玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

官僚は鼠の如く国家を齧る

2022-10-31 10:24:21 | 政治

岸田内閣の混迷は、先を読んだ官僚が穴を掘っているのではないか?

宗教団体の解散に関わる想定質問に「民法の不法行為」に関する答弁が無かったということらしい。

普通は最悪の場合の答弁まで用意するのが官僚の普通の能力でしょ。ましてや、質問者の意図を確認か、予測している筈なのに、さすれば、明確な刑法優先、民事回避の合理的な説明を用意すべきであり、それをしていないのは単にサボタージュなのか?

法学部出身の岸田首相は答弁しながら何かの恣意に気付いたのではないか。だから翌日変更したのではないか。

これは自民党内の悪意なのか、それとも官僚が掘った落とし穴なのか。

かつて民主党政権の鳩山政権の時も同じようなことが行われたのではないか。

もう岸田政権は、官邸官僚たちに見放されているのではないか。だから岸田は息子を入れたのかもしれない。それで、自分の権力も終わるので息子を任用したのかも。

自民党も公明党も官僚なしで政権運営ができないし、国会での答弁能力は皆無だ。これが偽らざる真実であろう。マスコミもネットも、政治の裏方には官僚という黒子が居るという視点に欠けているような気がする。

実りの秋。

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覆水盆に返らず

2022-10-28 10:26:57 | 政治

かつて民主党政権になった時に自民党が壊れると思った。あの時、財界の政治献金は徐々に自民党から離れて行っていた。

しかし、政・財・官のトライアングルの悪だくみの中で知らぬ間に復活してしまった。それを引き戻したのは、官僚の天下りという既得権益だったと思う。

その後の安倍政権は内閣人事局によって官僚人事を牛耳ったが、アベ・スガに都合のよい人材を優遇させた結果、トップは愚劣な人物がのし上がったが、その下は従来通りの役人天国に戻ったこと言うまでもない。

この国の平成以降の経済の劣化は、高級官僚の無能な、無用な、口出しが原因だと思う。今や、この国を傾けているのは、戦前から延々と生き残った官僚制にある。

安倍氏は復活自民党政権で、大派閥・大企業・忖度官僚のトライアングルを造った。今その大派閥が成立する為の宗教系集票マシンのカラクリが世間に知られてしまった。

結局、突きつめれば、偽物の、騙しの代議制民主主義だったことが、戦後70年経って自明となった。

必死になって、それを隠そうと、或いは忘れさせようと自民党の議員たちは頑張っているようだが、どうだろうか?「覆水盆に返らず」ではないだろうか。

柿の秋。

 

 

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日米戦争 ―来栖全権大使派遣は欺騙外交なのか?―⒂

2022-10-27 10:19:05 | 近現代史

たった3週間しか交渉の時間がなかったのに、来栖を全権大使として派遣した東郷外相は此の危局を救うためにあらゆる方法を尽くしたい、と言ったが、来栖が寺崎と共にルーズベルト親電を実現させたいと本省にお伺いを立てたら、東郷は「木乃伊取りが木乃伊になった」と評した。

彼は日米交渉決裂即開戦の場合に備えて、軍人上がりの野村大使ではなく、プロの外交官である来栖大使を現地に派遣して置きたかったではないかと思っている。

敗戦後の東京裁判では来栖大使の派遣は「欺騙外交」と疑われた。

史料によれば、11月3日に来栖派遣が決まる前の11月1日に、東条首相兼陸相と杉山参謀本部総長との会談があり、そこで東條は「御上は正々堂々とやることをお好みになることを考えると、今開戦を決意しその後欺騙外交をやることはお聞き届けにならぬと思う」と述べている。しかし成功するならば、やむを得ないとも述べている。

だから東條首相は、東郷外相の来栖派遣に賛成したのではないか。

それは最後迄外交に手を尽くすために、来栖を全権大使として送るのだという絶好のポーズになるからだろう。アメリカは来栖の派遣を疑っていたが、一応受け入れた。天皇は外交を尽くすという建前から来栖の派遣を当然と思った。

此処に、外交交渉の成果が見込めない来栖の派遣は、天皇とアメリカの両方を騙す二重の意味を持っていたことが分る。

11月29日海軍の永野総長が東郷外相に奇襲の日を教えた時に、「戦に勝つために外交を犠牲的にやれ」「我が企図を秘匿するように外交をやれ」「国民全体が此の際は大石藏之助をやるのだ」と言ったとか。

これらの史料は『杉山メモ』として昭和42年に刊行されているが、この文書の出処は参謀本部の作戦参謀たちが、仮令至上命令と雖も燃やせなかった、そして装丁を変えて遺した公文書であった。

これが東京裁判時に発見されていたら、どうであったか?と思う。

現代に置き換え、今の民主主義憲法下において、国家官僚が一人の内閣総理大臣に忖度して、公文書を改竄したという行政府の劣化は如何ともし難いという認識の上に、政治と行政の両側の人品の劣化に愕然とする。(次回へ続く)

【参考文献:東郷茂徳『時代の一面』、参謀本部騙『杉山メモ』】

 

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日米戦争 ―開戦前に外交交渉はできたのか?―⒁

2022-10-26 10:31:07 | 近現代史

かの有名な「虎穴いらずんば虎児を得ず」と昭和天皇に木戸内大臣が誉められた10月16日の東條内閣成立は、第六回御前会議(9月6日開催)の「帝国国策遂行要領」を一旦は白紙に戻したが、結局は、11月5日の御前会議に於てほぼ元に戻り、期限定めて外交交渉し、期限が過ぎれば12月初旬に攻撃する方向に決定される。

この御前会議の準備として、11月1日連絡会議で方針を協議した後、11月2日、東郷は廣田弘毅元外相を訪ねる。「米国の態度が予想外に強硬」「戦争の危険性大」によって外相を辞職したいと言う。

廣田に「もし辞職すれば、すぐに戦争を支持する外相を任命する」と言われた。そして、同じ文官の賀屋興宣蔵相の意向を確認すると、多数者に同調する姿勢と知る。

此処で勝負あった。東郷外相はこの日の正午に連絡会議の方針に同調すると東條首相に告げる。

その翌日の11月3日に、東郷は来栖の全権大使派遣を思い立つ。その意味は外交交渉に期待するよりか、本国の意向に確実に対応し、交渉決裂、即開戦に対応できる人材として送り込んだと思える。

東郷は外交交渉を半ば諦めていたのではないか。その悔恨があって、終戦時の外務大臣を引き受けたのだろう。

日米戦争を避ける外交交渉というのは、果たして可能だったのか?

最後に、東郷外相が全権駐米大使に送り出した来栖三郎は、12月8日の真珠湾奇襲から逆算すると11月15日にワシントンに着いていることから、実質三週間しかなかった。

という事は、既に日本政府という名の軍部政権は日米開戦不可避としていた。それを東郷外相が知らないはずはない。無論、東京裁判においては白ばくれただろうが。

能く能く考えれば、東郷外相の就任は10月18日でこれも真珠湾奇襲まで50日しかなかった。果たして、50日間で1931年満州事変以来の10年間の軍部の慢心と暴力をどこまで抑え、変えることができようか?

現在の政治に場面を移し替えた時に、人間は50日間で何ができるのであろうか?(次回へ)

 

【参考文献:東郷茂徳『時代の一面』、参謀本部騙『杉山メモ』、来栖三郎『泡沫の三十五年』】

 

 

 

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いかさまの経済

2022-10-25 13:37:46 | あれこれ

ネット配信の「現代ビジネス」の文中の一節に ―そもそも財源の裏付けのない「低税率・高成長」ビジョンは“自殺行為”と言えた。トラス氏はポピュリズムに突き進み墓穴を掘ったのだ。― とあった。そこから感じたことがあった。

英国のトラス首相が「アベノミクス」を信奉していたが、英国経済界は虚構の景気創出を許さなかった。

この欧米的な合理精神がこの国の経済・財政の評価に飛び火しないだろうか。

安倍政権というのは、無制限の国債発行、年金等の公的資金投入による株価吊上げにより、恰も成長する経済に戻るかのような幻想を国民の一部に与えた。

架空成長型経済(⇒「アベノミクス」)を創出したポピュリズム的政府の作った財源の裏付けのない架空の経済だったことが、そろそろ世界的な日本への標準評価となってくるのかもしれない。

その結果は、大幅な円安が更に止まらず、日本経済そのものの信用が失墜してくるのではないか。それが一番怖いことだ。

【辞書『言海』より】「如何様」実ニ然リト肯フ意二イフ語、「いかさま」似セテ真ヲ欺クコト、

左の「プラムの焼酎漬け」を飲んでみたら、けっこう美味かった。

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