よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

映画三昧 - Conviction

2010年10月13日 | 映画
最近は話題作が少ないハリウッド映画だが、10月ともなると、来年のオスカー狙いもあって、年末に掛けて話題作が出てきそうだ。

あと数日で封切られる「Conviction」という映画がある。実の兄の冤罪をはらす、シングルマザーの実話である。演ずるのがヒラリー・スワンクだから、又オスカーに絡むかも知れない。

マサチューセッツ。1980年、アメリカでよくあるトレーラーハウスで女性が殺され金品がなくなった。近くに住む、子供の頃からの問題児だったケニーが疑われるが、2年後、突然目撃者証言により逮捕され、状況証拠のみでアッサリと終身刑になってしまう。日本の警察検察の捏造冤罪も怖いが、アメリカの陪審員制度の怖さが覗く。

ここから、無実を信じる妹、ベティ・アン・ウォーターズが立ち上がり、18年かけて執念の無実を勝ち取るという、凄まじい話である。彼女自身は高校のドロップアウトだったが、兄の無実を勝ち取る為に、一念奮起し、大學へ行き、弁護士資格を取るのである。ドロップアウトした人間が学校に行き直して学位を取り、弁護士になるところは、アメリカならではの話だ。日本ではちょっと考えられない事だろう。

アメリカには、冤罪に立ち向かう団体、Innocent Projectというのがあり、最終的にDNAテストにこぎ着け、2001年、ケニーは晴れて無罪となる。

何処の国でも、冤罪を晴らすのは相当なエネルギーが要るし、難しいが、日本は圧倒的閉塞感が先行するのに対し、アメリカは常に「希望」が先にあるように感じるから、不思議だ。

映画三昧 - 美女と液体人間

2010年10月08日 | 映画
今時、大昔の映画がたまにネットで観れる便利な世の中。インターネット様々で、特に海外にいると、その恩恵の度合いは大きい。

1958年の東宝特撮映画「美女と液体人間」を50年振りで観た事になる。当時11歳か。横でワイフが、「何かチャッちい」を連発。「当時でこの発想、液体人間とは、なかなかだ」と反論。挙句の果てに「原爆実験の結果こういうことになったのだ、これは反戦映画なのだ」などと、つい言ってしまう。

この頃は、佐原健二や平田昭彦が全盛で、美女には、白川由美、確かに美女だ。これに河内桃子なんかがいて、同じ頃の「地球防衛軍」にも出ていた。

特撮で思い出すのは、この頃の大映の「透明人間と蝿男」。品川隆二と北原義郎といった、どちらかというと脇の俳優が出ていて、女性は、なつかしの叶順子だ。何でこの映画を観たのか、ネットで調べてみて分かった。「赤銅鈴の助」との併映と出ていたので、納得。話の筋はもう忘れたが、妙に品川と北原の顔だけは覚えている。

映画三昧ーMorgan Freeman

2010年09月11日 | 映画
アメリカの役者の中では、モーガン・フリーマンは好きな役者のひとりだ。初めて注目したのが、細菌ウィルスを扱った「Outbreak」。主役はダスティン・ホフマンだったが、最後の方で場面を締める役の軍人を演じた。

イーストウッド映画のMillion Dollar Babyで念願のオスカーを獲った。これもいい作品だったと思うが、好きな作品と言えば、「Shawshank Redemption」と「Driving Miss Daisy」。

「ショーシャンクの空に」。邦題を上手につけたものだ。原題は日本人には、ちと難しい。宗教的な言葉redemptionをどう訳すか。「空に」とホンワカと逃げている。無実の罪の白人ティム・ロビンスと殺人犯のモーガン。信頼関係の確立した二人は、脱走と仮釈で別々に娑婆に出るが、最後は新天地メキシコの田舎で目出度くリユニオンとなる。
この映画を一言で言うと、やはり、「希望」と言う事になるのかもしれない。この映画に纏わるエピソードがある。ある人の知り合いの息子がどうしてもアメリカに行きたいとやって来たというが、その理由が、この映画を観てアメリカ行きを思い立ったと言う。それから暫くして、商売柄、アメリカに来て働いている日本人と話をした時、彼もアメリカに来た動機は、この映画を観たからだと言っていた。
舞台になる刑務所は、閉塞感の代表と見てよい。日本は、国全体が閉塞感の塊とも見える。日本では、なかなか、この閉塞感を突破して新天地を求めることは出来ないだろう、地理的にも精神的にも。そんな若者が、この映画に触発されたとすれば、この映画の影響力はかなり大きい。

「Driving Miss Daisy」は、人種差別の色濃い南部のアトランタとアラバマを舞台に、ジェシカ・タンディ演ずる白人のおばあちゃんと、モーガンの黒人お抱え運転手の心の交流を、人種問題を織り交ぜて、それを唐辛子のようにピリリと効かせている秀作だ。アメリカの人種問題は永遠に続く、限りなく深い問題で、それは又、毎日顔を出す日常的問題でもある。ほぼ単一民族だと思い込んでいる日本では、ピンと来ない問題であろう。

この二つの映画は何回観ても、その都度考えさせられる映画である。

映画三昧ー To Kill A Mockinbird

2010年07月29日 | 映画
To Kill A Mockinbird、邦題アラバマ物語という映画がある。人種差別の色濃い時代の南部アラバマでの白人弁護士の戦いである。人種差別に関して、一つのバイブル的存在のこの映画はあまりにも有名だ。弁護士のグレゴリー・ペックが、小さな町で起こった事件の真相に迫る。若き日のロバート・デュバルが出ている。昔観た時は、グレゴリー・ペックは大スターで知っていたが、デュバルなんて知らなかった。昔観た映画をもう一度観る楽しみはこれだ。最初に観たのは封切館ではないと思うので、恐らく、新宿名画座かもしれぬ。

この映画の原作が出版されて、今月で50周年を迎えたと新聞に報じられた。以下はそのサマリーである。

まず、この本は、1960年台以降のアメリカ人に大きな影響を残した本であり、国民的な本の一つである事。息子ブッシュ大統領夫人のローラ・ブッシュを含む著名人にも数多くの愛読者がいるようだ。

作者、ネリ・ハーパー・リーは84歳で、この本のみを世に出し、その後は地元モンロービルでひっそりと生きてきた。世間の喧騒を好まず、静に過ごしてきたらしい。写真は、2007年、Presidential Medal of Freedomと言う、民間人向けでは最高の勲章を授与された時のものだが、その時でさえ、喧騒を避け、寡黙であったという。

モンロービルはアラバマの州都モントゴメリーから65号線を南に下り2時間ほどの所だ。昔、モービル方面に行くのによく近くを通ったが、何も無いド田舎である。映画に出てくる近所の男の子は、当時近所に住んでいた、あのトゥルーマン・カポーティをモデルにしているらしい。

一作しか出版していないので、死んでから出版されるよう作品を貯めているはずだ、とか、諸説があるらしいが、どうもそうではないらしい。かつて、いとこの一人がネリにいつ次の作品を出すのか聞いた事があると言う。ネリの答えは「頂点に辿り着いたら、とるべき道は一つしかない」。この一作以上の物は望めないと自身を喝破しているのであろう。

映画三昧ーソフィーの選択

2010年07月24日 | 映画
娘が二人いるが、ワイフと時としてこんな会話になる。「もし、災害か何かで子供二人のうち、一人を犠牲にしたら一人は助かる。どうする」。条件は一緒に死ぬことは出来ない。この残酷な選択は、その時にならないと分からないだろう。ひょっとしたら、選択の時間すらなく、成り行きになってしまうかも知れない。

こういう話になった時、いつも思い出すのが、「ソフィーの選択」だ。メリル・ストリープが演じるソフィー。最後の方で、ソフィーが選択した重い十字架が明かされる。男の子と女の子の選択で男の子を生かす選択をする。アダムとイブの誕生以来、深い底に流れている男の優越性ということなのか、それとも、男と女という枠組みの中で、母親だが”女”が、我が子だが”男”を本能的に選択してしまうのか。

片方を助けないで、両方手放す、という選択もある。いずれにせよ、重い十字架を背負うことには変わりは無い。宗教の世界では、重い十字架を背負ってでも生きろと説くに違いない。しかし、人間、それ程強くはないもので、いつか重さから解き放たれたいと考えるのだが、それが、映画のラストのように、やはり「死」をもって自由になりたい、というのは、よく分かる。

よし坊の選択は? まだ分からない。というより口が動かない。これ、悶々の選択なり。

映画三昧ードクトル・ジバゴ

2010年07月14日 | 映画
ロシア革命前後を背景としたこの映画も好きなひとつだ。音楽の「ラーラのテーマ」も心地よい。今はどうなのか知らぬが、この時代は、映画音楽が一つの大きなジャンルで、ヘンリー・マンシーニやポール・モーリエ、レイモン・ルフェーブル等の楽団がこのジャンルをフィーチャーしていた。

配役も、オマー・シャリフとジュリー・クリスティを軸に、アレック・ギネス、ジュラルデリン・チャプリンが脇を固める。恋人役では、トム・コートネィも出ている。トム・コートネィと言えば、「長距離ランナーの孤独」だ。大人と権力に反抗する若者を演じた映画で、日本ではATGでの上映だから、当時はよし坊のような映画オタクしか観ていないだろう。映画の最後が圧巻だ。トップで走ってきて、わざと負け、大人の思惑を大いに外すのだ。

戦争に翻弄され、離れ離れになった二人のエンディングは、新しい国家、ソビエト連邦のモスクワで、再び巡り合うことは無く、悲しいすれ違いの場面で終わる。ラーラは新しい国で淡々と生きていくかの様に。そして、ジバゴは、旧体制の象徴であるかのように、突然の発作で絶えるのである。

映画三昧ー The RoadとViggo Mortensen

2010年05月03日 | 映画
あの、「Lord of the Ring」の超大作で一躍脚光を浴びたビゴ。そんなビゴは、思わぬところで、ちょい役で出ていた。昔のビデオをみていると、そういう楽しみがある。
まず、ハリソン・フォードの「Witness」。アーミッシュの一人で出ていたし、ジーン・ハックマンの「Crimson Tide」にも出ていた。

さて、「Ring」後のビゴの映画だが、出ている作品が概ね、粒が揃っていて良い。派手な、大衆受けする俳優ではないが、なかなかいい俳優で、駄作が無いのが余計良い。

「History of Violence」「Eastern Promises」、それと最近の、地味ではあるが、世界が滅亡した後、蔓延るカンニバリズムに背を向けて「生きる」姿を描いた「The Road」もいい作品だった。

極限の飢餓で、人間は当然、カンニバリズムに直面する。その時、どの道を選ぶのか、何を選択するのかをじっくり考える余裕が果たして有るのかどうか、考えさせられる。

太平洋戦争で敗走する日本軍の中には、過酷な南方戦線で当然その様な事が起こったし、又、戦争とは違う事で極限状態に直面した、あの、アンデス山中での飛行機事故では、生きる為に死者を食した身近な例がある。

映画は、ビゴの父親が、息子にカンニバリズムとは別の道を教え、それを未来に託して息を引き取るのだが、親は子供に何を教えなければならないかを、この現代に於いて問うているような気がする。




映画三昧 -Katyn

2010年04月28日 | 映画
旧ソ連の恥部を描いた「Katyn」を観た。驚いたと言うか、懐かしいと言うか、監督は、あのアンジェイ・ワイダだ。「灰とダイヤモンド」で名を轟かし、アンジェイ・ムンクと共にポーランド映画の旗手と言われたワイダはいまだ健在だとは。

ドイツにアワシュウィッツのホロコーストがあれば、ソ連には、このカチンの森近くで行われたポーランド捕虜に対する大量虐殺がある。身内をカチンの森で亡くしたワイダの最後の、執念の作品なのであろう。

歴史は嘘をつく事を許さない。ロシアのプーチンが謝罪し、およそソ連崩壊から20年を経て、漸く事実が白日にさらされ、ロシアとポーランドが和解したまでは良かったが、ロシアでの合同慰霊の行事に向かったポーランドの大統領機が落ちるとは。単なる事故である事を願うのみである。

映画三昧ーThe boy in striped pajamas

2010年04月02日 | 映画
去年か一昨年、見るチャンスを逃したこの映画、漸く観る機会を得た。当時の予告編で、ユダヤ人収容所の内側の少年と外側のドイツ人少年の単なる心の交流を描いた、単なるヒューマンタッチの作品を想定して観たのだが、とんでもない結末に、いささか驚いた。こう言う悲劇の描き方もあるのかと、意表を突かれた感じだ。その意味では、大変見ごたえがある映画だろう。

映画の4分の3は、ドイツ将校の子供と収容所に居る同い年のユダヤ人の子供の、無垢な交流を中心に話が進む。いつか、その無垢な交流も、残酷なナチ主義と処刑される運命のユダヤに分かれる日が訪れるのかなと、思っていたら、最後の15分で、思わぬ方向の展開になり、観る方を慌てさせる。

もし、映画館で観ていたら、最後の15分間に、アメリカ人の誰かが、画面の少年に向かって、「止めろ」とか、「未だ間に合う、そこで留まれ」とか声をあげていたことだろう。今まで、そういう光景をいくつも見てきた。日本人はおとなしいから、そんな事は叫ばないが、アメリカ人というのは、思った事を直ぐ言ったりする。悲しい場面で涙が出るシーンなどは、よし坊は周囲に悟られまいと、必死に取り繕うが、アメリカ人は平気で泣いている。つくづく、彼らはストレートな正直者だと痛感する。気配り上手の日本人、といい意味で使われるが、裏を返せば、悟られないように取り繕うのが上手な日本人でもある。

映画三昧ー女優

2010年03月25日 | 映画
好きな女優は何人くらいいるだろうか。

小学校の頃は、断然山本富士子だった。当時からマセていたから、映画館へ行っては、山本富士子の映画が掛かっていたりすると、その前でスチール写真を眺めていたものだ。あの頃の美人を代表する女優として、ダントツの感あり。残念ながら、五社協定の犠牲となり、映画から遠ざかったのは、誠に惜しい。

次は、岩下志麻だ。小津作品の彼女は初々しくて、なんとも言えぬ良い雰囲気だ。秋刀魚の味、古都、雪国、はなれ瞽女おりん、が印象深い。

舞台中心の島村芳江も好きな女優さんだ。よくテレビに出ていた時に、綺麗で良い女優だなと思っていた。彼女がもっと好きになったのは、所属劇団が、恐らく日本の劇団として始めてソウル公演をやった時、舞台挨拶で自分の出自を明らかにしたことだ。そのニュースで、彼女を二倍好きになった。当時、女優さんでそういうことをしたのは始めてではないか。

最近では、木村多江がいい。「ぐるりのこと」で賞を貰ったのは頷ける。なんと言っても、あの、涼しげな目元が魅力的だ。いつもは脇役だけど、光っている女優だ。

そして、ごく最近、贔屓にしているのが、綾瀬はるかである。兎に角、嫌味がない。他の女優は一癖も二癖もあるが、彼女は、ボやっとした雰囲気が、強烈な魅力だ。事のきっかけは、それまでテレビドラマでは、チョクチョク見かけ、可もなく不可もなく、といった印象だったのが、昨年、けったいな題名の「おっぱいバレー」を観てから、よし坊の評価が急騰したのだ。ブルーリボン賞を獲得したのは、大喝采である。

10歳から始まった映画三昧、約50年間で、手帳に書ける素敵な女優は、たったの5人。5人も書ければ上等か、それとも少ないのかは、よく分からない。