ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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皇后陛下 84歳に

2018-10-20 10:49:49 | 皇室報道

10月20日、皇后陛下は84歳のお誕生日を迎えられました。おめでとうございまず。

 誕生日に関する文書回答

昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。

バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。

 こういうところでさりげなく「私はボケてない」を強調するところがあざとい。

日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。

また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。
 そのような中,時々に訪れる被災地では,被災者の静かに物事に耐える姿,そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で,健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また,被害が激しく,あれ程までに困難の大きい中で,一人でも多くの人命を救おうと,日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し,深い敬意と感謝の念を抱いています。

 とても詩的な表現ですね。また「感謝の念を抱く」と言わずに「感謝しています」ではダメなんでしょうかね。



 約30年にわたる,陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も,あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。

これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが,加齢と共に徐々に「全身」をもって,という部分が果たせなくなることをお感じになり,政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。

5月からは皇太子が,陛下のこれまでと変わらず,心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。
 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが,以後もきっと,それまでと変わらず,国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで,これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ,これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 「全身全霊」という言葉は一つの熟語だけど、それを「全身」と「全霊」でわけて片方が果たせなくなったから辞めるというのは屁理屈にしか聞こえないんですよ。私には。国民は天皇に「全身全霊」を求めてはいないし、そもそも「全身全霊」で何をどうして来たというのか。早い話、「自分で考え、それを実現していくだけの体力がない」ということなのでしょう?

でも天皇というのは基本的に「自分で考え自分で行動」はしてはいけない存在の筈なのです。天皇も皇后も存在はあくまで「象徴」であり、国益にかなったものとしての「公務」があるだけで基本的に国事行為と祭祀があるだけです。皇后陛下は「天皇というものは日本でもっとも権力がある人だ」くらいに考えているのかもしれません。

 また「新しい御代の安泰を祈る」なんて綺麗な言葉で書いているけど基本、自分は天皇と皇后から目を離さない、自分が出来ることはやる・・・と決心しているかのようですよね。



 24歳の時,想像すら出来なかったこの道に招かれ,大きな不安の中で,ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ,おそばに上がりました。

 いかにも「皇太子妃になってやった」といわんばかりの言葉です。

そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで,どのような時にもお立場としての義務は最優先であり,私事はそれに次ぐもの,というその時に伺ったお言葉のままに,陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。

 まさか最後の最後に「私事」を優先なさるとは60年の歩みも水の泡ですわね。

義務を一つ一つ果たしつつ,次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に,新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を,今深い感慨と共に思い起こしています。

 象徴は退位しないのですよ。

 皇太子妃,皇后という立場を生きることは,私にとり決して易しいことではありませんでした。

与えられた義務を果たしつつ,その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく - そうした日々を重ねて,60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを,幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。

その間,昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り,陛下には時に厳しく,しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は,誰も本当に可愛く,育児は眠さとの戦いでしたが,大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

 「育児は眠さとの戦い」って・・・育児してないでしょうがっ 傍にいつも女官なりナース成りがいた環境で何を言っているのやら。

 陛下の御譲位後は,陛下の御健康をお見守りしつつ,御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。

そうした中で,これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。

例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

 「心を寄せる」は皇太子が好んで使う言葉ですが、大元はここにあったんですね。そもそも「心をよせる」というのは自分で言うべき言葉なのか?とも思うのですが。

そしてなぜここに政治的な話をもってくるのかわかりません。

 先々(さきざき)には,仙洞(せんとう)御所となる今の東宮御所に移ることになりますが,かつて30年程住まったあちらの御所には,入り陽(ひ)の見える窓を持つ一室があり,若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。
 赤坂に移る前に,ひとまず高輪の旧高松宮邸(たかまつのみやてい)であったところに移居いたします。昨年,何年ぶりかに宮邸(みやてい)を見に参りましたが,両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに,お住居の隅々まできれいで,管理を任されていた旧奉仕者が,夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り,深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず,宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと,陛下とお話しし合っております。

 手を入れず・・・ってすでに5億円使ってますよ。どの口が・・・本当に倹約しようと思うならそのまま皇居にいればいいし、高松宮邸を仙洞御所にすべきでしょう。

 公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読

み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。
 また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田(おた)の近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田(かでん)に踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

 きっと国民は「まあ、マクワウリの栽培位よろしいわよ」って思うと?まさかーー別に陛下の御田の近くでなくても作ればよじゃったし、陛下のしている田植えなどの意味がわからなかったということ?皇后になるまで?

 大変な読書家でよろしいわね。読書しすぎて目が・・・ってことになりませんように。ドレスにショールをかけて揺り椅子に腰かけジーヴスの原書を読む。まるでミス・マープルのような自分を想像しているのかしら?


 皇太子,天皇としての長いお務めを全うされ,やがて85歳におなりの陛下が,これまでのお疲れをいやされるためにも,これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに,心の安らぎを覚えています。
 しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか,その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り,陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。

 いかに東宮御所に行ってません・・・っていいたいの?天皇ですもの、赤坂御用地の庭の散歩ぐらい出来そうなものでしょうけど。

 

コメント (13)
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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 8

2018-10-20 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 FOCUS1991年8月16日号

「最初の浩宮妃候補小和田雅子さんのその後の家庭

 

 女性自身1991年8月20日・27日

「周辺再浮上!皇太子妃はやっぱりあの小和田雅子さん 応援の声事情」

 まさにあれだけはっきりと「私は関係ありません!」って言ったのに、カレシや不倫相手が複数いるって報道されたのに、それでもなぜか「お妃候補」に再浮上してしまう小和田雅子さんは奇々怪々です。

 女性週刊誌が応援に回ったという事はやっぱり裏には「美智子さま」がいたのか?というような気もするんですけど。

 

 FLASH1991年9月3日号

「小和田雅子さんと父・恒外務次官内規違反発覚!父親用に発行「駐車許可証」で外務省にマイカー通勤していた有力お妃候補の失点」

 この記事なんて、父親名義で借りた駐車場を娘がちゃっかり使っていた。外務省の新人は車通勤は許されないのに。管理室もマスコミに「娘が使っているんじゃないの?」っていわれて「まさか。恒氏からいわれて発行したのに」と驚き、でもすぐに登録は取り消され「あんたがづべこべいうようなことじゃない」とか「一時的に使用していたと‥思う」というような答えに。

 

 女性自身1991年12月24日・1月1日号

独走スクープ!小和田雅子さん聞こえて来た「正式ご求婚(プロポーズ)があればお受けします」発言!皇太子妃来春決定説の全シナリオを追う」

 

 FOCUS1992年1月3日号

皇室の最重要課題」32歳を迎える皇太子のお妃選び

最近、小和田さんが、“皇太子さまご自身、あるいは皇后さまから直接、お言葉をいただいたら……”と漏らしたという話が親戚筋から伝わっています」

 女性自身1992年1月7・14日号

「皇族からも聞こえて来た皇太子妃には小和田さんしかいないの声」

 女性セブン1992年1月2日・9日号

「どうしても消えない皇太子妃候補小和田雅子さん」

 微笑1992年1月11日号

「皇太子妃か女性大使か小和田雅子さん母激白「娘は過労死しそうです」

 女性自身1992年1月21日号

皇太子妃」独走スクープ第3弾!皇太子さま32歳の誕生日に2月23日に重大発表が?」

 

今もそうですけど美容室には週刊誌が沢山おいてあって、いつも女性が目にしていたわけですけど、こんな記事がでるたびに「あれ?まだお妃候補なの?」って思ったに違いありません。けれど時はバブル末期で皇室の事より自分の事の大事だし、皇太子はそんなに人気がなかったし、だから何となくスルーしている間にあっという間に既定路線になってしまったという感じです。

当時はまだ「美智子さまオーラ」がすごい時期で「苦労してきた美智子妃がやっと皇后陛下になれたんだわーしかも嫁を貰って孫まで出来て」みたいな感じでしたか。また、都市伝説として「紀子妃堕胎説」が出て来たのもこのころです。

思えば全部しくまれていたんですよね。それだけ秋篠宮家の人気はすごかった。その視線を何とか「小和田雅子」に持って行きたい勢力がいたということです。

それにしても「皇太子妃か女性大使か」って・・・盛りすぎよね。社会的ルールを守らずにコネを使いたい放題だったのに。もし件の不倫説が本当なら彼女の心はこの時期はまだまだ皇太子には向いていなかったことになります。本当に長い年月、執着しつづけた皇太子ってストーカーみたいと思ったし、5年経とうか人の本質というのは見えないものなんだなと思いました。

まして「あっちから言ってくれたら承諾する」という意志を出し始めた小和田家の少々の焦りが見苦しすぎてね。

コメント (5)
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