無くなった大学の跡地を見た。
学生運動の最中、この学校の校舎の中庭に入ったことがある。砂埃が舞っていた。
早梅が冷たい雨に撃たれていた。少し歩くと、これも無くなるホテルと出逢った。
山の上ホテル
雨に打たれ、寒くて腹が減った。
スマトラ・カレー、一応、有名店だ。
ポークカレー 1,100円、味はマアマアでした。仲間の一人が無くなった大学の卒業生だった。
自分の通った大学の校舎が無い,…。けっこう淋しいだろう。
たぶんその時の大学関係者が狡い銀行屋にまんまと騙されたのだろう。
無くなった大学の跡地を見た。
学生運動の最中、この学校の校舎の中庭に入ったことがある。砂埃が舞っていた。
早梅が冷たい雨に撃たれていた。少し歩くと、これも無くなるホテルと出逢った。
山の上ホテル
雨に打たれ、寒くて腹が減った。
スマトラ・カレー、一応、有名店だ。
ポークカレー 1,100円、味はマアマアでした。仲間の一人が無くなった大学の卒業生だった。
自分の通った大学の校舎が無い,…。けっこう淋しいだろう。
たぶんその時の大学関係者が狡い銀行屋にまんまと騙されたのだろう。
昔々、大学で仏語を落としそうになって、水道橋のアテネ・フランセに通ったことがある。
帰りにわざわざ「舟」という喫茶店に寄り、お茶の水の聖橋に行くと、眼下にニコライ堂の緑の丸い屋根が見えた。しかし一度として傍に行ったことがなく、ただ緑の屋根だけが残像として残っている。
どうしても一度そばでしっかり見ようということで、仲間で行くことになった。
先ずは、藤沢からJRで東京駅へ。コロナ禍で数年ぶりだ。
そして、中央線でお茶の水、聖橋口で降りた。外はけっこうな雨だった。
念願のニコライ堂。眼下では見えなかった。高いビル群の隙間にあった。
隣接する建物。
暫し眺めたが、存外に小さかった。何なのだろう、・・・。記憶はあいまいなものだ。
このごろ政治家になる人材がいないそうだ。居ても世襲か、野心家だそうだ。
そう言えば、野心が昂じて、つい悪い金儲けをして辞めていく議員が多い。
身を切る改革と言って、大阪では人材派遣を使って人件費を経済したようだが、結局2億円トイレや350億円の木造リングを造ったり、なんか品の無い悪い冗談のようだ。
市民や国民の身を切って、どうやら自分らの繁栄を求めるだけかな。「野心の会」と名前を替えた方が良いのじゃないだろうか。
自民党は裏金脱税で勝負があったのではないか。にもかかわらず、彼らは知らん顔して登場してくる。
普通の人ならば、もう外は歩けない、友人とも会えない、そんな状況なのに、シャーシャ―と人前に出てくる。
こんな国があるのだろうか。
いやあ、あるんだな!この国の宗主国ではトランス様がのうのうと選挙に出て来られる。
そう云えば、テレビや歴史劇では、兵の投降を求める「兵に告ぐ」と記憶していた。
案外、「下士官兵に告ぐ」が正解だったのかもしれない。約1400名の反乱部隊であったが、1月10日には大量の新兵が入っているので、将校団と下士官の分裂を意図したビラを巻いたのかもしれない。
この辺はもう少し調べねばなるまい。松本清張の『昭和史発掘』には触れられているかもしれない。
ヘッポコ・クーデターしかできなかった青年将校が、実はいろんな係わり方をしていて、単に農村の貧困の問題解決ではなく、中には軍部内の階級闘争を考えていた者もいたのではないかと、今は考えている。
とくに磯部浅一には、此の圀を破滅に追い込んだ頭でっかちの「幕僚という化け物」の官僚の存在を全否定する一種の陸軍内の階級闘争があったと思いたい。それでこそ彼らのどん底の悲劇が少しばかり意味があって、報われる気がする。
それに関して、松本清張はどう考えていたか、それを知りたいのだが、…。読む終わるには、この先時間があるのだろうか。