は<自助>の国なのかもしれない。
誰も好き好んで生活保護を受けたいわけではないが、今の時代は自力でどうにもできない程に草臥れた社会になっていないだろうか。
この動脈硬化のような病化した社会を何とか明るくすることが、立派な理念や政策よりも優先されるもののような気がしている。それが今の政治の最優先事項だと思う。
松山の大街道アーケードの飾り物、四国の都市はアーケードがどこも立派だ。