怒り心頭。森洋平がサンデー毎日に書いていることはYHOOコメント欄とすっかり同じではないですか。
荒らしの連中から見ると「だから多数決で民意だ」とか言うんだろうな。
でも私は彼を許しません。
悪魔に魂を売った卑劣な大学教授で成城大学のお里が知れるぞと言いたいです。
森氏がどれだけ馬鹿なヤフーコメント論文を書いているか・・という事の前に、正直、今回の「日程重複」「当たり屋記者会見」が皇室内、そして宮内庁的にも相当なダメージだったという事です。
私達、ネットの住民は「また当たり屋をやっちまったよ」程度でしか見てません。なぜって「いつものこと」だから
今更騒いでも止めないんだろうなと思っていたからです。
それなのに、数ある当たり屋の中で今回ばかりはダメージが多かった。
誰に?天皇家にとってです。
宮内庁長官が記者会見までして「私のミス」と言ったのは、紀子様が怒ったからではないです。
紀子様が怒ったくらいで動く宮内庁なら苦労しないわ
何をどうやっても天皇家の「17日にやるったらやる」を止められなかったから「個人的には違った日だったらよかったと思う」と言わなくてはならなかったのです。
普通は、そういう解釈をする筈です。
ところが、大学教授で博士の森氏の理論はめちゃくちゃです。
「宮内庁は、悠仁さまの成長をアピールするために、学校側と調整し、かなりの準備をしてきた。
なぜ「アピール」する必要があるんですか?皇族って人気商売なんでしょうか?悠仁殿下のご成長はわざわざアピールしなくても十分に国民には伝わっています。
森氏の「アピール」という言葉の裏に天皇家の「意思」を読み取ります。
愛子内親王が生まれてから散々やって来たこと・・・静養先での「お手ふり
」やら頼んでないけど出してくるスキー映像とか、一々「成長アピール」しないではいられない。
「うちの愛子を忘れるな」「うちの愛子は最高!」「うちの愛子は優秀!」とアピールしないと実は忘れ去られてしまう人だという事ですよ。
本来、誕生日前に撮り終わって当日公開されるべき映像が、なぜか「17日に生でやるったらやる」と存在アピールしたのは天皇家でしょうが。
ところが、悠仁さまへの注目は、期待していたほどには高まらなかった。
同じ日午後2時から、愛子さまの記者会見があったためである。
さまざまな論評にあるとおり、会見は成功し、愛子さまの評判は上がった。 一方で、宮内庁の全体的な広報戦略としては、成功だったとは言いがたい。
悠仁殿下への注目が期待した程高まらなかった・・・というのは何を見てそう思ったのか、いや、そう解釈したのか森氏に聞きたいです。
ニュースではひっきりなしに泣流れていましたし、イケボではっきりとしたお言葉は涼し気で国民は誰もが「あ、悠仁殿下は背が高くなりご立派になったな」と思いましたよ。
どの論評が「愛子さまの評判が上がったのか」それこそ米印で引用してくださいよ・・と言いたいです。
悠仁殿下の卒業式は午前中、そして愛子内親王の会見は午後でした。
部屋が暗く、逆光の中でぺらぺらと喋り出した事に称賛されたのは、今まで愛子内親王が2語文を喋った映像がなかったからじゃないですか?
悠仁殿下はビデオでもブータンでもちゃんとお話されていました。
悠仁殿下のお言葉はいつもの「殿下らしい自分の言葉」でした。
愛子内親王への期待値が低かったから「あ、愛子さまって喋れるんだ」と思った人多数。
同い年の娘や息子がいるご家庭なら愛子内親王の言葉がいかにおかしくて変でありえないかわかっています。
それがわからないのが森暢平なんですよ。
ちょっと回りの2001年生まれの子供がいる家庭に聞いてみたらいいのに。
「御用邸の縁側で寝てたら朝が来たって・・あちら様は子供を朝まで縁側に放置するお宅なの?」と言われるだけです。実は「どこでも寝られる」このエピソードがあまりにも「幼児虐待?」っぽくて不評だった事に腹を立てているのでは?
そのエピを作り出した張本人の雅子さんが。
自分にそういう思い出がない限りは想像できないエピですが、外から見て「子供をほったらかしにする親」なんだ、それって小和田家の家風なのかもしれませんね。
宮内庁としては、愛子さま・悠仁さまの2人の成長をともにアピールしなければならないからである。
同じ日の会見と卒業式では、残念ながらどちらかがかすれてしまう。
宮内庁幹部たちが日程の重なりの問題性に気が付いた時は、すでに調整不能な時期であった」
だから何度も書きますが皇族はアピールする必要はないのです。人気商売ではないので。記者会見も30分もかけて喋った内容が何だかな~~で、だらだらとして記者達は本当に困ったでしょうね。
皇族はどちらかが光るとかかすむとかいう比較をする事自体がおかしいのです。
悠仁殿下は皇位継承権2位の男系男子ですよ。将来は天皇陛下になられる方です。
一方の愛子内親王は「天皇家の皇女」ではあってもやがて降嫁して民間人になる人です。
そもそも生まれが違うんだよ、育ちが違うんだよ、比較する方がおかしいんだよ。
そんな事もわからないで大学教授やって皇室を語るんじゃない。
知識もないくせに分かった事を言うな。
宮内庁にだってカレンダーはあるでしょうし、それぞれの皇族の日程がパソコンの中にあって職員一人ひとりが毎日確認できるようになってる筈です。
「はっと気づいたら被ってた」わけないじゃないかっ それじゃ宮内庁職員ってただの馬鹿だよ?
週刊誌には、「3月17日は悠仁さまの優秀ぶりを国民に強く印象づけるチャンスでした。
その機を逸された紀子さまには、悔しさにも似た焦燥がおありだったことでしょう」(『女性セブン』3月31日号)などと、あらぬ臆測を立てられてしまうことになった。
卒業式の翌日、悠仁さまは御所を訪れ、天皇ご夫妻、そして愛子さまに面会し、中学校を卒業したことを報告した。
従弟(いとこ)の卒業を愛子さまも喜んでいたということだ。
それを紹介するヤフーニュースのコメント欄には
「愛子さまの会見が素晴らしいものであっただけに、余韻に水を差すかのような、忖度(そんたく)記事」「昨日(3月17日)は、天皇家と秋篠宮家の品格の差が浮き彫りになった」などと心ない書き込みが続く。
こんな三流週刊誌の書いた事をわざわざ引用して「心無い」とかよく言える。自分が思ってることじゃないのか?
森氏は、悠仁殿下が参内し挨拶する場面に愛子内親王がいるべきではなかったという常識すらわからないのです。
「伯父さんこんちわ。俺、中学卒業したぜ。今度筑附にいくからさ」とかいう挨拶ではないんですよ。
これは皇嗣家の男系男子で皇位継承権2位の悠仁親王が、天皇皇后に「両陛下にはご機嫌うるわしく恐悦至極に存じます。昨日無事にお茶の水附属中学校を卒業いたしました。両陛下には過分なご配慮ありがとう存じました」とかいう口上があり、それぞれ「おめでとう」というわけで、決して私的なものではないのです。
眞子様がご挨拶された時も同じで、これは「儀式」なのです。
そこに何の関係もない内親王が「いとこ」だからって同席して「嬉しかった
って言うんでしょうか。
嬉しかったって何?って私などは思いますけどね。
「大きくなられて驚きました。嬉しゅうございました」ならわかりますが。
「嬉しかった」と言った人が「私の長所はどこでも寝られるといことで」とか「移居」とか「栃木県にある那須の御用邸で」とか言うとか思えないのですが。
「愛子さまと悠仁さまの扱いは、今後の皇位継承問題も絡み、微妙な問題をはらんでいる。ちょっとしたことで、臆測を呼ぶことは容易に想像できる。それだけに、調整ミスは確かに痛恨の出来事であった」
頭の悪い森暢平氏に教えて上げます。
まず「ベルサイユのばら」1巻から2巻、3巻くらいまでお読みなさいな。
ルイ15世の愛人・デユ・バリー夫人のやりたい放題にマリー・アントワネットは正義感から怒ります。
デュバリー夫人は元々娼婦で、その美貌と肉体でルイ15世を篭絡した。
「お母さまなら(マリア・テレジア)そんな女は鞭をむれてやったのに」
と正義感で怒り、絶対に自分からは挨拶しないと決めてしまった。
でも、デュバリー夫人の後ろ盾はルイ15世。
とうとう国際問題になりそうになり、アントワネットは泣きそうになりながら「今日は・・ベルサイユは大変なひとですこと」と言う。
でもその数年後、ルイ15世は亡くなり、デュバリー夫人は修道院に、そしてアントワネットは王妃になるのです。
この例え、わかりますか?皇嗣家はハプスブルク家と同等のきちんとしたお家柄できちんとした血筋で正当な世継ぎ。
内親王の後ろ盾は誰ですか?還暦すぎの天皇陛下ですね。
オスカルが「王も60をすぎた老人だということ」と捨て台詞を吐くんですが、まさにその通りです。
そして今の天皇があるのも上皇后の「贔屓」によるもので、雅子皇后が好き勝手出来るのも小和田恒氏が生きているからこその話。
宮内庁内部だって、いや、国家公務員の中、民間にすら「恨みつらみ」を募らせていつかそれをはらす日が来るのをじっと待っていたりするのですから。
黙っていても秋篠宮殿下は次の天皇、そして悠仁殿下はその次の天皇です。敬われて当然なのです。
ああ・・・でもこの例え、きっとわからないよね。
でもね、悠仁様はそんな世間の喧騒とは関係なく素直にお育ちに成っています。多少はお年頃ですから傷つくことも有るでしょうけど。素直にお育ちです。
ほんとに楽しみたい、今の私の興味は学部何処を選ぶのか?何を研究されたいのか?そこですね(笑)
ツイッターで宣伝してますもん。
「森暢平?誰ソレ」な皇室ファンが検索してくれて、本を買ってくれれば儲けもの。そんな魂胆じゃないですかね。
名前出してナンボなんですよ。
震災のお見舞いを急遽付け加える事で、ライブ感を出したのでしょうが、練習不足の為しどろもどろになってしまったし午後からなんだから被ったとは言われない…言わせないだろうと。
ならば、悠仁親王殿下の卒業について〖午前には親王殿下の卒業式も行われご成長を両親共々喜んでおります〗くらい言えたでしょう?だったら挨拶に出なくてもいい愛子さまが〖嬉しかったです〗と感想を述べたとしても筋が通りますし、敢えて宮内庁に責任を取らせる事態にはならなかったのではないでしょうか?
栃木にあるとか静岡にあるとか不必要な説明で釈を取るあたり、如何にも雅子さんらしい作文でした。又はそうしないと愛子さまが覚えられなかったのではないかと思ったりもしています。
正直、森さんという方がどんな人物かは知りませんが、何となく現役時代の教授で在られた妃殿下の父上にずっと嫉妬していた人なのかな…と…。
ご長女(紀子さま)が将来皇后陛下になられ皇太后になられるとはご成婚当初は思いもしなかったでしょう、未来を担う若者を指導する立場にいる人が、誹謗中傷を身を持って教えているとは情けない限りです。
上皇両陛下や秋篠宮家に誹謗中傷が分散されなければ、アレらは自分の足で立っていられないのでしょう。
会見の両親に対して呼び方が統一されていないと言われたら【使い分けていらっしゃる。素晴らしい!】だとかw同じお立場の清子さまの記者が取り囲む様な会見で、近寄り難い落ち着いた成人会見を思うと何とも素朴で幼い感じが致しました。何か難癖つけるのもお可哀想なものでした。頑張りましたね、としか言いようがなかったです。
悠仁親王殿下をアソコまで叩けるのは単純に、愛子さまのソレとは違うからでしょうね。
気付いてないでしょうが。
愛子さまの方も、被らない方がいいのにわざわざぶつけてきたのは、①宮内庁が変更を言い出せなかった。②秋篠宮家のことなど配慮の必要なしとの天皇のお考え、③愛子天皇待望論を盛り上げるためのアグレッシブな手段(絶対愛子の方が称賛される工作済み)と推察します。
結果、会見はハードルの低さもあって、成功と言えますが、悠仁さまの卒業は外で立ったままのぶら下がりコメントで同等でもないですし、何ら影響はなかったかと思われます。森氏らは工作員。皇位継承の仕組みが変更されることは、日本史の一大事といえます。自分が識者としてそれに関わりたい、動かしたい功名心があるのではないですか。
筑波大学の学長は、筑附の生徒たちを信頼した発言をしてくださいました。私は悠仁さまがここで良い学びとご成長をしてくださることを信じております。東大のことなど関係ありません。3年後の為に今があるわけではないので。宮内庁にはもういい加減、悠仁さまを守っていただきたい。
ベルばらエピソード、キタ━(゚∀゚)━!と、読んでいて嬉しくなりました。
以前のコメントに、雅子さまがデュ・バリー夫人と被ると書いた者としては、「あー、やっぱりふぶきさまも同じように思っていたんだ」と。
とはいえ、記事の内容としては、「これで教授?」ですね。こんな人がいるから、「秋篠宮家は芸能人一家のようだ」「国民投票で次期天皇を決めたい、それこそ民主主義だ」などと言うノータリンさんが増殖するのでしょう。
怒り心頭な気持ちは痛いほどわかります。
愛子様の成年の儀は本来であれば昨年の12月1日であり、記者会見の収録は11月中に終わらせるべきでした。学業優先(平日1日だけでも休めないの?学習院なら考慮してくれそうだけど)、秋篠宮殿下の誕生日の翌日(記者会見は前撮りなのに)を理由に5日に成年の儀、今月17日に記者会見を実施していました。これがどれだけの関係者を動かすことになるか、きちんと親が諭すべきです。完全に私を優先していますから。
悠仁親王の卒業式は17日。ネットでは本当は18日では?なんてありましたが基本的に関係者だけが知ってればいいはず。また秋篠宮殿下は周りの生徒に迷惑をかけないようあえて裏庭などでインタビューを受けていらっしゃいます。それも実は前撮りなんじゃないかと言われていますが…それにその時期に卒業式がありそうなことはわかるはずなんです。
方や流動的、方や日程が決まっているので日程が決まっている方が優先されます。
その上で、愛子様は今上の子というだけで皇位継承権は生まれたときから持っていませんし、これからも持つことないでしょう。秋篠宮殿下が皇嗣であることは内外に宣言されています。これもアンチによると暫定一位、皇太子や皇太弟だとお車代がもらえないからならなかったとか言いますね(怒)
皇位継承権がないので天皇の子だから内親王の中でちょっと格上程度に過ぎず、上皇から見たら同じ孫です。秋篠宮ご夫妻より下です。
皇室の次世代を盛り上げる存在としての悠仁親王や愛子様の在り方はありだと思います。しかし愛子様のご両親が…悪すぎる。この一家は揃いも揃って秋篠宮批判に会見などでスルーするという形で加担しています。
愛子様の会見は特にオーラも気品も感じませんでした。よく覚えたね~程度。
あれで国民に寄り添ってる?ないない。
おっしゃるとおりです。
大学、マスメディア、法曹界は左翼の巣窟になりさがっています。
森暢平は毎日新聞入社、退職後自称ジャーナリスト、渡米そのとき琉球新報ワシントン駐在記者に就任しています。
毎日新聞、琉球新報でお察し物件。
それに日程かぶりの件は、官僚はとぼけるのも仕事のうち。
「別の日がよかったと個人的には思う」
その心は、
(悠仁さまの卒業式の日取りも翌日のスケジュールも全部頭に入ってたよ。でもどうしても愛子さまの会見はその日でなくてはいやだと言い張る人がいてね、逆らうとせっかく改装した宮殿の壁に穴があくぐらい暴れる人でね、、、下手したら陛下に灰皿を投げつけかねない。あんな陛下でも怪我したらそれこそ私の首が飛ぶ。仕方ないんです。察してくださいよ)
程度だと思います。
朝まで放置される寒々としたエピも衝撃でしたけど、3人で海に浮かべたサーフボードに座ろうとして「見事全員で落下した」というのも、どこがユーモア?どなたかサーフィンしていました?
Wikiで森某の経歴を見ましたけど、あの程度で大学の教授になれるんですね。
著書は皇室ものに特化していて、教授のポストを対価に誰かに雇われ、おかしな言論を振りまいているのではないでしょうか。
儀式という公的な場に、家族を伴ってやってくる、何も考えずついてくる、公私の区別ができない、けじめがない親子だなと思います。
みんなでピアノを囲んだり、どこかの皇太子とキラキラドレスで赤ちゃんのような紀宮を抱いて面会とか、来日した海外王族と昭和の皇太子一家が一緒に写った公私不明の写真を連想してしまいました。
平成の皇后が天皇と対等であるかのように振舞ってきたので、国民の感覚が麻痺している気がしますが、平成の即位後の両陛下の初会見で、皇太子の結婚についての回答で美智子皇后が「東宮さまや礼宮」と言ったように、皇太子が皇后よりお立場が上なのですね。
高松宮殿下が、明仁皇太子に丁寧な言葉を使っていたとか、降嫁後の東久邇成子さんが清宮さんと電車でお出かけのおり、休憩室に同席するのを成子さんがよろしいかしらとお声をかけたとかという話もありますし、紀子様は序列をわかっていると威嚇する人達にとって、悠仁殿下と愛子さんの序列はどうなっているのか疑問です。
本来は、愛子さんだって悠仁殿下に敬語を使うべきと思いますが、愛子さんに敬語が使えるでしょうか。
「頼んでないけど出してくるスキー映像」で思い出したのですが、愛子さまが中3の3月頃栃木那須で高校生のスキー合宿で人災というべき事故で年齢の変わらない子の命が多くなくなりました。にもかかわらず日を置かずにご一家は長野県にスキーに行って、4月に華麗なスキー映像を出したんです。大震災ではないしホテルのドタキャンもできなかったのかもしれません。でも馴染みある那須の事故なのに、例によって3人駅でお手ふりでした。せめてひっそりお忍びでというわけにいかないのでしょうか。(当時小室騒動で、がるちゃんに書きましたら、「は?なんで遠慮するの?」と総叩きにあったんですが)
悠仁さまはラグビーのW杯を紀子さまと見に行く予定を集中豪雨のため取りやめました。日本が勝ち、その次の試合を上皇・上皇后夫妻が見に行きました。この時悠仁さまだけでも連れて行ってあげてもよかったのに。