よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧 ー 思わぬ所で、ビビ・アンデルセン

2021年03月08日 | 映画
古い西部劇を観た。1966年製作Duel at Diablo 。ジェイムス・ガーナー主演で共演がシドニー・ポアティエ。組み合わせが面白いので観たのだが、二人とも初めての西部劇だというのも気に入った。ところが、である。冒頭流れる配役に、アッと驚いた。何?ビビ・アンデルセン? 西部劇に出てる? そう、あのビビ・アンデルセンだ。スェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン作品で常連だった、あのアンデルセン。なんとアメリカの西部劇に出ているとは。懐かしい顔が画面に現れた。

ベルイマン作品は日本ではATG系しか掛からない、いわば大衆受けしない映画に属するが、ビビ・アンデルセンの出る作品では第七の封印、野イチゴ、ペルソナを観ている。正直なところ、神の存在を扱う第七の封印は難解だったのを覚えている。やはり、スェーデンの大女優ともなると、アメリカからもお声が掛かるということなのだろう。スェーデン女優では他にもリブ・ウルマンとかイングリッド・チューリンがいるが、やはりビビ・アンデルセンの愛くるしさには脱帽だ。

古い映画を観ていると思いがけない人に出会う。だから止められない。

映画三昧 ー ハリソン・フォード 

2021年02月22日 | 映画
ブレード・ランナーで一躍注目を浴びて以来、冒険やアクションものを中心にハリウッドでのポジションを築いてきたハリソン・フォード。彼のヒット作のひとつ、インディアナ・ジョーンズの最終編の話が今出ているようだが、今更もういいのではないか、と思うのはよし坊だけであろうか。

数ある作品の中で印象的だったものがいくつかある。

最近彼の古い作品Hanover Streetを観た。第二次大戦のロンドンを舞台とした戦争ラブロマンスである。懐かしい女優の名前が見えた。レスリー・アン・ダウンだ。同じ共演者には先日亡くなったクリストファー・プラマーが彼女の夫役。ハリソン・フォードのアクション冒険ものもよいが、最期にホロリとくるこんな映画もいい。

私が一番好きなハリソン映画では、Witness(目撃者:日本では刑事ジョン・ブックで公開)がいい。アーミッシュがアメリカでコミュニティを形成しているのを知ったのはこの映画である。アメリカに来て二度目に観た時はひとつの発見があった。その頃 Vigo Mortensenがブレイクしかけていたのだが、Witnessの映画にちょい役で出ているではないか。これがあるから、古い映画を観るのが楽しくなる。つかの間の恋を入れての刑事サスペンスもの、ハリソン映画では多分イチオシの出来ではないだろうか。アカデミーにノミネートされていることからもそれはうかがえる。

映画三昧 ー Dances with Wolves

2021年01月27日 | 映画
アメリカの公開が1990年とあるから、もう30年前の作品となる。結婚してからはめっきり映画館へ出向くこともなくなり、洋画は専らテレビのロードショーに頼っていたから、この映画も恐らくテレビで観たのだろう。その意味では、初めて英語で観たお陰で、新鮮であった。

アメリカに来て、何かのインタビューでコスナーが ”自分にはインディアンの血が流れている”と語っていたから、この映画を製作し、メガホンをとったのは彼の中に特別な想いがあったのかもしれない。

この映画を観てインディアンの世界が面白いと思ったのは、その人の特徴とか行動とかを名前にすることだ。映画の題名は、コスナー演じるダンバーがオオカミと戯れるのを見ていたインディアンがそう命名した。名前という概念がなかった人類創成期は、きっとそういうつけ方をしてきたのだろう。それがつい最近まで残っていたということだろう。’自然に生きる’とはそうしたものかもしれない。

サウス・ダコタを中心にカンザスからワイオミングに至る壮大なロケシーンを観るにつけ、3年前、イエローストーンへ行く折に遠くに見えたバッドランドの景色やバイソン(バッファロー)が映画の画面と交差する。

いつも思うのだが、つくづくこの国はインディアンの土地だったのだと、痛感する。征服する者とされる者、今でもそういう世界に我々は生きている。



映画三昧 ー My Darling Clementine

2021年01月14日 | 映画
映画音楽でも有名なこの映画を何十年ぶりかで観た。OK牧場の決闘として有名で、以降いろいろな俳優で映画化されてきたが、時代とともに決闘シーンが派手さを加えていく中で、西部劇の古典のひとつとされるジョン・フォード監督の手になるこの作品は、派手さはなく淡々と話が展開されていく。

物語は、ワイアット・アープ兄弟が仕事で牛追いの途中、因縁のクラントン兄弟と出会うところから始まる。映画の背景は、遠くにトゥームストンの町が見え、その向こうにはモニュメント・バレーの岩山がシルエットのように点在している。もちろん、トゥームストンとモニュメント・バレーは実際にはそんなに近くではないのだが、映画のロケーションとしては、”いかにも西部の”という感じが出ている。

ヘンリー・フォンダのワイアット・アープ、ビクター・マチュアのドク・ホリデイを配し、最後のOK牧場の決闘では、後々の映画が好んで使ったような両陣営が至近距離で対峙し、派手に打ち合う方法ではなく、実際に起こった戦い方に近いものを再現したとフォード監督自身が語っている。

最後のシーンがまた良い。決して饒舌ではないアープがつかの間に心を通わせたクレメンタインに残すセリフだ。「 Ma'am, I sure like that name, Clementine」。そしてモニュメント・バレーの彼方に去っていく。

映画三昧 ー モントゴメリー・クリフト

2020年07月17日 | 映画
およそ五十年振りかでFrom Here To Eternity(邦名:ここより永遠に)を観た。真珠湾攻撃直前のハワイの基地を背景にバート・ランカスターとデボラ・カー、モントゴメリー・クリフトとドナ・リードの二組のロマンスの終焉を描き、フランク・シナトラが脇を添えている。日本で観たのが高校生か大学の頃で恐らく新宿名画座であろう。

モントゴメリー・クリフトの作品はそれほど多く観ていない。次に観たのがジェニファー・ジョーンズと共演したTerminal Station(邦名:終着駅)だ。ローマ駅を舞台とした年上の人妻とイタリア青年の別れのストーリーだ。最後に観たのが「ニュールンベルグ裁判」だった。

彼は交通事故で顔面を損傷し、手術によって映画に復帰したのだが、「ニュールンベルグ裁判」は、術後作品のひとつで、よくここまで回復したな、という思いと昔のイメージといささか違うことに複雑な気持ちになったものだ。

この映画の5年後、45歳で世を去ったのは残念だ。


映画三昧 - CONTAGION 感染

2020年03月12日 | 映画
コロナウィルスの流行がとうとうPandemic宣言まで行ってしまった。普通のインフルエンザは熱に弱いからと期待していたが、熱にも強いと言うから今年は大変な年になる。SARSは一回のブレイクから再発生していないが、今回のCovid-19は来年も起こりうるとCDCが予想しているから、相当厄介だ。

ウィルスを題材とした映画では、エボラにヒントを得たダスティン・ホフマン主演のOUTBREAKが有名だろう。脇にレネ・ルッソとモーガン・フリーマンを据えて見ごたえのある映画だった。

マット・デイモン主演のCONTAGION(感染)という映画がある。恐らくSARSがヒントになっているのであろうが、今回のコロナ感染を頭に入れて観ると、かなりのリアリティが得られる、必見の映画であろう。最初の動物ーヒト感染からヒトーヒト感染に拡がっていく様を逆トラックダウンして観客に注意を喚起してくれる。


映画三昧 -リチャード・ジュエル

2020年01月08日 | 映画
昨年末にクリント・イーストウッド監督の最新作Richard Jewellを観てきた。話題作であると同時に、アトランタに住む者にとっては忘れられない事件でもある。事件の印象が強く残っているのは、我々がアメリカに来た翌年のアトランタオリンピックの最中の事件だったからだ。

冤罪とは日常の直ぐ裏側に張り付いている。この映画を観て改めて冤罪とはいとも簡単に形作られていくのだな、と思う。多くの人達を救ったヒーローが一遍して容疑者となり拘束、結局証拠不十分で釈放されるが、後年真犯人が捕まるまでは容疑者疑惑のまま、針の筵であったろう。

そもそもの大失態は、FBIの初動捜査で浮かんだリチャード・ジュエルの名前がアトランタ最大の新聞社の女性記者にリークされ、特種として報じられたことにある。アトランタのひとりの捜査員が女性記者にリークしたのだ。映画では女性記者が”女の武器”を使って聴き出したことになっており、封切直前に新聞社が女性記者擁護の意味でイーストウッド他制作会社を告訴する旨ニュースになった。実際の女性が女の武器を使ったかどうかは分からぬが、相当やり手であったことは確かなようだから五分五分と言ったところだ。

その後、他の爆破事件を追っていたFBIはエリック・ルドルフをアトランタ爆破事件の犯人と特定し、2003年、ノースカロライナでたまたま職質を掛けた人物が本人と分かり、あっけなく逮捕された。FBIは正式にジュエルに対し名誉回復の為の且座を行った。当時新聞社からの一報で容疑者扱いをした大手ニュースメディアはジュエルの訴訟に対し示談したが、新聞社だけはニュース報道はFBIの情報に基づくもので何ら悪いことはしていないと、示談には応じなかった。

映画ではジュエルの母親役のキャシー・ベイツを久しぶりに観た。何と言っても昔観たミザリー。あの演技は凄かった。ほのぼの系のFried Green Tomatoesも良かった。今回の母親役もノミネートものの演技ではなかろうか。キャシー・ベイツ健在なり。


映画三昧-イングマール・ベルイマンの世界

2019年10月12日 | 映画
日本では殆どATG系でしか掛からなかったベルイマン映画。スェーデンを代表するベルイマン映画は重いテーマが多く難解だ。難解、と言うのは日本人にとって、と言い直す必要があるかもしれない。神を扱っているところに厄介さがある。

「第七の封印」では中世の戦争に疲弊した世界で自己に取りついた死神と対決する。「処女の泉」では娘を姦淫殺害した若者に復讐する父親。「鏡の中にある如く」では精神を病む姉が弟を誘い禁断の関係となり、ますます病を悪化させていく。いずれの作品も神の存在や、神は助けてくれるのか、を追求するテーマになっている。

さて、ものの善悪なら並の人間でも分かるのだが、”神は存在するのか”とか”神は助けてくれるのか”といったことは、キリスト教信者以外には理解できぬ話だ。だから、ベルイマンの映画はよし坊にとっては極めて難解な映画なのである。これを観たのが高校生くらいだから、正直よく分からなかったというのが当時の感想である。今観たら分かるだろうかと考えるのだが、今観ても恐らく同じではなかろうか、と思う。


映画三昧 - かくも長き不在 (再び)

2019年08月28日 | 映画
この映画の事を書くのは3度目だ。去年、待ちに待ったDVDが発売されたので、早速アマゾンジャパンで購入、実家の娘に保管してもらっていた。運よく今年の春にニュージャージーの娘が日本出張する際、実家に寄るというので持ち帰ってもらったのである。

先日、実に50年振りで観た。アリダ・バリとジョルジュ・ウィルソン。当時印象的に脳裏に残っている二つのシーン。ダンスをしながら鏡に映った戦争の傷跡、頭の傷。そしてラストの、向かってくるトラックに立ちはだかる記憶喪失の夫と衝突音。戦争の傷跡を扱ったこの映画は、やはり、心に残る佳作である。

あの頃、日本は実にいい外国映画を選定していた。戦後のアメリカ文化全盛の時代にも、フランス、ドイツ、イタリア、スェーデンを中心に日本に持ち込んでくれていた。当時の東和などの配給会社のお陰でもある。特により質の高い映画を、と展開してくれたアート・シアター・ギルドの存在は非常に大きいだろう。

アメリカに居ると、ハリウッド映画がすべてのような空気が蔓延している。加えて金さえ入ればいい、感覚だからCGを駆使した冒険ヒーローものが何と多いことか。ハリウッド映画を益々つまらない物にしている元凶みたいなものだ。

映画の質、という点では、ヨーロッパの映画を数多く観ているわけではないが、ヨーロッパの方がハリウッドよりレベルが高いように感ずる。ベネチアやカンヌ、ベルリンの映画祭で選ばれる映画の方がどう見てもアカデミーで選ばれた映画より質が高いように思うのはよし坊だけだろうか。

「かくも長き不在」。待ち焦がれた元恋人に漸く再会したようなものだ。長年の引っ掛かりがひとつ取れた。

映画三昧 - 面白くなくなったアメリカ映画

2019年05月23日 | 映画
最近映画を観に行かなくなった。面白い映画がないからだ。極端に面白くなくなったのはこの2~3年だろうか。その理由ははっきりしている。ヒーロー物ばかりが幅を利かせているからだ。

兎に角アメリカ人はヒーロー物が大好きだ。だからヒットする。ヒットすれば続編を次々と出す。それだけならまだいい。ヒーロー達をかき集めて更にヒットを狙う。アベンジャーズがその典型だろう。これがヒットするから作る方はたまらない。ヒーロー物も嫌いじゃないが、ここまでやると、もうたくさんだ。

ヒーローやアクション物にもうひとつ乗れない理由はCG(コンピューターグラフィック)にある。確かにCGは凄い。なにしろ普通の特撮でも不可能なシーンを事も無げにリアルに再現し、その臨場感は迫力がある。だが映画を観ていて何か物足らなさを感じる。

昔のアクション特撮のシーンは、現場の監督達がいかにも苦労しながら撮っているな、と思わせるものを感じ、ここまでやり込んだか、と感じ入って観る。今のCGにはそれが感じられない。時代が進化したと言えばそれまでだが、70代に入ったロートルとしては、兎に角面白くないのだ。