長州の偉い人たちが造った神社と墓なのだから、立派であるのは当然である。
安政の大獄の罪人であった松陰は、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変の後、盛り上がる尊皇攘夷運動のおかげで復権を果たした。松陰とは不思議な思想家だ。たった二年しか教えてないのに、教え子が明治政府の功臣が多かったため、維新の象徴として崇められた。松陰の遺骸を小塚原から掘り出し、長州藩の火除け地であった世田谷若林に埋め直した。それが現在の松陰神社なのだ。その時に立ち会ったのは、高杉晋作、伊藤博文、赤禰武人らであったという。松陰の妹婿の久坂玄瑞は、その場には居なかったが、必ず神式でやるようにとの指示をしたそうだ。井伊直弼の墓は世田谷の豪徳寺にあったのを、賢明過ぎる尊攘志士であった彼らが知らないとは思えないが、その事に関する記述は、管見するところ無い。