玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

年金生活者のサーファー

2022-03-31 16:22:25 | あれこれ

まだ海はシーズン・オフ、しかも平日ならば、まさに地元の者ばかりだ。数年前から湘南の浜にいる地元のサーファーは高齢化して、ほとんど還暦前後といった感じです。

何度も言うようですが、年金生活者に五千円はいらないよ。政府はもっと苦しんでいる人に援助をしてください。

アベノミクスは株価上昇以外は失敗のようだ。ともかくは景気対策より、まずは一旦ゼロ金利を止めて、利子をほんの少しでも付けて欲しいものだ。それでないと、まともな金融業が成り立たない。ただ一部の輸出業者が儲かるだけ、全く偏頗な経済構造になってしまう。

もう小さな町から銀行がどんどん撤退して、そのうち預金するのにも料金をとられそうな気がする。

郵便局は労働条件が悪いのか、小銭の両替で手数料を取ったり、郵便物もちゃんと届くのか心配だ。それでも、正規だか、非正規だか、派遣だか、知らないが、必死になって働く日本郵政の社員の汚れた制服が気になる。

 

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木戸幸一の日記―11―「明暗」

2022-03-30 15:22:26 | 近現代史

1945年12月16日に、戦争犯罪の容疑で近衛と木戸は巣鴨拘置所に出頭することになっていた。

『木戸日記(下)』の12月15日のくだりでは、―

「…都留(重人)君来訪、キーナン(首席検察官)と会食せしことに話ありたり…」とある。

これには注釈が必要だろう。都留重人は木戸の実弟の和田小六の娘婿であり、都留はハーバート大出身で当時のGHQの高官にもハーバード大出身が多く、GHQ内に知人を有していたので、木戸は都留の筋からGHQ情報を得ていた。

翌日、木戸が巣鴨に出頭する、その朝のことだ。

『木戸日記 東京裁判期』の12月16日のくだりには、―

「今日は愈々巣鴨収容所に入る日なり。余等の結婚記念日なるも奇しき因縁か。…」

―と、強がりだろうが、かなりの余裕が感じられる。そこに近衛の訃報が届く。

「近衛公今暁自殺云々を報ず、甚だ残念なり。」

―と、一行の言葉が残される。たった一行である。

一方、死を覚悟した近衛文麿の12月15日の夜のコトである。

次男の通隆が「これと言って親孝行することもできませんで申し訳ありません」と言ったそうだ。

「親孝行って、いったい何だい」

―最後の晩の、近衛の返答がこれだった。(工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』から引用)

まさに敵を知る者、知らない者、その情報の格差。そして、両者ともに己を知らない者の夫々の焦燥の中での、二人の決定的な別離の瞬間を感じるが、…。

桜は八分咲きか、…。

 

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木戸幸一の日記―10―「祥月命日」

2022-03-29 10:05:55 | 近現代史

『木戸幸一日記(上)』には岡義武の冒頭の解説に「「昭和30年氏は仮釈放の措置を受け、…」とあり、『木戸日記 東京裁判期』の巻末には木戸孝彦が「父は1955年仮釈放を受けて…」と木戸の巣鴨プリゾンからの釈放が触れられている。

ところが、工藤美代子『我巣鴨に出頭せず』では、「昭和30年12月16日巣鴨拘置所から仮釈放された」と釈放された日にちが書かれ、「近衛の祥月命日を選んで釈放されたことを木戸は知ったのであろうか」と続く。

IMG_E2460.JPG

工藤は近衛の側に立って書いているのだから、気が付いたのであろうか。岡と息子の孝彦はあえて気が付かない振りをしたのだろうか。まして木戸が釈放された年は1955年、自民党ができた年である。吉田から鳩山に政権が代わるが、臣茂と言って憚らない吉田茂首相は木戸の釈放予定を昭和天皇に内奏したことは容易に推測できる。

昭和天皇は何を思って、近衛の祥月命日に木戸を釈放させたのだろうか?

1951年10月に、木戸は獄中から、松平康昌を介して、「講和条約成立後、…国民に対し責任をお取り遊ばされ、ご退位遊ばるるが至当なりと思う」と伝えたそうだ。(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(下))

私は、昭和天皇の木戸への返礼、或いは、返答であったと思う。そして、昭和天皇の心の裡は、近衛を棄てて木戸を選択して東條内閣を誕生させ、結果太平洋戦争に突き進んだことへの悔悛の情が近衛の祥月命日を木戸の釈放日としたと考えている。全く証明はできないが、…。

桜は咲いた、ともかく、・・・。

 

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歴史は繰り返すのか

2022-03-28 11:35:23 | あれこれ

プーチンのウクライナ侵略が引鉄になって、第三次世界大戦の予兆さえ囁かれる事態ともなっている。

プーチンの野望の果ての暴挙は、不思議にもこの世界を一挙に100年以上の昔に時計の針を振り戻してしまった。まあナポレオンの時代ではないが、少なくともスターリンやヒットラーの時代になってしまった。

ただ違うのは片手に原爆を持っているだけである。もう一方の手には、旧日本陸軍の満州関東軍参謀の石原莞爾と同じに、自分で爆発させて敵がやったと騒ぐ満州事変で使った策動があるだけだ。

それを「偽旗作戦」とか言うらしい。グーグルで調べれば、「敵になりすまして行動し、結果の責任を相手側や第三者になすりつける行為」とある。全く満州事変と同じ手口である。

ふと、変なことを思い出した。嘗て「歴史に発展の必然性もないし、法則性もない」とカール・ホッパーという人が言ったらしい。私も21世紀を迎えるころに「歴史は繰り返さない」とシニックを気取って、嘯いていた。

いやいや、私も死んだ父母と同じように、世界の醜いモノ、汚いモノ、苦しいことを、この目でしかと見ないと、あちらの世界には行けないのであろう、ということが少しずつ解ってきた。

先週、このコロナ下でも、戦争が勃発していても、土筆が出ていた、…。

 

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貧すれば鈍した国

2022-03-25 15:27:08 | ブツブツ

嘗て母から聞いた関東大震災のこと、決して戦争の話をしなかった父の背中、そうしたモノの重みを自分なりに想像してここまで生きてきたが、阪神淡路大震災、東日本大震災を見た。

既に身体はヨレヨレ、残す時間もそう多くないと、静かな老後を過ごそうと思っていたら、ここに来てコロナというウィルスに襲われ、「感染症」という疫病の脅威を目の前にした。

ジッと頬被りして、自粛していれば、厄災という類はきっと頭の上を通り過ぎてくれるものと思っていた。しかし、あまりの政治家の無能さに腹が立った。この国の永久与党である自民党なる議員の頼りなさ、頭の悪さ、性格の悪さ、がよく分かった。それ以上に、野党第一党の頓馬さや、動きの悪さ、視界の狭さに、腹が立った。

もうこの国は、モノづくりの巧みさや技が評価されないIT空間の世界では、経済的な優位の立場は戻ってこないだろう。個人としては、もとより豊かさや贅沢は求めていないが、自分なりに自由に動けること、考えられることだけを求めていた。

それすら段々困難な状況になるのではないか。まさにこの国は「貧すれば鈍す」である。

政治家の劣化や愚鈍はもはや日常化して、年金老人に5千円をくれるとか!5千円で票が買えると思っているのか!それは山口県や広島県や新潟県や京都府の話だろう。ということは、ほぼ全国ということになるのかな?この国の選挙というモノは金で票は買うモノなのかもしれない。

でも5千円もらっても自民党には入れないよ。それより駅で寝ているホームレスやネットカフェをねぐらにしている人たちにお金を上げて欲しい。それを要求するのが野党の役割だろう?それを意見形成できない野党にも入れない。

式次第が無いと、ゼレンスキーに拍手もできない小心者の政治家は要らない。みんなで投票ボイコットするのも良いだろう。あるいは投票率が50%切ったら選挙を無効にする法律を作って欲しいものだ。そしてその選挙区の候補者は全員落選というのはどうだろうか。

近頃、小さな葬式が普通になった。

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