近頃、kindleを買ってみた。iPadで寝ながら読んでいる。確かに絶版になった本が手軽に手にはいるのはありがたい。今読んでいるのは、重光葵『昭和の動乱』という本で、巣鴨プリゾンに収監されていた時に書かれたとか。
まだ途中だが、先日、「軍閥とは藩閥のようなもの」というふうに書かれていた。本のようにしっかりと活字で再確認できないもどかしさは残る。ただ、かねてよりそう思っていた。秦郁彦や伊藤隆といった実社会を知らない学者が言うよりも実際に外交官として軍人たちに接した重光の言葉は重い。
明治にできた軍隊は、初めは長州閥・薩摩閥が席巻した。少し経って佐賀閥、土佐閥、…と、昔の藩別による軍閥をつくるようになる。
要するに、軍閥は江戸幕府を倒した時の西国雄藩に続々と繋がってくる。ただし、賊軍の東北の軍閥はない。
ところが、軍部はそうした古き藩の地域軍閥とは別に、今度は世襲軍人が入る幼年学校卒(軍人の子弟は授業料が安い特典がある)が軍部を支配するようになる。
この幼年学校卒は陸軍のエリートとなり、やがて政治的な軍人となる。東条英機(岩手)、石原莞爾(山形)という賊軍の東北勢が出て来る。所謂「統制派」という輩である。
それに対抗したのが旧藩閥の佐賀・土佐の一党が強い「皇道派」の流れである。些か、強引で突飛な見方だと旧来の学者からは非難されそうだが。
さほど根拠があって言っている訳ではないが、ふとそう思うのである。(続く)