妙見山上⇔妙見奥之院をピストン(その2)
妙見山からは当然ながら下りの道。
なのにコース検討時、地図を見てた時は気付かなかった。
山上の駐車場に車を置いてるから戻ってこなければならず、行程の最後に上りが待っていることに。
普通山登りは上って下って終わるのに、最後に上らねばならないのか。
時間に注意しないとな。
妙見山頂付近にはブナの木が生えているそうで、西日本で600m程の標高で生えているのは珍しいそう。
杉の木に混じるそうした広葉樹の新緑がきれいだった。
小鳥の声もたくさん聞こえ、山の中に来た感がすごく、お手軽に深山に入った気分が味わえた。
いい季節だなあ。
下って行くと左手に何やら屋根の崩れた建物が現れた。
おお、廃墟か?
近づいていくとやはり壊れて放棄された建物だった。
民家にしては大きいなとさらに近づくと、窓の形や柱に刻まれた紋様から、寺院だったようだ。
普通こんな廃墟だと危険だからと立ち入り禁止の標識やら貼り紙やらがあるのだが、全く何も無し。
それでも敷地の入口にある破れたお稲荷さんの社が恐ろしく、無茶は出来ない雰囲気が濃厚。
明るく陽の差す日中だから怖さ半減だが、夜に来たら長居はとてもできなさそうなところ。
さすがに建物の中に入るのは倒壊の恐れもあり出来なかったが、外からじっくりと観察させてもらった。
異質なものが、軒下に置かれた洋風の白いテーブルとその手前の庭にある椅子一脚。
思うにこの場所でゆっくりと時間を過ごせるよう、廃墟と化した後、誰かが持ち込んだものなのだろう。
私なら椅子よりブルーシートを持ち込んで、手前の庭というか草地で寝っ転がるのを選択する。
でもやっぱり落ち着いて過ごせる雰囲気ではないなあ。
満足するまで撮影して登山道に戻り下っていくと、××善神と刻まれた石碑がたくさんあった。
破れたお稲荷さんもそうなのだろうが、妙見山を守る神々を祀っているのだろうと解釈した。
山の自然と廃墟好きな私にとっては、神聖で恐るるべき信仰の気配も充満する、とても魅力的な区間だった。
妙見山からは当然ながら下りの道。
なのにコース検討時、地図を見てた時は気付かなかった。
山上の駐車場に車を置いてるから戻ってこなければならず、行程の最後に上りが待っていることに。
普通山登りは上って下って終わるのに、最後に上らねばならないのか。
時間に注意しないとな。
妙見山頂付近にはブナの木が生えているそうで、西日本で600m程の標高で生えているのは珍しいそう。
杉の木に混じるそうした広葉樹の新緑がきれいだった。
小鳥の声もたくさん聞こえ、山の中に来た感がすごく、お手軽に深山に入った気分が味わえた。
いい季節だなあ。
下って行くと左手に何やら屋根の崩れた建物が現れた。
おお、廃墟か?
近づいていくとやはり壊れて放棄された建物だった。
民家にしては大きいなとさらに近づくと、窓の形や柱に刻まれた紋様から、寺院だったようだ。
普通こんな廃墟だと危険だからと立ち入り禁止の標識やら貼り紙やらがあるのだが、全く何も無し。
それでも敷地の入口にある破れたお稲荷さんの社が恐ろしく、無茶は出来ない雰囲気が濃厚。
明るく陽の差す日中だから怖さ半減だが、夜に来たら長居はとてもできなさそうなところ。
さすがに建物の中に入るのは倒壊の恐れもあり出来なかったが、外からじっくりと観察させてもらった。
異質なものが、軒下に置かれた洋風の白いテーブルとその手前の庭にある椅子一脚。
思うにこの場所でゆっくりと時間を過ごせるよう、廃墟と化した後、誰かが持ち込んだものなのだろう。
私なら椅子よりブルーシートを持ち込んで、手前の庭というか草地で寝っ転がるのを選択する。
でもやっぱり落ち着いて過ごせる雰囲気ではないなあ。
満足するまで撮影して登山道に戻り下っていくと、××善神と刻まれた石碑がたくさんあった。
破れたお稲荷さんもそうなのだろうが、妙見山を守る神々を祀っているのだろうと解釈した。
山の自然と廃墟好きな私にとっては、神聖で恐るるべき信仰の気配も充満する、とても魅力的な区間だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます