玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

東北に行く

2014-10-26 10:11:42 | 旅行

今までずっと気になっていた東北の被災地に行ってきた。重い3泊4日であった。東北自動車道で仙台に行き、その後は国道45号線で南三陸町、気仙沼、陸前高田、釜石、宮古と被災地を回った。ずっと雨で薄寒い気候だった。

 東北の空

道中、まだ修繕されていない橋やひっくり返った住宅もあった。山間にはひっそりと仮設住宅があり、海に出ると、そこは「ただ何もない」ということだった。人の気配が無い、ともかく町が無く、有るのはうず高く積まれた土の山だった。陸前高田は12メートル嵩上げして区画整理事業を行っていると現地の新聞に出ていた。山間から海が見える港に出る時、津波の高さを表示したポールが現れる。ここまで津波が来たのかと驚かされた。人間の力を超えたどうにもできない水の高さであった。その水位から逃れる高さが12メートルなのかと理解した。地震・津波から3年半、ともかく道路はトラックが多い。復興景気は土を嵩上げする土木事業ばかりのようだ。人がいない、戻っていない、これから土を嵩上げし、元の場所に戻り、また依然と同じように暮らしたい。その気持ちはよくわかる。しかし、そこに人が住み、暮らすためには、まず産業があって、雇用が無ければならないだろう。ところがその見込みがつかない。今は、復興事業の土木関係労働者のための宿泊施設、コンビニや飲み屋は細々と営業しているようだが、他はどうもうまく行っていないようだ。

 釜石の街

釜石で一泊したが、最近開店したというイオンが妙に寂しい。雨かも知れないが夕飯時に客がいない。5時に飲み屋に行っても、5時半からだと簡単に断られてしまう。心は全く立ち上がっていない、と感じた。地元の人も言っていた。「ここの店は土、日休んでしまう」と。

今回の旅で復興の難しさをつくづく感じさせられた。復興はほど遠く、当面は復行に過ぎないが、それでもいい。

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縮小生活

2014-10-18 14:13:04 | 日記

先日の台風一過の翌日は、一日だけの朱夏であった。その日はすっかり夏が来て浮かれ気分で半ズボンを履いて街を歩いたけど、すぐにまた秋に戻った。今年の夏は確かに短かったのか、老化というのは、則ち体感する時間の流れが速いのか、どちらか判然としないが、もう人生の秋なのかな、いや確実に冬に向かおうとしている。先週、数年前に買った田舎にある土地を見に行った。周りはすっかり良い住宅地になって、更地の自分の土地には雑草が生え不法投棄物もあった。もう持ちきれないかな。8年前はここにロッジ風の家を自らの手で造るのが夢だったが、今のこの衰えた躰では、結局絵空事で終わった。その間夢を見させてもらったと感謝しよう。これからは物を片付ける、あるいは生活を縮小していくことを覚悟しなければいけないのだろうか。白秋から玄冬へという切替がそろそろ必要なのかな。

 白秋から玄冬へ

 

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日本の政党

2014-10-06 22:42:59 | 政治

自民党は、かつての政友会が票集めに使った地方の利益還元を基本に、負担は将来に先送りにし、現在の経済浮揚策だけを優先政策とする現実的利益誘導主義の政党であり、一番の特技は、国民を欺く技術が天下一品であることだ。最近は、憲法9条の解釈で、また国民を騙そうとしている。かつて日本の軍国化の如意棒となった「統帥権干犯」は、帝国憲法の第11条、12条の解釈から始まったことを政治家諸士は肝に銘じてもらいたい。

1923年には、ワシントン会議の世界的な軍縮方向の余波を受けて、議会は珍しく一丸となって軍制改革を進め、一定の軍縮の成果(山梨・宇垣軍縮、地方幼年学校の廃止)をあげたが、地方都市からの聯隊廃止反対運動に腰砕けになり、途端に「軍縮はもう終了した」として、行政全般の整理にすり替えてしまい、千載一遇の軍制改革の機会を失ってしまった。それが、後になって、大きなツケとなって総動員体制下による軍国化が急速に進み、政党自身の首を軍部によって絞めつけられていくことになる。

1930年のロンドン軍縮条約の調印にあたって、政友会は、選挙で負けた腹いせか、「統帥権干犯」と浜口雄幸民政党政府を非難し、海軍のガチガチの艦隊主義者の加藤軍令部長を幇助する始末、まさに深謀のくせに短慮の政党であった。自民党がそうであるとは言わないが、地域利益や権力奪取ばかりを優先すると国家の大計を見誤ることがあるようだ。

とどのつまり、「統帥権干犯」が政治的武器となる道筋を愚かにも軍部に議会の側から教示したのは政友会であり、地方の利益優先という党是は、どうしても現代の自民党の姿勢とダブらせて想起してしまう。もっとも、民政党も野党時代には、1928年パリ不戦条約の調印に於いて、「人民の名に於いて」という言葉が君主国と矛盾すると騒ぎ立てているから、両政党ともレベルは同じなのかも知れない。こういうくだらない足の引っ張り合いが多くて、そもそも日本には二大政党というのは向かないのかもしれない。

そう言えば、当時一貫して軍縮を言い続けた尾崎行雄は、「東洋には元来派閥の観念はあったが、公党の観念はない。政党とは、国事を論議し、これに基づく意見を実行に移すことを唯一の目的とする人民の結合である」と言ったそうです。(『日本における近代国家の成立』E.H. ノーマン 岩波文庫) なんと先を見通した優れた意見であったか、今更ながら感動してしまうことを、恥ずかしいと思う。

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今年の秋

2014-10-01 11:55:22 | 雑感

ここ十数年間、9月は夏と勘定していた。下手すれば10月の半ばまで暑い日があった。そして秋がそれと気が付かないほど短かった。今年はどうも勝手が違った。あれよ、あれよ、のうちに9月が終わった。最近の異常気候や地震、豪雨、そして噴火に対して、環境を悪化させたのは人間の横暴さが理由だという声が全くない。今まで異常気象の原因はすべて二酸化炭素、地球温暖化に結び付けて、地球をいじめる工業化を批判してきた人たちはどこに行ったのだろう。地球の自然の力の領域になると、何も言わない。きっとどこかに環境問題としない限界線があるのだろう。

とかく日本人は熱しやすくて冷めやすい。昨日まで旧悪の自民党を突き飛ばし、民主党へ流れた人たちは、反動の振り子のように右に大きく戻った。そうすると、かつて嘘つき公約の民主党には目もくれず、ただ小気味が良い言葉と速い行動だけで、底に有るのは時代錯誤の権力者感覚に浸ったタレント市長を裸の王様に祀り上げる。昔の戦争も軍部ばかりに責任があるのではなく、大東亜共栄圏をもてはやし、歓呼して八紘一宇を叫んだ人たちも大勢いたのが日本人である。

ワールド・カップでごみ掃除する日本人もいるが、福島で出た放射線ごみを押し付け合いする日本人もいる。日本の街はきれいだ。分別も行き届いているが、厳しすぎて不法投棄も後を絶たない。日本人の固有な潔癖感で清潔徹底の環境行政がひょっとして行き過ぎていないかを反省するいい機会でもある。

今年の秋はいつもと違って少し長いかも知れない。

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