玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

二月と言えば「二・二六事件」(後)

2024-02-23 11:28:19 | 近現代史

そう云えば、テレビや歴史劇では、兵の投降を求める「兵に告ぐ」と記憶していた。

案外、「下士官兵に告ぐ」が正解だったのかもしれない。約1400名の反乱部隊であったが、1月10日には大量の新兵が入っているので、将校団と下士官の分裂を意図したビラを巻いたのかもしれない。

この辺はもう少し調べねばなるまい。松本清張の『昭和史発掘』には触れられているかもしれない。

ヘッポコ・クーデターしかできなかった青年将校が、実はいろんな係わり方をしていて、単に農村の貧困の問題解決ではなく、中には軍部内の階級闘争を考えていた者もいたのではないかと、今は考えている。

とくに磯部浅一には、此の圀を破滅に追い込んだ頭でっかちの「幕僚という化け物」の官僚の存在を全否定する一種の陸軍内の階級闘争があったと思いたい。それでこそ彼らのどん底の悲劇が少しばかり意味があって、報われる気がする。

それに関して、松本清張はどう考えていたか、それを知りたいのだが、…。読む終わるには、この先時間があるのだろうか。

 

 

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二月となれば「二・二六事件」(前)

2024-02-22 10:43:55 | 近現代史

今年に入って、松本清張の『昭和史発掘』を読んでいる。退職後に買い集めてほぼ1~9巻まで揃えたが、昭和史全般ではなく、二・二六事件が殆どであることを知った。(実際は5巻~9巻まで)

だが、清張が何故二・二六事件に拘泥したのか、近頃気になってきたのだ。

先日、参考図書として高橋正衛『二・二六事件』を読み終えた。

以前に読んだとき、根拠や切り口がしっくりこないので、文献資料としては外していた。

今回読み返して気が付いたこともあった。まず二・二六事件はこの老いぼれ軍人たちの狂騒曲が一因であった。

真崎甚三郎、荒木貞夫、この二人は陸軍大将となり、荒木は陸軍大臣、真崎は参謀本部次長、教育総監を勤め、これ以上に何の望みがあるのだろうか。彼らが皇道派の頭領でもあった。

皇道派と言っても、実体は鍋島藩、土佐藩系統の藩閥であり、サーベル替わりに日本刀を推奨した時代遅れの軍人たちであった。

荒木は陸軍大臣時代は人事が好きで、人事案に赤鉛筆で訂正するのが無上の喜びであったそうだ。

当時は命を懸ける戦場はなく、三宅坂の三官衙が戦場である軍人の官僚(幕僚)の典型であった。

ふと人事で矜持を引っ込める、今の霞が関の東大官僚、とくに税金逃れ議員を許す財務官僚を思い出す。

戦前で云えば、差し詰め陸軍大学校を出たエリート幕僚だ。しかも超エリートは陸軍幼年学校を出ている。今の開成や灘かな。変な風に似ているのが恐い。【次へ】

 

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近現代史の裏側(30)―野望というほどの思いもなく―

2024-02-02 11:22:57 | 近現代史

木戸は維新の勲功華族で学習院から京都大学に行き、そこで原田熊雄と近衛文麿に会う。近衛は西園寺公望の寵愛を受け、六尺を優にこす偉丈夫と五摂家筆頭の家柄・血筋で若くして政治の舞台へと引き立てられていく。木戸は近衛の推薦で内大臣府秘書官長の職を得る。常に近衛がシテで、木戸はワキ役であった。

第一次の近衛政権では閣僚にも抜擢される。そこで、彼は近衛の実像を見てしまったのだろう。どこか近衛の能力を疑いながらも、西園寺の影響のある時は静かにしていた。

近衛は自分で宰相の器でないと気付いていたのか、秘かに名誉ある身の振り方として内大臣を狙っていた。しかし、原田は、木戸の内大臣、近衛の首相を夢見た。

夢のお鉢が木戸に廻って来た。天皇自身が判断したらしい。昭和天皇は、夢見るズボラな近衛より面白くないが几帳面な木戸を選択したようであった。

軍部は自らが止められなくなった侵略行為を実現する為に夢見る大きな人形として近衛を欲した。近衛は内大臣を木戸にとられ、それでも周りには「昭和研究会」等の夢を齧りたい取り巻きが離れない。彼はもう一度難しい舞台に立つが、今度は西園寺が見限っていた。

彼は西園寺という後見人を失い、友の木戸の権力欲の前に、そして天皇からの信頼を失い、命綱のアメリカとの巨頭会談も潰れ、脆くも政権は倒れ、日米戦争を目前にして逃亡していく。「私は戦争する自信がない、自信のある方でおやりなさい」というのが彼の最後の言葉であった。

木戸は、近衛が姿を消す時に、門前市を為すが如く、軍部官僚が押し寄せ、権力が目の間に転がっているのを体感したに相違ない。

木戸は母方の尊皇攘夷の志士の来原良蔵の血筋を受け、躰は五尺足らずであっても、武士の不遜な暴力性があり、大伯父系の木戸孝允の緻密な頭脳をも併せ持った、これ又、東條の軍人官僚と同様に戦前の高級官僚であった。

彼はA級戦犯として、1955(昭和30)年12月16日に釈放された。この日は近衛の祥月命日だった。1969(昭和44)年木戸の80歳の誕生日(7月18日)に天皇は皇居新宮殿にお召しになった。その間、天皇と会っていないようだ。

 

毎日記者藤樫準二のメモには、木戸の言葉がある。「終戦が天皇と鈴木首相が骨を折ったことになっているが、そのお膳立てをしたのは内大臣の自分である。陛下の御気持ちと国情を察して強引に私が実行したまでで、私の苦労、決断は容易じゃない。」

【終わり】

【参考文献:工藤美代子『我巣鴨の出頭せず』中公文庫、木下道雄『側近日誌』文芸春秋】

 

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近現代史の裏側(29)―戦前レジームは残る―

2024-02-01 14:04:32 | 近現代史

木戸の野望はいつから始まったか、と考え始めた時に、東條と木戸の共通項が浮かんできた。常に成績主義の参謀幕僚の世界で、二代目軍人としての東條は陸大卒としては恩賜の軍刀組(同期の6位以内)ではなかった。しかし成績10位内に入っていたから当時のドイツ・スイスに武官留学できた。そこで梅津美治郎と永田鉄山と大使館の東郷茂徳と会う。一つの運命的な出会いがあった。

帰国してからの東條は、永田の金魚の糞のように振舞い、いつも永田の陰になって生きてきた。1935年8月の相沢事件で永田軍務局長が隊付きの将校に斬殺される。そして、東條は独り立ちした訳だが、カミソリ東條と言われる所以は『杉山メモ』の大本営・政府連絡会議の記録の中に十分にくみ取れる。しかし、彼は切り返し論法が上手かっただけで、結局中身のない、石原莞爾のような大局観が無い、単なる能吏の言葉でしかなかった。

結論から言えば、彼の主張は「9月6日の御前会議の後に既に軍隊は満州・支那からも続々と南方に向け移動している、もはや戦争はとめられない」と言っているに過ぎない。そして、「支那事変の成果に動揺を与えることなし」と云って、有るか無きかの戦争の成果に手を触れぬな、と言っているだけなのである。この手の軍人の云うセリフに「血で贖った」という言葉が出るが、実は「自らの失敗を隠蔽し、体面を守るため」が本心なのであろう。【次回へ】

【参考文献:参謀本部編『杉山メモ』原書房、赤松貞雄『東条秘書官機密日誌』文芸春秋、ほか】

これって、今に似ていないか。「万博は決まったのだから、既にゼネコンに発注し、次の儲けのためにパー券買ってもらったから絶対止められない」「かつての東京オリンピックと大阪万博の成功例の国民の夢を潰すな」と同じだ。此の圀は戦前と変っていない。

大上段に、脱却するような「戦後レジーム」なんて存在していない。それより、依然として残る「戦前への回帰」の方が問題だと思えるのだが、…。

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近現代史の裏側(28)―木戸の野望―

2024-01-26 13:59:27 | 近現代史

『木戸日記』では「9月6日の御前会議の再検討を必要とする見地より、東條陸相に大命降下を主張す。…反対論はなく、廣田・阿部・原の諸氏賛成せらる」とある。

重臣会議の賛成者は、原は首相経験はなく、枢密院議長である。廣田は外相出身である。阿部陸軍大将は木戸の娘が嫁いでいる身内である。つまり枢要な重臣ではない。

二・二六事件で殺されかけた岡田海軍大将、陸軍によって内閣を潰された米内海軍大将、何よりも陸軍の林大将ら首相経験者の意見が、『木戸日記』には全く書かれていない。

東條への大命降下は木戸が強力に推した結果であったのだろう。

『木戸日記』の中には、天皇の労い言葉の「虎穴に入らずんば虎児を得ず」が出てくる。これは戦後「東京裁判」に日記を提出する際に、東條の推薦が天皇に褒められた(認められた)証拠として、木戸が敢えて残したと推測する。

だが、9月6日の御前会議の開戦条項を白紙化するとの奇策を打った東條の首相起用を「虎児」と譬えても、結果は、たった二週間程検討しただけで、開戦路線を止めることはできなかった。

半藤一利は、この本の解説の中で、東條の首相就任は宮廷政治家木戸の「野望」と見ている。

東條の野心は「英才と言われたが、長州閥でない為大将になれず、不遇だった父英教の無念を晴らす」とみるが、木戸の野望とは、一体どのようなモノなのだろうか。【次週へ】

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