今度の加計学園で安倍政権の裏技の定型化した手順が解りました。
ミスター・アベが心を許している人間は少ないようだ。ごく親しい人たちの付き合いを大事にしている。だから、裏を返せば、その人たちの懇願しか聞かないようだ。しかし、彼は一旦その要望を聞く否や、存外やることは大胆である。
それが森友学園の8億円値引き譲渡や加計学園の無償譲渡である。そして必ず、国の補助金の付与と事務作業の異常な速さというおまけがつく。構造的には簡単で、土地の払下げと補助金の交付と迅速な許認可という三点セットの国家財産の特別サービスである。
それをマスコミや議会で指摘された時は、あたかも職を賭すかのような大見得を切って、自己の正当性を主張する。一方、現実に手を染めた官僚軍は東大出で頭が良いくせに不器用に不格好にただ知らないと繰り返すばかり。他方、内閣府や官房長官は全く根も葉もないデタラメ、虚偽とばかりに小便をかけられたカエルの面のように白い眼で惚ける。
同じことを二度も見せられる国民の不快はどうしてくれるのか?同じ魚を同じように取り逃がす民進党議員の腰の引けた無様な姿の付録もある。そして、なぜだかお定まりの、政権に都合よく切り貼りした報道という名の広告媒体のテレビや活字が暗躍する。段々この構図飽きてきました。
この国の民主制は確実に退行している。まるで自力での生殖能力を失った牛のように、・・・。やがて日本人は美味い和牛のように他国にパクパクと喰われてしまうだろう。まあ、その時は、僕はいないだろうが。
タイ~ラオス~タイ~カンボジアと旅してきた。シェムリアップのオールド・マーケットの隅のカフェで独りで珈琲を飲んでいた。異国に居るのに、全く危機意識のないボーとした奇妙な空間の時間であった。もう旅先でポックリ逝っても不思議のない年齢となったのだ。
確かに自分の生命の旅の終盤を迎えたのだ。人間は老いると、自ら成し遂げてきた事より、若い頃に遣り過ごした、遣り残した事に挑むという。しかし眼の前に残された僅かな時間を考えると、此処で、何を優先させるかを考え直さなければならない。
そんなことを最近考えて始めている。政治や世間に憤ることも、社会や人間に関わることも、新たな事を知ろうとする意欲も、これから更に減退するだろう。もう街を早足で歩く普通の人々に付いて行けない年齢を自覚した。このブログも、古い電球が突然切れるように、或る日、ポッと消えていくことになるのでしよう。