ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秋篠宮殿下 49歳に6

2014-11-30 12:04:36 | 皇室報道

 外国訪問について「〇〇年樹立」など以外の訪問についてのお考え

なかなかそこは難しいところで、例えば今言われたような

外交関係樹立100年とかで何とか国に行きます。

そうすると、そこまで行ったら、非常に表現として悪いのですけれど、

そのついでに近くのここにも行ってほしいっていう希望が出ることがあるんです。

確かに例えば遠いところであれば、なかなかそれ以外の国にその後

いつ行けるかどうかも分からないこともあるわけですけれども。

ただ、そうするといつも申し訳ないなと私たちが思うのは、

何となくここにこの行事があって来ました。

それでそれ以外は何となくついでですよって感じになってしまう可能性はあるわけです。

ご招待を受けているわけですから、

もちろん丁寧に務めますけれども、やはりできれば、

何か一つ核になるものがあればいいなと思いますし、

複数行くときには、国ごとで滞在している期間をできるだけ違わないようにという、

そういうことは心掛けています。

 何だか・・・ますます皇太子のあのスイス訪問が「ただの観光旅行」

  に思えて来た私です。しかも皇太子は「申し訳なさ」を感じずに

  食べるわ飲むわ記念写真撮りまくりだわ・・・一体、何しに行ったの?

  でしたよねーー

 殿下が訪問先でこまめにメモを取るのは、そこで経験した様々な事を

  記録に留めて、次にいかす為なんでしょうね。

  「ついでではない」という事でしょうか。

 

 昭和天皇実録について・・合理性と寛容さを持っていた昭和天皇について

合理性と寛容ですね。

私は、寛容ということは非常に大事なことだと思います。

天皇という立場であれば、なおさらですね。

そうでないとなかなか天皇という立場で、様々な事柄を行っていくことは

私は難しいと思うのですね。

 この寛容と合理的なこととは、必ずしも二律背反するものではなくて、

両方共存するものだと思います。

ただ、今お話しになった昭和天皇それから現在の陛下の合理性が、

科学者であるからかどうかというのは、私はちょっとわかりません。

科学者にはいろいろ範疇(はんちゅう)があると思いますけれども、

必ずしも科学的なものが全て合理的かというと、そうでないこともあるかもしれません。

ただ、私はその両方というのは、決して相反するものではなくて、

共存することができるものだと思いますし、

物事はすべて合理的に考えられるかというとそうではなくて、

(合理的に考えることが困難な)より複雑なものへの対応も

当然必要になってくるわけですし、

そういうものにも対応してこられたわけです。

ですけれども、やはりある程度の合理性というのは、私は必要だと思っています。

 難しい。寛容さと合理性を兼ね備えた人が天皇に・・・・

  早い話、柔軟であれという事なんでしょうか。

  「人格否定」発言するような人は合理性も寛容さもないので天皇には

  なれないと?

 皇太子は「昭和天皇も今上も科学者だから合理性を持っている。でも

  自分は文系だし」とか言っているのでしょうか?

 

 佳子様の性格についてあらためて。

殿 下 ; もちろん似てないところはたくさんあるんです。だけど、娘とよく話しているときに、

      自分がもっと若い頃の感覚に何かとても似ているなと思うときが

      ニュアンスとしてあるんですね。

      似ていると言われると本人はちょっと嫌がるかもしれませんが、

      具体的に言うことは難しいですけれども、

      感覚としてこの子は随分似ているなと思うときがあって、

      親は大変だっただろうなと思うこともあるんです、

      実を言うと。なかなか言葉で説明はできないですけれども、

      感覚的に似ていたということでよろしいですか

     (と記者に確認される。記者が秋篠宮さまの方にうなずき、

                            次いで紀子さまの方を向く)。

紀子妃 ; もう一度お願いできますかと記者にお尋ねになる)。

記者; 最近佳子さまからいろいろ話を聞かれて、

     気付かされるような場面があるというお話でしたけれども、

     具体的に何かこう言われてはっとされたような、

     最近印象に残っているようなものがあればお聞かせ願えますでしょうか。

紀子妃; 普段の生活でよく話すことが多いものですから、 

      ふとしたときのちょっとした言葉でこれは素敵な考えだなとか、

     これはもう一度自分の中で受け止めてより良くしていくと良いなと

     思うことがいろいろとあります。

     これは娘の佳子に限らず、長女の眞子にも長男の悠仁にもあり、

     宮様と話していてもありますけれども、

      佳子の場合は比較的わかりやすく話してくれまして…。

      普段の生活の中の一つの例ですが、私が知らないうちに、

      人と挨拶するときの声が小さくなっていたようです。

      20代よりも30代、30代よりも40代、お互いに頭を下げて挨拶をしたり、

     表情で挨拶したりすることはあっても、声が小さいことがあります。

     もしかしたら20代のときは今よりも若くて体力があり、

     元気に声を出していたので、佳子はそのときと比べて

     話しているのかもしれませんが。

     挨拶というのはとても大事であり、今私が悠仁と一緒にいて

    いろいろなことを伝えるときに、私自身が小さい声で話すと、

    悠仁の方も小さい声になってしまうのかしらと気づかされるようなことがあります。

    初めは私自身声を大きくして挨拶をするのがちょっと

    恥ずかしいこともありましたが、少しずつ始めてみると、

    20代のときの若さが戻ってくるような感じがします。

    いろいろなことを話すときも挨拶も、気持ち良くわかりやすい声で

    話すことの大切さを改めて私に伝えてくれたように思います。

殿 下 ; (紀子さまに振り向かれて)

      結構いろいろ私の態度のことも言われることもあるしね。

紀子妃 ; (秋篠宮さまに振り向かれて)ちょっと気づかされて

殿 下 ; ああなるほどな」と思うことがだんだん多くなってきましたね。

紀子妃 ; お互いに、子どもたちが感じていることを私たちに伝え、

       また私たちが子どもたちにこれはと思うことを伝えて

       子どもたちもちょっと考え直す、そういう関係を大事にしたいと

       思うこの頃です。

      (秋篠宮さまに振り向かれて)あと、

      どのようなところで似ているかというお話をされていましたか。

      私の方がもしかしたら客観的に見ることができるのかもしれませんが…。

      似ていると何となくうれしくなることもございますね。

殿下 ; (紀子さまに振り向かれてありますね。

紀子妃 ; 私も、宮様と娘の佳子で何となく似ているかしらと思うことがあります。

       最近、行事が違うのですが、偶然同じ県に1か月の間に2度参りまして、

       そのときに同じ方に出会いました。

       私の方は気づかなかったんですけれども、

      佳子の方は、「もしかしたらあそこで会った人じゃないかしら」という

      話をしました。

      いろいろな場所でいろいろな方に出会って、

      その人のことを覚えている、それは父親と娘でとても

     似ているように思いました。

    記憶が私よりもずっとよろしいところで似ていましたり、

    先ほど言い合うという話がありましたけれども、

     言い合いをしつつもお互いにどこかで優しい心を持っている、

    そのようなところも似ている2人のように感じました。

 娘がここまで「父親似」と言われると、普通は反発して「違う」とか

  言いそうですが佳子様は?(笑)

  佳子様の静かな意志の強さと行動力は若い頃の礼宮様ですね。

 紀子妃殿下がゆったりされているので、佳子様としては内心

  はらはらする部分もあるのでは?

  我が家風でいうと「最近、ママ、声が小さいんじゃない」 

  「え?そうかな」「だって昔は回りが振り向く程大きな声であいさつしてたわ」

  「あら・・」「ママも歳なのね」「・・・頑張るっ」的な。

 全体的に見て、記者さん達は佳子様の事が聞きたくてしょうがなかった

  んだなという気がしました。それはそれで微笑ましいですが。

  眞子様の時は震災直後であったし、悠仁殿下の着袴の儀と重なった事も

  ありましたしね。でも一の姫の神々しさは今になると恋しいものです。

 東宮家ではあと10年経っても、上記のような微笑ましい会話は出て

  来ないんだろうなと思うと憐れで憐れで。

 

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秋篠宮殿下 49歳に5

2014-11-30 12:03:15 | 皇室報道

 ソーシャルメディア、インターネットについて

殿下 ; ソーシャルメディア自体をそれほどよく知らないのですけれども、

     今、世の中に、ものすごい数の情報があるわけです。

     例えば、ある所に行って、そこにいた人が写真を撮って、

     それでもう次の瞬間、ネット上に出ている。

     私も、時々、車の中でパソコンを開くことがあるものですから、

     そのときに何となく、何度かあるのですけれども、試しに検索をしてみると、

     何分か前のものがもうアップされている。

     すごいスピードで情報が流れるわけです。

     それに、コメントが付いたりとかしますけれど、だんだん、本当にどこにいても、

     そういうものがネット上に出てくるというのは、

     自分自身にとっては、プライベートも何もないなという気はするのですけれども、

     既にそういうツールがあって、それが普通の社会となっています。

     ですから、もちろん、非常にいい加減なことが書いてあることもある

     わけですけれども、ある意味、致し方ないのかなというふうにも思います。

    それが良いとも悪いとも申しませんけれども、

     その一方、子どもたちにどう言っているかというと、

    これは皇室との関係ということではないですけれども、

    これだけのたくさんの情報が流れていて、本当の情報もあれば、

    全然そうでないこともあるわけですね。

    だから、それを全部素直に鵜呑(うの)みにしていると、

    全く間違った情報を基に、いろんな自分の

    考えを展開させることになってしまいますから、

    そういうことの取捨選択、それから自分の中でその情報をどう理解するかと

    いうことは大事です。

    これはソーシャルメディアに限ったことではなく、

    紙、本とかの媒体でもそうですけれど、

    そのことは伝えていきたいと思いますし、もちろん、そのことについては、

    本人たちも分かっていると私は思います。

記者 ; 紀子さまいかがでしょうか。

紀子妃 ; ソーシャルメディアについては、これは比較的新しいものであり、

       変わりつつあるものであると聞いております。

       私自身、実際に、どのようなものなのか、知らないことも多くあります。

       今は、いろいろなコミュニケーションの手段がありますが、

       ソーシャルメディアも含めて、長所と短所があるように聞いています。

       このようなことがあることを、子どもたち、特に娘たちはふれる可能性も

       ありますので、理解しておくことが大切であると話しています。

 記者の意図は「皇室の活動」がインターネットで素早く流れたり

  皇室に対する意見などが(大型掲示板などを通じて)語られる事に

  ついてどう思うかというようなこと?

  皇太子なら「心無い中傷」と一喝しそうですが、秋篠宮の場合は

  「致し方ない」だけど「鵜呑みにしないで取捨選択」とおっしゃっています。

 内親王方はネットを使いこなしていると思いますし、当然ご自分達への

  意見や皇太子家に対する批判なども目にされているのでは?

  週刊誌の嘘の記事も。その度に、それらをどう受け止めているのか

  「致し方ない」より深く知りたい所ですね。

 

 

 

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秋篠宮殿下 49歳に4

2014-11-30 12:00:48 | 皇室報道

 昭和天皇実録が出来て殿下にも奉呈されたと聞いています。

  昭和天皇との思い出と天皇の在り方、をれを悠仁親王にどう

  伝えていくか。

昭和天皇の思い出ということですが、一つ挙げるとするならば、

これは昭和の最後の頃ですね。

昭和天皇の恐らく一番最後の生物学の関心事だったと思われる

ナスヒオウギアヤメというものがありました。

ナスヒオウギアヤメというのは、ヒオウギアヤメ、これはアイリスの仲間ですけれども、

ヒオウギアヤメの一変種になるわけですね。

那須にあるのでナスヒオウギアヤメなのですけれど、

昭和天皇の生物学研究所の職員が普通のヒオウギアヤメと違うものがあるといって

見つけ、恐らく変種だろうということになったのですがそのアヤメが、

果たしてヒオウギアヤメとどういう関係にあるのか、

そのことを知りたいとあるとき私に話されました。

いわゆる花の形態であるとか、そういうものでないやり方で何か分からないかと、

遺伝学とか、生化学ですとか。

それで、私がつなぎ役みたいな形になって、財団法人でしたけれども

進化生物学研究所という元々は東京農業大学の育種学研究所だったところですが、

そこの所長に話をして、ナスヒオウギアヤメのプロジェクトが

始まったということがありました。

その間、中間的な報告が私の所に来るとそれを昭和天皇の所で説明をすると

いうことをしていたのがちょうど1988年でしょうね。

春ぐらいだと思うのですけれど。

ただ残念ながら、一連の仕事が終わる前に崩御になってしまいまして、

その後、平成になってからですけれども、

できた論文を吹上御所の、昭和天皇の御影というのでしょうか、

写真の前にお供えしたと、そういうことが恐らく一番印象に

残っていることかなと思います。

 紀子様の「お印」になったヒウギアヤメ。ここまで研究をされていたとは。

  本当に昭和天皇にとっては頼りになるお孫様だったのですね。

 

そのほか、子どもの頃に、夜、マンジュシャゲがきれいにお堀端に咲いているから

見に行こうという話があって、

全員でマンジュシャゲを見に行ったとか、そういうことがありますけれど

一番印象に残っているのは、やはりナスヒオウギアヤメのことです

 今は気軽に「マンジュシャゲが咲いているから見に行こう」と

  いえない雰囲気が皇室にはあるのですが。何ででしょうね。

 

昭和時代について…。私は昭和40年の生まれで、

昭和は64年までですけれども、時というのは、ふだんの生活の中では

常に連続しているわけですね。

だから、ここまでが昭和でここからは平成ですと確かに言えるのですけれど、

流れとしては常に連続しています。

ですから昭和の終わりから平成だと、それが一つの時代みたいな感じで

自分は認識しておるのですけれども、

もし昭和の時代で何か非常に印象に残っていることがあるかと聞かれると、

やはり万国博覧会だと思います。

当時まだ私は小さかったのですが、大阪の万国博覧会の会場で

子どもながらに活気あふれる様子というのが非常に強く印象に残っております。

いまだに太陽の塔の中の様子とか、各パビリオンのこととかが記憶に残っております

私は東京オリンピックの翌年生まれで、

東京オリンピックは知りませんけれど、

その後に札幌オリンピックがあるわけなのですが、

そのときは北海道まで行くには行ったのですが、

あいにく風邪を引いていてほとんど宿舎で寝ていてですね、

一つだけアイスホッケーの試合を見たということですから、

それ自体は印象に残ってますけれど、余り強い印象は残っておりません。

それから…(と、記者に尋ねられる)。

 札幌オリンピックの時に札幌まで行ったけど風邪で寝込んでいた・・

 という話は初耳ですね。

  当たり前ですけど、当時は宮様が風邪を引いたとか下痢をしたとか

  そういう事は一々報道されなかったんです。

 万博の時に浩宮が、アトラクションにどうしても二度乗りたいと

  だだをこねたんでしたっけ?

 

記者;悠仁親王にどのように天皇の在り方をつたえていくか

天皇の在り方についてというのは、

私が余り軽々しく言えるものではありません。

もし私が言えるとするのであれば、これは今の天皇陛下が即位20年のときの

会見で話されているのでしょうか。

象徴としての天皇の在り方を常に考えながら今まで過ごしてきたという趣旨の

ことを話されていますけれど、

恐らくそれは陛下も天皇に即位して、

そういうことをずっと常に考えてこられたのだと思います。

私がもし天皇の在り方についてということに答えるのであれば、

やはり、象徴としての天皇というのは、

いかなるものがふさわしいのかということを考える、

そういうことにあるのではないかと思いますし、

長男にどのように伝えるかということについては、

やはり私自身はその立場ではありませんので、

陛下が言われたことを長男に、そしてまた長女、次女にも伝えるということになります

 この質問をした記者さん、偉い。勇気がありましたよね。

 控えめながらも「象徴としての天皇の在り方」を考えるという点は

  重要です。ただ、陛下には「次世代をどう継承させていくか」まで

  お考えが至っていないように思いますが。

  悠仁殿下が将来陛下におなり遊ばした時、最も大事な事は

  「次の世代を誕生させ、無事に継承できる環境を作る」事です。

 今上は「象徴天皇の在り方」として「憲法順守」を上げられましたが

  秋篠宮殿下も同じようなお考えなのか・・・そこらへんはあいまいですよね。

  ただ「いかなるものがふさわしいか」と考える事が重要と

  おっしゃっているので、多少の疑問はあるのかもしれません。

 

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秋篠宮殿下 49歳に3

2014-11-30 09:38:25 | 皇室報道

 紀子妃に・・・眞子内親王と悠仁親王の近況について

紀子妃

長女の眞子は、今年の秋から英国の大学院に留学し、学び始めています。

大学院のことは具体的には知りませんが、様々な講義や実習を受けたり、

またその後には短い期間で論文をまとめたり、

続いて博物館実習の予定があると聞いております。

このように比較的詰まったカリキュラムのようですが、

有意義な時間を過ごし、元気に帰国してほしいと思っております。

 長男の悠仁のことですが、今年も成長を感じる様々な場面がありました。

3歳頃からでしょうか、野菜作りを手伝うようになりまして、

今も野菜を作るのが好きで、そのようなときにも成長を感じることがございます。

例えば、以前は野菜作りはどちらかというと、収穫する楽しみが中心でしたが、

今は土壌を整え、種をまいたり、苗を植えたり、水をやったり、雑草を取ったり、

このような野菜畑での作業、野菜を育てることから収穫することまで、

その一連の過程に積極的に携わるようになってきました。

家族の会話でもよく今はどのような野菜が実っているか、

これからもう少しすると取れるよというような話もあります。

例えば、「ちょっと畑に行って野菜を見てこよう」とか、

「今度何の野菜を植えようかなぁ」などと言葉にしながらうれしそうにしています。

このように話しているときは何か大人のような雰囲気で話しているようなこともあり、

ほほえましく思います。

 悠仁殿下は時々、ものすごく大人っぽい表情をされる事がありますよね。

   やはり将来の陛下は違う。

  農業にこのように親しみを覚えていらっしゃるという事が素晴らしいのですね。

  陛下の種まきや収穫をご自分もやってみたいと思っていらっしゃるでしょう。

 あと学校のことですが、今は2年生のお友達と一緒に竹をテーマにした

活動「竹大作戦」に取り組んでいます。

春は遠足に行ってタケノコを掘ったり、またその後には刀を使って、

一人一人が竹のお箸を作ったり、そして夏にはその竹を使って

流しそうめんを楽しみました。

秋には今度は刀からのこぎりに替わりますが、

のこぎりを使って竹のお皿を作り、保護者のお手伝いも得ながら子どもたちは

サンマを焼いて、その味を楽しみました。

そして(秋篠宮さまに振り向かれて)先週でしょうか、

私たちは学校の全校生徒が参加する音楽会を鑑賞いたしまして、

そのときも2年生は竹をテーマとした舞台でした。

それは竹取物語をベースにして作られた舞台で、

生徒たちが力を合わせて見せてくれた、発表した舞台を見ることができて、

とても良い思い出になりました。

 このように、竹と関わり合うことを通して、例えば刀とかのこぎりなどの道具を

使うのは初めての子どもも多かったと思いますが、

それに挑戦して竹の堅さをしっかりと感じたり、

他にもいろいろな活動を通して季節の食べ物にふれたり、

また一緒に発表会に向かって準備していくなど様々な経験ができました。

 時折、授業参観や他の保護者のお手伝いで学校に参りますが、

今も寒くなってきてはいますが、校庭で休み時間や放課後遊びのときに、

たくさんの子どもたちが遊んでいます。

この前もちょっと校庭を見ましたら、休みの時間に子どもたちが元気に遊び回り、

その中に半袖、半ズボン姿の長男の悠仁の姿を見つけ、頼もしく感じました。

 要するに悠仁殿下の学校生活は順調そのものです。という事です。

  それでも週刊誌は意地悪を書くのでしょうか?

 

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秋篠宮殿下 49歳に2

2014-11-30 09:38:02 | 皇室報道

 佳子様について

殿下 ; 次女が大学を中退して、また、新たに受験をして、国際基督教大学に

     入学するということを決めたわけですけれども、

     私自身かなり直前までどこの大学に行きたいということをはっきりとは

      聞いていなかったんですね。

      ただ、高校3年のときに受験をして、第1志望だったところに入れなくて、

      そのまま内部進学をして、しばらくいたわけですけれども、

      当初からまたもう一度環境を変えて勉強したいからということを

      申しておりましたので、

      私はごく自然な流れだったのかなと受け止めました。

      私から特段何かアドバイスをしたということはありませんけれども、

      もしこのことを言っておいたら、また少し違ったかなと思うのは、

      第1志望のところに入れなくて、内部進学ができたわけですけれども、

      そのときに、何を自分がこれからしてみたいか、

      大学に進学せずに考える1年であってもいいのではないかということを

      言えば良かったかなと、これはもう後からになってしまうのですけれども、

      思ったことはありました。

 さらっと「第一志望に入れなかった」とおっしゃっている所がすごいです。

  雑誌で色々言われている事をご存じなんですね。

  「進学しないで考える一年であってもいいんじゃない」と言えばよかった

  というのはすごくわかります

  多分、その時は「せっかく入ったんだから」とか・・気が変わって楽しい

  学生生活を送るのではないかと思われていたんでしょうね。

殿 下 ;  20年間の思い出、そうですね(と、お考えになる)。

       まず、生まれてしばらくの頃ですけれども、

      長女と比べると、すごく静かな子だったんです。

      静かな子というのは、赤ちゃんですから、夜泣きを余りしなくて、

      途中で起こされることが少なかったということですけれども、

     とても静かな子だなということを今でもよく記憶しております。

      それから、私は海外に家族みんなで行ったことはありますけれども、

     次女と一緒に2人で出掛けたことはないのですが、何の機会だったでしょうか、

     2人で上野動物園に行ったことがあるんですね。

     上野動物園に一緒に行って、ちょうど桜がきれいな季節であったので、

     じゃあ帰りに寛永寺の辺の桜を少し見ていこうかと言って、

     2人でお花見を楽しんだということが、次女が恐らく幼稚園の頃、

     5歳くらいでしょうか、そういうことがありました。

 私達国民から見ても佳子様は「おとなしい」感じでした。

  いつも眞子様や紀子様の後ろに隠れている印象。

  そういえば殿下と二人きりというのは最近までありませんでしたよね。

  「お母様っ子」というイメージはありました。

殿 下 ; また、だんだん年齢が高くなるにつれて、

    これは誰でもそうなのでしょうけれども、

    いろいろと親と口論になる機会も多くなってきました。

    私とちょっと性格も似ているところがあるので

    余計そうなのかもしれないのですけれども。

    以前は、口論になると、私自身も、長女が言っていたように導火線が短い人間

    なものですから、かなり激しい口論、応酬になったのですけれども、

    こちらもだんだん年を取ってきて、

    的を射たことを指摘してくれていることが意外と多いということが分かりました。

    ですから、これからも、娘に言われたことをある程度きちんと自分でも

    意識に留めておきたいなと思っております。それが20年間で思ったことです。

 ここも同世代の子供を持つ身には非常に共感できることです。

  殿下と佳子様の言い合い、目に浮かぶようです。それを一歩引いた目線で

  見ている眞子様。「また始まっちゃたわ」とにっこりの紀子妃みたいな?

  眞子様は顔は殿下で中身は紀子妃、佳子様はその逆なのかもしれませんね。

 娘の言う事が的をえている・・・というのは、最近思う事です。

  いつの間にか立場が逆転しているような?

 

殿 下 : それから成年皇族としてとおっしゃいましたか。

    これは多分長女が二十歳になったときだったか、

    同じようなことを皆さんにお話ししたことがあるかもしれませんが、

    成年皇族としても、そうでなくても、

    いろいろな機会に開催される行事などに出席してほしいという

    依頼を受けたりすることがありますが、

    そういう機会一つ一つを大切に思いながら務めていってくれたらいいなと

    思っております。

    長女については、もちろん先ほどお話ししたことは長女にも同じことが言えます。

    共通して、これはそのうち一番下の息子にもそういうふうに

    言うときがあると思いますが、

    基本的には頂いたお仕事一つ一つを大切に務めていってほしいということが

    一番ですけれども、それとともに現在イギリスの大学院で博物館学を

    専攻しておりますので、将来的に、そこで学んだことがいかせるような

   仕事ができたらいいのかなと思っております。

     長男につきましては、去年できなくて今年これができましたというようなことは

    何があるかというのは今すぐには思い浮かびませんけれども、

   ただこの1年見ていると、少しずつ興味が広がってきているのかなという

   印象を受けます。

   割と息子は早起きをするのですけれども、朝早く起きて、

   別の部屋に行って本を読んでいたりとかすることもありますし

   そのほか何があるでしょうか。何がありますかね(と紀子さまにお尋ねになる)。

 あらーー 悠仁殿下は早起きなのね

  これまたどちら様へは強烈な・・・・

  どうしたら早起きになるか、お尋ねになればよろしいのにね。

 

紀子妃; (秋篠宮さまに振り向かれて)

       夏ですと、飼っている魚とか虫の様子を見に行ったり、

        今は折り紙をしていますでしょうか。

殿下 ; 少しずつ興味を持つ範囲が広くなってきているかなという感じは受けます。

記 者 ;紀子様はいかがでしょうか。佳子様の大学進学について

      どのようなアドバイスをされましたか。

紀子妃;  次女の佳子は、中学校、高校にいるときから、

       今までとは違う新たな環境の中で学びたい気持ちを持っていたように

       思います。

       大学に入学した後も、日々、専門分野の勉学に励み、

       また、お友達にも恵まれ、共に過ごしておりましたが、

       一方で、自分が考えていたことに向かって進みたいという

       思いが強くなって、私たちにも相談をすることもありましたが、

       時間をかけていろいろと考えて今回のような決断をし、

       一歩をふみ出したと思っております。

 まだこれからですが、佳子様は本当はどんな事をなさりたいと

   思っているのか・・・非常に興味あります。自分が考えていたことに

   向かって・・・っていい言葉ですよね。佳子様の意志の強さを感じます。

紀子妃 ; 娘に対してのアドバイスですが、

      どちらかというと娘に伝えた言葉になると思いますが、

      娘がしっかりと考えた上での判断であるならば、

     目標に向かって努力するようにと話しました。そして、

     このように学校で学び、知識や経験を深めることができるような環境は、

     非常に恵まれていることを心得ておくように伝えました。

 おっしゃる通り。非常に恵まれているのです。

  学習院に不平と不満ばかり募らせて、不登校を他人のせいにするような

  事は皇族としてふさわしくないのです。

 愛子内親王は健常なら・・・・なぜ「あなたは学習院という非常に恵まれた

  学校で学ぶことができているのですよ」と言えないのか。不思議です。

 

記者 ;佳子さまとの20年間の思い出と、

     成年皇族として期待することをお聞かせください。

紀子妃 ; 先ほど宮様がお話しされたことと重なりますが、

       娘の佳子はとても小さいときは静かな女の子で、

       でもよく周りを見て、自分の意志をしっかり持っていたように思います。

       小さいときから手を動かすこと、手芸や折り紙を作るのが大好きで、

        いろいろと出来たものを私のところに持ってきて見せてくれたことを

       よく覚えています。

       また、私が娘に作ってあげたぬいぐるみに名前をつけてくれ、

       大事にしていました。

      そのぬいぐるみに兄弟を作りたいと娘は考えまして、

      小さいなりに私が作ったぬいぐるみと同じような形になるように考えて、

      幾つもぬいぐるみを作ったことを思い出します。

      小学生の頃になりますと、フィギュアスケートに関心を持ち始めて、

      小学校の授業が終わった後や、休日の早い朝にスケートの練習のために

      スケートリンクへ一緒に通いましたことも懐かしく思い出されます。

      姉と弟とについてですが、3歳違いの姉の眞子とは、幼稚園、

     小学生の間は外で元気よく鬼ごっこをしたり、

     自転車に乗ったり、一輪車に乗ることがよくありました。

     中学・高校に移りますと、ちょうど10代の頃でしょうか、

     外遊びはなくなり、2人で仲良く話し合う時間が増えていきました。

     娘の佳子は小さいときから妹か弟が欲しいと話していました。

     そのため、自分に弟ができたときには大変喜んでおりました。

     私が出産する前に1か月入院しておりましたが、そのときには

     度々病院に訪ねてきてくれ、学校の宿題をしたり、

     これは夏休みだったので夏休みの宿題でしたが、

     留守中のことやスケートで練習したときのことの話などをしてくれたりしました。

     このように、娘の佳子の優しさに触れる穏やかな時間も思い出されます。

     弟の悠仁とは、一回り、12歳年が違いますが、

     年齢が近いきょうだいのように仲良く遊んでいる姿をよく見かけます。

     悠仁は優しくて、同時にしっかりと言うべきことは話してくれる姉を慕っています。

    佳子は私にも素直に気づいたことを話してくれますし、

    また励ましたりもしてくれます。

    そのような佳子の言葉が私自身の考えや行動を見つめ直したり、

    また課題に取り組むきっかけとなりましたりすることもあります。

    いつの間にか、小さかった娘の佳子が成長し、

    私たちが頼るようになってきたことを、大変うれしく思います。

    また、成年皇族として期待することについてお話しいたしますと、

    娘の佳子は来月二十歳の誕生日を迎え、

   新年の宮中行事に出席させていただくようになり、ま

   た成年として公的な活動に携わるようになります。

   これからも、日々の暮らしや務めを支えている人が多くいることを心に留め、

   感謝の気持ちを抱きつつ、様々なことを学び、経験を積み重ねて、

   若い成年皇族として一つ一つの務めを大切に果たしてほしいと願っております。

 一回り違っていても歳の近い兄弟のように遊んでいる・・・わかります。

  我が家もそうですから。「歳が離れているのに同じレベルで喧嘩」すらします。

  きっと悠仁殿下は佳子様に甘えていらっしゃるでしょうね。

 ぬぐるみを沢山作ったり。佳子様の手先の器用さはすばらしいです。

  服飾などは学ばれませんか?

 学校が終わったあとや、週末の早い時間にリンクへ・・・

  どこかの内親王はいまだに毎週貸し切ってはキャンセルしてますのに。

 何となく、佳子様は若い頃の礼宮殿下に性格が似ているんですね。

  (それはご本人もおっしゃっていますが)

  皇后様のお話の中に、浩宮が「おたたさまは若い」といい、礼宮は

  「歳相応」と答えたエピがありますが、おそらく佳子様もそういうタイプ

  なんだと思います。

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秋篠宮殿下 49歳に1

2014-11-30 09:37:23 | 皇室報道

 秋篠宮殿下 49歳のお誕生日

おめでとうございます 

今後ともお健やかでますますのご活躍を

お祈り申し上げます 

 秋篠宮殿下の記者会見全文 

 

 今年一年を振り返ってー高円宮典子女王の結婚、桂宮薨去

  災害、皇室の外国訪問など。

この1年様々なことがありました。

中でも今質問にありました広島の土砂災害、

それから御嶽山の噴火による事故を始めとして、

自然災害が台風なども含めて多かったというのが印象に残っております。

この関東の近辺でも2月に大雪が降って、それによる被害もかなり出ました。

また、短時間に非常に降水量の多い雨が降るというのが増えていると思いますし、

これからも数が多くなってくるだろうという報告書も出ています。

そのような災害に対するリスクの管理が非常に大事になってくると思っております。

また、御嶽山の噴火による事故についても、

なかなか予測も難しいところがあるということも聞いていますけれども、

日本には火山も多い一方で、登山を楽しむ人もかなり多いと聞いています。

そのようなことを考えると、登山をして、

これはいろいろな目的で行く人がいると思いますけれども、

もちろん噴火に対する予知も大事ですし、山を登る人たちのリスク管理と

いうのも大変大事になってくるのではないかと思っております。

 また、もう一つ挙げるのであれば、今、西アフリカの方で広がっている

エボラ出血熱があります。

これは非常に感染力の強い感染症ですけれども、

それに携わっている医療関係者には深く敬意を表したく思います。

これに限らず様々な感染症があります。

こういうものがいったん流行したときにどのように対応するか。

何となくアフリカで起こっていることで、日本にいると遠いところで

起こっているような気持ちになりますが、これだけ海外との

行き来が容易にできる時代になっていることを考えると、

そのことに適切に対応することが求められてくると思っております。

日本でも約70年ぶりにデング熱が発症したわけですが、

例えば気候の変化に伴って今後マラリアなどもまた日本で出てくる

可能性もあるかと思います。

そういうことへの対応をきちんと考えていくということが大変大事なことだと思っています。

 生物学者らしいお言葉と思います。

 今後、マラリアが流行るかも・・・あんて、普通は考えませんけどね。

 登山好きな皇太子が「登山のリスク」を考えて登っているとは・・・・

  とても思いませんね。

  っていうか、そういえば御嶽山が噴火したのに、登山好きな皇太子は

  慰問に行こうとも思わないし、山に対する情報収集もなさらないのだなと。

 

 あとこの1年で印象に残ったことというと、

先だってノーベル物理学賞、3人の日本、これはどういう表現をすればいいのでしょうか、

2人の日本人と1人の、国籍がアメリカに移られていますから

日系になるのでしょうか。

日本出身の方がノーベル物理学賞の受賞が決まったという、

とてもうれしいニュースでした。

日本の科学分野がこれからもますます発展していくことを願っております。

 それとつい2日前でしょうか、スポーツの話になりますけれども、

お相撲の白鵬関が32回の優勝に輝きました。

大鵬の記録と同じになるわけですけれども、

私なども32回に達するという人が今後出るのかと思っていましたが、

それが実際のことになったことは非常にすばらしいことだと思います。

 珍しく白鵬に言及・・・これは白鵬への賛辞ですよね。

 「品格がーー」とか言ってる相撲協会を暗にけん制?

 

 皇室の外国訪問については、これは公式と非公式と両方あるわけですけれども、

非公式の方は非常に多様なので、とりあえず公式の訪問というものについて少

し私の考えをお話ししてみたいと思います。

例えば天皇の公式訪問であると、国賓という形がとられることが

多いと考えますけれども、

皇族の場合には、国賓としての訪問というのはまずないわけです。

そうすると国際親善・親善訪問という形になろうかと思います、

枠組みとしてはですね。

ただこれは、なかなか受け入れる側としても、

皇族、しかも天皇でもない皇太子でもない皇族をどう捉えていいかというのは

難しいときがあるのかなという気がします。

私たちも今まで何回くらいか分かりませんけれども、

行った中で向こうの元首の方であったりとか大臣だったりとかとお話をしている中で、

今回あなたたちが訪れた目的は観光旅行ですか、

というふうに聞かれたことが2回くらいありますかね(紀子さまに振り向かれて)。

こちらも観光旅行ではないけれども、かといって単なる親善だけですと

主たる目的が見当たらなくて、なかなか答えるのが難しかったことがあります。

皇族ですから、外交に携わってはいけないわけです。

外交ではない親善、例えば王室がある国ですと、向こうの王室との親善というのは

ある程度分かりやすいかもしれませんけども、

そうでない国もたくさんありますし、もし公式の訪問をするのであれば、

例えば外交関係ができてから何十周年であるとか、

日本と当該国との何か大きい文化行事があるとか、

何か一つの核になるものがあるべきではないかと思います。

そうではなくて単に親善ということを目的とした公式訪問というのは、

目的が曖昧になりますし、そういうものは余りよろしくないな、

というふうに考えております。

 これは東宮家への強烈なパンチだと思います。

要約すると

「皇室は外交を目的に外国訪問をしてはいけない。

「親善」という名を借りた海外旅行になってしまってはいけない」

という事でしょうか。

 皇太子一家は親善でもない「静養」目的でオランダまで莫大なお金を

 つぎ込んで行きました。即位式では雅子妃は「ただ行っただけ」状態でした。

  皇太子のスイス訪問は「150周年樹立」のものでしたが、単なる観光旅行

 になってしまいました。

 高円宮妃のオリンピック招致はまさに「外交」以外の何物でもなく

 一番やってはいけなかった事ではないかと。

 秋篠宮殿下が「皇室は外交をしてはいけない」とおっしゃった事は

 「皇室外交を目的に入内した」雅子妃の生き方を否定したものです。

 ここで考え方を変える事が出来ず、まだ側近に「皇室外交を」といい

 続ければ自滅の道を歩むという事ではないかと。

 それにしても秋篠宮両殿下に対し

 「今回は観光旅行ですか」と聞いた人の顔を見てみたい。

 

 両陛下から戦争についてどのように聞いているか

私が本当に子どもの頃から度々に両陛下から戦争の話を聞きました。

特にあれは、1975年でしたでしょうか。

まだ復帰から3年の沖縄で海洋博が行われたときには、

非常に激しい地上戦になった沖縄の戦争のときの話を、

折に触れてというよりも非常に頻繁に沖縄戦の話を聞き、

またそれに関連する映画を見たりいたしました。

その後も度々に戦争のときの話を聞く機会があり、

私たち(両殿下)は、戦争というものを二度と繰り返してはいけないということを

強く思ったわけです。

ただ、一方で私が子どもの頃にたくさん戦争の話を聞きましたけれども、

それをなかなか子供心に理解するというところには、

非常に大切なことだということは分かりましたが、

きちんと理解するというところには至らなかったと思います

むしろ、そのことを分かるようになったのは、やはり、ある程度大人になってから

話を聞くとともに、それに関連する昭和の歴史について戦争に

触れているところがたくさんありますので、

それに関連する書籍を読んだりしながら、だ

んだんと理解をできるようになっていったように思います

ただ、そうではあっても私自身、

私たち自身がその時代に生きていたわけではありません。

終戦後20年たってから生まれています。

そのようなことからこういう出来事があったということは分かっても、

そのときのその時代の雰囲気というのはどうしてもやはり理解、

実際の感覚として分からないところがあります。

 これらの言葉は同世代としてはものすごく納得できるし

 「その通りです」と言うしかないです。殿下、簡潔に表現して頂いて

 ありがとうございます。

 ニュアンスとして、その当時聞いていたことに対する印象と

 今、現在同じ事に対する印象が違って来ているのではないでしょうか。

 私達は子供の頃、ものすごい左翼教育を受けて来たわけです。

  殿下も子供心に不愉快な事を言われたりしたでしょうし。

それを乗り越えての今があるんですね。

 

また、慰霊についてですけれども、

これは戦後50年の機会に両陛下は大きな被害を受けた

広島、長崎、沖縄と、東京大空襲被害での東京を慰霊されております。

また60年のときに、これも多くの人が犠牲となったサイパンでの慰霊をされております。

この霊について、やはり戦争中、そして終戦、それから戦後の復興を見てこられた

両陛下にとって、その礎となった人たちのことを、考え、

思いを寄せないわけにはいかないというお考えがあったと思います。

そして1回慰霊をするごとに、また新たな事実を知るようになり、

やはり慰霊をすることが非常に大切なことだという気持ちに

自然になっていかれたと聞いております。

特に、サイパン。今の陛下にとってサイパンが取り分け印象に残っているのは、

戦争がだんだん激しくなって、疎開が始まって、

最初の疎開をされたのが静岡県の沼津だったのです。

沼津の疎開中に、ある日学校の授業から帰ってきたときに、

お付きの人からサイパンが陥落して、危ないので日光の方に場所を移しますと

いうことを言われて、それでサイパンが陥落したということが

大変なことなのだと強く印象に残っているということを伺ったことがあります。

いずれにしても、やはり戦争の中に日々の生活があった両陛下にとって、

戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強くて、

それが国内、それから海外での慰霊というものにもつながっていると

私は理解しております。

子どもたちについてどのように伝えているかということですが、

私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。

一方、子どもたちが御所へ伺ったときに、折々に両陛下から、

その当時のことについてのお話がありました。

先ほども申しましたように、私たちは戦争そのものを知らないので、

自分の子どもたちに大事なことで伝えられることは伝えますけれども、

なかなか当時の様子というのを正確に伝えることには限界があります。

その意味からも両陛下から子どもたちへの話というのは非常に大切な

機会であると思っております。

私たちが今までしたこととすれば、例えば戦争で大きな被害を受けた場所に

一緒に行って、その場で慰霊碑に花を手向けたり、

体験のある方から話を聞いたり、そういうことはいたしました。

先ほど質問にもありました、今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から

70年という節目の年ということもあり、

その行事に家族で出席をしたわけです。

これはそのときに長女から聞いた話ですが、彼女は対馬丸のことを、

私たちがそのときの話をしたり、沖縄に行ったときに当時のことを知っている方から

聞いたことが最初だと思っていたのですが、学校の図書室に、対馬丸の、

(紀子さまに振り向かれて)

何て本でしょうね。ちょっと題名は分かりませんけれども、あって。

小学校の低学年の頃だと思うのですが、そのときに本を読んで、

そういうことがあったことを知ったということを話しておりました。

私からは以上です。

 「理解している」という言葉の裏に殿下の苦渋が見え隠れ。

 本当は年齢的にも「慰霊の旅」はやめて欲しいのではないでしょうか。

 けれど、陛下からサイパンの話などを・・多分、何度も何度も同じ事を

 話されて「だから行かなくちゃいけない」と言われたら止めようがない

 んだろうなあと

 息子である殿下に出来る事は「お気をつけて。体調に変化があったら

 無理をされませんように」とおっしゃって、側近にお願いする程度かも。

  かといって戦争経験者の両陛下を尊敬申し上げているからこそ

  殿下はお子様方にも積極的に戦争の記憶を伝えようとなさっているのですね。

  眞子様は「対馬丸」の本を学校の図書室で見つけたのですか・・・・

  だったら愛子内親王も見ててもいい筈ですよね。

 私は「ああ対馬丸」という漫画を読んだことがきっかけですが、何が

  きっかけになるかわからないので、そういう機会は大事にしないと

  いけませんよね。

 

紀子妃

宮様とご一緒に参内しました折などに、両陛下より戦争や慰霊のことについて

お話をお伺いすることが度々ございました。

戦争によりかけがえのない尊い命を失われた多くの人々やそのご遺族に対する

深い思い、そして戦後の荒廃から復興に向けてたゆみない努力をされてきた

人々に寄せるお気持ちをこれからも大切にしてまいりたいと思います。

天皇陛下が皇太子殿下のときにお話をされた

日本人として忘れてはならない4つの日」には、

子どもたちが小さいときから一緒に黙とうをし、

戦争で亡くなった人々のことを静かに思いながら過ごしてまいりました。

また、本を読みましたり、戦争を体験した人や専門家からのお話を伺いましたり、

関係する場所を訪れたりすることを通して、

子どもたちが自然に平和の尊さを感じることができるよう心がけてまいりました。

戦争を直接知らない世代の私たちにとって、

戦争を体験された方々の様々な思いをしっかりと受け止め、

次の世代に引き継いでいくことは容易なことではありませんが、

これからも戦争と慰霊について考える時間を大切にしていきたいと思っております。

 無論、妃殿下は「皇族」としておっしゃっているのですが、

 本来、こういう言葉は皇太子夫妻から聞くべきことではないかと思っています。

 愛子内親王はもうすぐ13歳なのですが、皇太子殿下の記者会見の中で

 「戦争」についての教育を受けたとかした・・というような話は一度もありません。

 「心を寄せる」事の意味がここまで重要だったとは。

コメント (4)
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