『歴史の発見』(木村尚三郎 中公新書)を読んだが、現代史・現代社会の起点を1930年代のビック・ビジネスの擡頭の時期に求めていた。この時期に1929年の世界大好況を契機として経済の国家的規模での計画化と再編成が可能となり、そこから現代が始まった、とあった。彼は1930年生まれ、彼にとっての「現代」は彼自身の「生の時間」と一致していた。私は、何となく「現代」は太平洋戦争敗戦後に置くのが一般的であると考えていた。ふと此処に来て、「近代」と「現代」の区分が解らなくなってしまった。
自由社の『日本人の歴史教科書』は当然のごとく、終戦後から「現代」とされていた。終戦を境界にその前後に明確な断絶を入れている訳である。仮に、現代が1930年代から始まるというのであれば、日本にとって、1931年の満州事変が「現代」という括りの中に現前と在ることになり、戦後70年過ぎても、十五年戦争というものが身近に、かつ重く圧し掛かってくることになる。
いや、よく考えてみると、西洋では「近代」と「現代」を一括してmodern(=近代の、現代の)と云うのではないだろうか。日本では明治維新以降、高々140年に過ぎないが、そこに「近代」と「現代」の二つの時代区分を置いている。且つ又、近代と中世の間に江戸時代等の近世を入れている。日本は時代区分を小分けにするのが好きなのだろうか。
此処で、帝国書院の『中学生の歴史』をみると、中国が日本の侵略を国際連盟に訴えたことが記述され、南京大虐殺や、植民地における皇民化政策を記しているが、かつ巻末年表では、「現代」と「近代」を分けず、幕末以降現在までを、「近現代①・近現代②・近現代③」と大括りにしている。一方、自由社の歴史教科書は、日本が行った「大東亜会議」や「アジアの解放」は記述されているが、どうも植民地、侵略、虐殺の文字が見あたらない。そして巻末年表の時代区分では、ポツダム宣言受諾以前を「近代」とし、それ以降を「現代」と区分している。
時代区分、何やらそこにも重たいものが横たわっているようだ。近々「戦後70年談話」が発表されるとの事だが、果たしてどうなることやら・・・。