続きです~
午後1時に防衛省正門前に集合、市ヶ谷台ツアーに参加します。1時10分から受付開始。
事前に送付してあった個人名と身分証明書を提示、首から下げる入館証を渡されます。
テレビなどで良く見る防衛省正門、警備員が何人も入り口にいて重々しい雰囲気です。
午後の部は、「市ヶ谷記念館」見学の前に「大本営地下壕跡」を見学します。
雑木林の手前の道を歩いていき、入り口に到着。ヘルメットを着用して、地下壕に入ります。
大本営地下壕跡は、昭和16年に大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部等の陸軍の主要機関が市ヶ谷に移転した事に伴い、
その防空壕として昭和16年8月から昭和17年12月にかけて建設されたものです。
御前会議においてポツダム宣言の受諾を決断した昭和天皇の聖断を伝えた場所であるという記録も残っています。
地下壕の全体図
歴史的に貴重な建造物であることから、防衛省では補強工事等を行って、令和2年から一般公開しています。
天井には丸く穴が開いていますが、通気筒の跡です。
安全のため、設置されていた換気扇は撤去されています。
奥へ進みます。
手前が大臣室、奥が通信室。
奥が受水槽、手前は炊事場。
トイレ跡もありました。
意外と狭いなと感じました。
外から見た感じ。中に地下壕があるとは思えません。
外へ出て、記念館へ向かいます。
市ヶ谷記念館。
右に見える電波塔は高さ220mあり、陸海空各自衛隊の通信局舎で使用しています。
一旦奥の方へ進むと、像があります。
スティルマン・インドネシア共和国初代国軍司令官の立像。日本ではここにしか設置されていないそう。
ここに移転する前にあった門を移築しています。
説明を受けましたが、良く聞き取れず・・・分かりませ~ん。
戻ってきて、撮影タイム。
ここで会の集合写真を撮りました。
ヘリコプターが展示してあります。
いよいよ記念館へ入ります。
記念館内部を吹き抜けになっている2階廊下から正面を撮ります。
昭和21年5月から23年11月までの間、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使われました。
2階には旧陸軍大臣室と旧便殿の間があります。
1970年(昭和45)11月25日に三島由紀夫が楯の会・会員4名と憲法改正の為自衛隊の決起を呼びかけた後に割腹自殺をした、三島事件が発生した場所。
ドアには刀傷が3箇所残されています。
1階へおりて、
正面一番奥に見えていた玉座と書かれた場所。
玉座の後ろには西陣織の壁、鎌倉彫の細工が施された床、ピカピカです~
移築する際、部材を丁寧に剥がし、復元されています。
床はナラの寄木で、割れたり上手く復元されなかった部分は似たような柄の合版が使われています。
展示品などをゆっくり見学して、外へ出ます。
旧建物の外に付いていたた桜と、
時計です。
最後に厚生棟の売店でお土産を買ったり休憩したりしておしまいです。
私は孫に海軍と空軍の制服を来たクマのぬいぐるみを買い、クリスマスプレゼントにしようと思います。
防衛省の外に出て、閉会の挨拶。解散としました。
いつもとは違う内容ですが、皆さんとても喜んでくれました。貴重な体験でした。
私達はおっとの会社に立ち寄り、所用をすませ、カレンダーをもらって帰りました。
会社の窓から防衛省。手前の木々が生い茂る場所の地下に地下壕があります。
外からは全く分かりませんし、会社の人たちもまだ入った事がないそうです。
普段入れない場所の見学が出来て、有意義な例会でした。
昨日は6650歩と少なかったのですが・・・
日野市2枚目のマンホールカードを配布開始日にもらってきました。
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