実は、先日の小田急線散歩は経堂までのつもりだったが、どうしても豪徳寺に行きたくて、疲れていたが足を延ばしたのだ。その理由は、私が小学生の時に友達と豪徳寺を訪ねていたからだ。正確に言うと早熟な友達にただ黙って付いて行っただけなのだが。当時友達はお寺の歴史に興味があって、どうしても豪徳寺に行きたかったらしいのだ。自転車で行って、ずいぶん遠かったのを覚えている。そして、寺の住職さんに寺の縁起を説明されたのだが、私はどこ吹く風といった風情だったが、友達はしっかりとノートをとっていた。そんな少年二人が、50数年前に此処にいた、と思う。たぶん間違いない、そこの上がり縁に私が座っていた。
私はお寺に興味なんかないので、その時覚えたことは「招き猫」だけだった。不思議なもので、それから、私はどこへ行っても、招き猫は豪徳寺が本家であると思い込んでしまった。
しかし、久しぶりの訪問で、豪徳寺は招き猫の寺ではなく、井伊掃部頭(井伊直弼)のお墓のあるところだということが、今回解った。
経堂から、ここまで来る間に東急世田谷線の駅があった。そこの沿線表示に、「松陰神社前」という駅名あった。歴史の皮肉というか、偶然であろうか。安政の大獄で殺された吉田松陰と、安政の大獄の報復として桜田門外で暗殺された井伊直弼の二人の墓が、こんなにも近接して存在していた。私は、どうしても松陰神社に行かなければならない、と思った。