正直・・・・意味がある事だったのかどうかわかりません。
わかんない そして当たり前のように「気持ちがわかる」と同世代の人達に
言わせ、若い人たちはシナリオのように「私達は受け止めるべき」と言い出す始末。
NHKでは「生前退位」の連呼
でも、本当におっしゃりたい事は違っているような?
「戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,
ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,
この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,
どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,
現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,
これまでに考えて来たことを話したいと思います。
ここからすでに「違う」と思ってしまう私は不敬でしょうか?
「社会の高齢化」と「天皇の高齢化」は次元が違うんですよね
「どのようなあり方が望ましいか」っていうのも、祭祀と国事行為のみ
やる天皇が望ましいのであって、そこに存在する事が重要なのであって
そんな事は天皇が考えるべきことではないのです。
陛下は「天皇」という仕事を「自己実現」の手段とお思いだったのでしょうか?
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた
天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,
更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,
いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
「伝統の継承者」でありながら「いかに伝統を現代に生かし」とおっしゃる事が
おかしいのですよ。
歌舞伎や狂言の「伝統」と「皇室」の伝統は違うでしょう?時代におもねる必要は
ないのです。
伊勢神宮をごらんなさい。2000年前と同じ毎日を今も送っているのですよ。
そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,
加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,
従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,
どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,
また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。
既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,
これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,
難しくなるのではないかと案じています。
ここは愚痴のように見えるのです。
「もう私は年齢的にも精神的にも皇太子を庇う事は出来ない」と。
今まで、愚鈍な皇太子のしりぬぐいをしてきた天皇。しかし、今後はそれが
出来ないんですよーーとおっしゃっているような漢字がしました。
私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間(かん)私は,我が国における多くの
喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを
大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,
その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,
天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,
天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,
常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
うーん・・・天皇になって28年、いつの間にか忘れ去られてしまう事がないように
必死に国民にアピールしてきました・・・ととれるんですけど。
つまり、自分には昭和天皇のようなカリスマ性はない。ゆえにあっさり
「いらない」と言われない様に、国民の前に姿を現し続けて来たという事ですね。
こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,
私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は,
国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井(しせい)の
人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,
国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもって
なし得たことは,幸せなことでした。
日本の隅々まで行く事で「自分は天皇なんだよ。日本の象徴なんだよ。
ちゃんと役割があるんだよ」とアピールし続けてきた事はよかったと思う。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を
限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。
だから「摂政」であり「皇太子」ではないのですか?
確かに、あと10年、陛下が生きられたら皇太子は喜寿近くになってしまう。
秋篠宮もそれ相応の年齢になってしまう。
よぼよぼの天皇ばかりじゃ常に祭祀や公務が出来ないし、ボケる危険性もある。
だけど、秋篠宮家に産児制限をかけたのは両陛下でしょう?
自業自得ではないのですか?
っていうか、悠仁殿下はあと10年でちょうど20歳。充分お役目を果たせますけど?
また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,
天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇も年寄りなら摂政も年寄りになる可能性もある。
延々と摂政任せにしてベッドに横たわってるだけの天皇になる可能性もある。
そんな天皇、存在意義があるのか?とおっしゃりたいわけですか?
なぜ摂政を置きたくないのか、今一つわかりませんでした。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,
社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
昭和天皇の時に「自粛」した事が、今上にとっては非常に罪悪感を持つ事
だったのですか?
「すみませんねーーうちの父が病気なばっかりに」的な?
でも、「自粛」の気持ちは国民の昭和天皇への「敬愛の念」と受け取っては
頂けないのでしょうか?
どこの世界に国父が具合悪いのに派手に騒ぐ事ができましょうや?
昭和天皇の時は、わずか数か月ではありませんでしたか?それくらい
日本国民はなんとも思っていませんよ。
「国民と共に歩む天皇」だからこそ、畏敬の念を覚え「自粛」した・・・
それは国として当たり前のあるべき姿で、それを「国民に押し付けたみたい」と
感じている事こそが「左傾化した天皇」と呼ばれる所以です。
更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,
重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,
その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。
その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,
行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
「家族」って?え?ご自分が亡くなられた後の葬儀が大変で、妻や息子が
大変な思いをしなくちゃいけないから今のうちに・・・とおっしゃるのですか?
何で、ここで突如「家族」でしょう?
「殯」は天皇家の祭祀です。やらねばならぬ事です。殯をしてもらえない天皇なんて
国として必要なかったとわれるのと同じですよ。
つまり、「皇太子夫妻」「皇太子一家」では、殯をきちんと出来ないだろうと思う。
変な所で恥をかいて揶揄され、秋篠宮が全てのしりぬぐいをするのは気の毒。
だったら葬式なんてやらないでくれーーって事ですか?
始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,
これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,
相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,
そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,
安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
国民の理解を得られることを,切に願っています。
十分な越権行為かと思います。
そもそも江戸時代まで「天皇」は「将軍」より貧しかったし、あまり相手にも
されなかった。それが明治維新をきっかけに「大元帥陛下」として天皇が
「国の中心」という地位を取り戻したのです。
なのに、今、自らこれを終了させようとなさるとは。
以前、私は「陛下は自分で皇室を終了させたいのではないか」と書いた事が
ありますが。おやりになった事は思惑はどうであれ、そっちへいく恐れがあります。
「安定的な皇位継承」といいつつ、即位も殯も「負担」だから簡略化しろというのは
「天皇には権威がない」とおっしゃっているようなもので、権威なき天皇は
税金泥棒ですよ・・・・・
少なくとも私はNHKが連呼するように「皇太子さまに位を譲りたい」という意志を
感じとる事はなかったのですが。
結果的に国民世論がそっちへ誘導されている事は事実です。
また、正直、雅子妃が入内する時、あるいは愛子内親王を産んだ時、
適応障害になった時、オランダへ行ったとき、どれだけ皇太子夫妻の行動が
おかしかったか目にしている筈。
今、このような形で政府を動かす事が出来るなら、「廃太子」する事の方が
たやすかったのでは?
私達保守派は「陛下は憲法や皇室典範の縛りがあるから、皇太子夫妻を
廃する事が出来ないのだ」と考えていたのに、いとも簡単に一線を越えられた。
という事は、今の今まで皇太子夫妻を見逃してきたのは、両陛下の意志だったと
思ってもいいのでしょうか?
何であの時、ちゃんと・・・・・と思いますよ。本当に。
今回の事で陛下はご自分の権威を貶めた。それは秋篠宮や悠仁殿下にも
波及する事でしょう。
どうしたら今回のメッセージが皇太子夫妻にとって「ウハウハ状態」と解釈
出来るのかわかりませんけど、少なくとお東宮サイドはそう思っているわけで。
ああ、情けない事です。