よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

人種差別 変わりつつあるアメリカ

2020年11月16日 | アメリカ通信
コロナ禍の今年、Black Lives Mattr運動がジョージ・フロイドの死をきっかけに全米、いや世界に拡がっていった。過去の人種差別撤廃運動とは違う力強さがあるように思える。そのひとつが差別の上に名声を得てきた歴史上の人物の再評価をする動きが見られているからである。

アメリカは建国以来、アフリカからの奴隷を酷使して繁栄の礎を築き、彼らの子孫を犠牲にして白人社会を守って来た。かの初代大統領のジョージ・ワシントンでさえ、アフリカ系の召使い少女に手を出し子供を産ませている。長らくワシントンの家系(白人の)は秘密として封印していたのだろうが、数年前アフリカ系召使いの子孫からその存在が公表され、しぶしぶ認めることになった。

建国以来の人種差別問題は1960年の公民権法でひとつの節目を迎えるが、白人優位の社会システムは大きく変わらず、その変化が出てくるのは1990年代だろう。その意味で奴隷制の象徴であった南部のアトランタでの五輪は大きな意味を持つ。そこから約24年の時を経てBlack Lives Mattrへ辿り着いた。

最近は差別となれば皆声を上げやすくなったが、1980年代まではそういう時代ではなかった。とりわけ白人が犯人で被害者がアフリカ系となると目をつぶり口を閉ざすこととなる。しかし、時代の変化は、お蔵入り事件に光を当て始めている。34年前のアフリカ系青年リンチ殺人事件がそれだ。

1983年、アトランタ近郊のグリフィン。白人女性と付き合っていたアフリカ系の青年が7カ所刺され顔も判別出来ない状態で発見され、そしてお蔵入りとなった。当時のグリフィン市制は白人至上主義者の手にあり、警察も含め随所にKKKメンバーが入り込んでいたから、お蔵入りも当然の成り行きだった。

2016年、警察(GBI)の担当官が事件の洗い直しに着手。古い証拠資料の中から、2007年に或る前科者が”犯人に関する情報がある”と申し出た記録を見つけた。当時は見向きもされなかった情報に着目し、これが突破口となった。周辺の聞き込みで、当時では口を閉ざしていた人達が有力な情報を提供、証拠固めへと繋がっていった。再調査から一年、犯人二人の逮捕にこぎつけた。

Freeze! 服部君を襲った悲劇

2020年10月26日 | アメリカ通信
Freeze !! 服部君を襲ったハロウィーンの悲劇

アメリカに来た日本人が必ず耳にする教訓的事件がある。1991年ルイジアナのバートンルージュで起きた交換留学高校生の服部君射殺事件がそれだ。事件はまだ英語にも慣れていない服部君がFreezeとPleaseを聞き間違えたか聞き取れなかったかで起きてしまったとされたが、果たしてそれだけなのか。

FreezeとPleaseを聴き間違えたと言われると、あたかもFreezeが日常的に使われているように錯覚するが、せいぜい”凍る・凍らせる”くらいの表現になしか使うまい。まして、人を制止する時にわざわざ使う言葉とは思えない。StopなりDon't Moveという簡単明瞭な言葉を使えば済むことだ。では、警察用語として多用されているかというと、そうでもないらしい。

警察がFreezeを通常使用しているのかをインターネットで調べてみたが、実際の現場では殆ど聞いたことが無いというものだった。警察現場では、平易で明瞭な言葉を使うことを優先し、StopかDon't Moveを使うようだ。更に言うならば、人間は否定語が発せられると頭に入りやすいことを考えると、圧倒的にDon't Moveが使われているのではないか。

服部君をマグナムで射殺した容疑者は何故Freezeと叫んだのか。これは類推するしかないのだが、なぜか当時のTV刑事ドラマで、警官達が犯人を制止する時にFreezeを多用していたらしい。この容疑者はTVの刑事ものが大好き人間だったのかもしれない。そして、あの日、日頃から聞き慣れているFreezeを声高に叫び、引き金を引いた。英語を聞き慣れた人にとってもPleaseとFreezeを聞き分けろと言うのは酷な話だ。単なる聞き間違えで済まされる話ではない。

容疑者のその後だが、事件直後駆け付けた警官に対し”とんでもないミスを犯してしまった”と漏らした本人だが、裁判では”見知らぬ人間が足早に近づいてきたので身を守るために撃った”と主張し無罪となった。しかし、民事裁判では、当時の検証記録、関係者証言から、服部君は足早でなくゆっくり歩いていた事、事件直後にミスだと自覚していた事、服部君の姿を見てFreezeを叫んだ後間髪入れずに引き金引いてる事などにより6500万ドルの賠償となった。本人家族は家を売却しても多大な借金が残り、トレーラー生活になったという。

Belt &Road Initiatives strategy 一帯一路政策

2020年10月18日 | アメリカ通信
今、ジョン・ボルトンの話題の本を読んでいるのだが、その中で中国 の一帯一路政策(Belt & Road Initiative)について面白い解説をしている。

曰く、Debt Diplomacy、借金(をさせる)外交。その心は、”一見相手国に有利そうに見える条件での信用供与を提示、これが魚釣りで使う擬餌針として働くから相手国は思わず食らいつく。その後不都合な事例がどんどん出てくるが、一旦食らいついたら抜け出そうとしても抜け出せない”。

これ、何かに似ていないだろうか。そう、巷でよく聞く”詐欺商法”ではないか。正しく、中国の一帯一路政策とは国際的詐欺手法を使って中国の勢力図拡大を図ろうとするものだ。

卑近な例ではインドネシアの高速鉄道事業がそれだ。中国側のやりたい放題に振り回され、予定は大幅に遅れているが、インドネシア側は最早何もできない。中国の言いなりになるほか無いのである。

心に残る言葉 ー ココ・シャネル

2020年09月21日 | アメリカ通信
Nature gives you the face you have at 20. Life shapes the face you have at 30. But at 50 you get the face you deserve.

先達は数々の名言を残しているが、この一節もファッション界のビッグネーム、シャネルを興したココ・シャネルの残した言葉である。

この一節に出会ったのは、まだ日本に居る、80年代の後半だろうか。愛読していたTIMEのファッション欄にシャネルの特集があり、出会った一節である。以来この言葉を折に触れて思い出し、時の移ろいを感じてきた。

ハタチ(二十歳)に象徴される時代。高校生から社会人になる手前の、屈託のない躍動感に溢れている時期。若い人達の顔は弾けそうなくらいの若さでいっぱいである。女性は化粧などしなくても、自然な美しさが顔に表れる。30の声を聞く頃。仕事を得て、あっちにぶつかり、こっちでコケながらも、少しづつ人生の喜怒哀楽の流れに漂い、それらが一つ一つの年輪となって、顔に刻まれていく。そして節目の50を迎えた頃、その人の顔には、それまでの越し方の人生のもろもろが凝縮した集大成のかたちが映し出される。その顔にはゆるぎがないのだろう。齢50にして漸く一人前の人間になれる、そうココ・シャネルは言っているのであろう。”化粧”という外側のの世界に生きながら、女性だけでなく、人間の本質的な美しさというのは、積み重ねられた”内なるもの”から滲み出てくる、と言っているように聞こえる。


アメリカに美味しいものはあるか

2020年08月23日 | アメリカ通信
世界一舌の肥えた日本人(と確信しているのだが)にとって、アメリカの食事は限りなく物足りない。アメリカでは何が美味しい?と質問されると、たちまち答えに窮する。

昔は映画やテレビドラマでアメリカの食卓風景を観て、そのご馳走のオンパレード(?)にただただ驚きと感動を覚えたものだったのだが。アメリカに住んでみると、あの頃感動していたものが、それほどたいした中身ではない事に失望し、さらに味がイマイチで更に失望する、といった具合となる。そんなアメリカでも何かあるだろうと考えると、いくつかあるにはある。

イチオシはスペアリブ。この食べ方は日本ではまずお目にかかれない。何せ牛のアバラ骨11本を肉付きで25ドル前後でBBQレストランでテイクアウト出来る。我が家では年2~3回、誕生日とか感謝祭などの節目に食べることにしている。夫婦二人では一回では食い切れないので翌日も食べることになる。タレもいろいろあって楽しめる。

チキンの手羽先を油で揚げて酸味のきいたホットソースで絡めるBuffalo Wingに代表されるチキン・ウィングは美味い。New Englandのクラム・チャウダーもお奨めだ。クリーム系の料理やスープは好みではないが、最初にこれを食べた時は即座に合格点を出した。

地域的にはフランスの影響を受けたルイジアナ料理は美味いと思う。代表的なガンボスープにジャンバラヤ。こたえられない。他の地域で美味しいものに出会ったことがない。

以上が20年以上アメリカに住んだ結論である。美味しいものは殆ど無い、ということ。従って用事で日本へ行く時は、まさに”美味しいもの”を食べに帰るというわけだ。用事にかこつけて食べに行くようなものだ。

最後に、美味しい、不味い、ということではないが、アメリカに住んで安く食べられるのがフルーツの類だろう。メロンはほぼ一年中食べられる。一個200円くらいのを買って一週間で食べる。今に季節白桃も甘くて美味しい。日本では到底口に入らない。

アメリカに比べれば日本は ”うまいもんTreasure Island” と言ってよいだろう。

金持ちバカ親の罪と罰

2020年08月03日 | アメリカ通信
自分の子供にはつい甘くなるのが親の常だが、親バカが金持ちだと、何でも金で片が付くと思うのか、気が付けば犯罪に手を染め、誠に惨めな結果になる。

世間を騒がしたテキサスの「AFLLUENZA」事件。2013年、金持ちの未成年バカ息子が親に買ってもらったフォード車で飲酒運転、4人が死亡、9人に怪我を負わせた。 裁判で弁護人は、”この子供はAffluenzaなのでJailではなく病院でのリハビリが相当”との呆れた弁護を展開した。AffluenzaとはAffluence(裕福)とInfluenza(インフルエンザ)の合成語で、”裕福な環境に育つと、社会の善悪や常識が理解出来ない、インフルエンザに罹ったようなもの”とでも言おうか。判決で保護観察10年とリハビリが言い渡されたが、2年後、そんな不自由な生活や嫌だ、とばかり、金持ちバカママはバカ息子を連れてメキシコへ逃亡するも、指名手配で捕まり、息子に2年の実刑、ママもJailとなった。

昨年の金持ち親バカ事件は、史上最大の、と言われる大学不正入学事件。その規模(人数と金額)に加え、有名女優の子弟がいたことで注目を集めた。当初52人中24人の親は最初から罪を認め、残りは無実無罪を言い張っていた(その後裁判が進むにつれ無実無罪を主張していた連中も観念しはじめている)。

最初に判決を言い渡された女優のフェリシティ・ホフマンは当初から罪を認め、その素直さを評価されてか、14日間のJailと軽い刑が言い渡された。

二人目はデビン・スローンという会社社長である。25万ドルの賄賂で息子を入学させた。判決は4か月のJailと95千ドルの罰金に500時間の社会奉仕。判決に至るまでのやり取りが面白くもあり、そして呆れる。

スローンは最初は悪い事はしていないと主張したが、形勢不利と見ると、弁護人は「デビンは蓄財を使って私立高での障害者の為のスペシャル・オリンピック・プログラムの創設と育成を計画している。更に2000時間の社会奉仕を行う。ケビンは今まで善行を施して来たので、これが彼に科されるべき妥当な量刑だ」とぶち上げた。要するに、障害者の為に金を使い、異例の2000時間という長時間を社会奉仕するからJailは勘弁、と弁護展開をしたのだ。これに対し、裁判官は「金で逃げようとしている態度は言語道断。善行を施す良い人だから罪を軽くしろとでも言うのか」と一刀両断に切り捨てた。呆れた話である。

1619年 アメリカの光と影

2020年07月28日 | アメリカ通信
日本で習うアメリカ合衆国の始まりは、1620年ボストン近郊のプリマスに着いた、有名なメイフラワー号の話が印象的だが、最も早い入植は1607年のバージニアJamestownである。 そして今から400年前の1619年7月、この入植地で記念すべき第一回議会が招集された。これがアメリカの最初の議会であり、”光”輝く新国家のスタートである。

この同じ年、アメリカ建国史上決して忘れてはいけない事が起こる。今でもアメリカ社会に”影”を落とす奴隷制の始まりである。今までの定説は西インド諸島から連れてこられ
た人々がJamestownのイギリス入植者に売られたとされているが、それ以上の事は皆目分からなかった。USATodayによると、研究者による奴隷船の追跡と、あるアフリカ系家族の先祖を辿る努力が建国に纏わる姿を明らかにした。

奴隷がアメリカにもたらされたのは偶然の産物だった。もしその偶然が無ければアメリカの奴隷制度は始まらなかったかも知れないのだ。当時ヨーロッパ列強は海外進出植民地化に血道を上げる中、ポルトガルはアンゴラを拠点に東アフリカの覇権を目論み代理戦争を仕掛けていた。そこから発生する戦争捕虜がアンゴラに集められて売られ、その数15000人に達したという。1619年5月、350人のアンゴラ人を買い取ったスペインのサンファン・バウティスタ号がスペイン領メキシコに向かったが、メキシコ湾に入って不幸が起きた。たまたま遭遇した二隻のイギリス人海賊船に襲われたのである。彼らは60人を選別し、奴隷として売るべく、最も近い港Jamestownへ向かった。このアンゴラ人こそが、アメリカとして公式に登録・記録された最初のアフリカ人の”奴隷”の人々である。

Jamestownに近い町ハンプトン。ここに住むタッカー一族には伝承されてきた話がある。「先祖はアメリカに上陸した最初のアフリカ人が産んだ、ウィリアムという洗礼名を持つ者である」。一族による追跡調査が始まったが、古い資料には白人の歴史しか残されていない。Jamestown 入植時にCaptain Tuckerなるプランテーション所有者が奴隷を買い、Williamの洗礼名を付けた記録が出てきた。その後、一族の曽祖父トーマス・タッカーが1896年100ドルで購入した一族の墓地の登記書が見つかり、掘り起こした所、100体以上の墓が出てきた。そこから先祖を求めて1924年に洗礼を受けたウィリアムなる者へ辿り着く。タッカー一族は最初のアフリカ系アメリカ人の子孫であることを素直に喜び、”奴隷”と言う差別の中で、先祖がアメリカ建国に大きな役割を果たした事を誇りに思っている。

1619年、輝かしき国の船出の陰で、今も社会を悩ます差別の根源、奴隷制が船出をした。

アメリカの合理主義を垣間見るとき

2020年05月21日 | アメリカ通信
アメリカに住んでいると、時々”合理的なアメリカ”に出くわすことがある。国によって制度が違うから一概に言えないところもあるのだが、日本だとそうはならないだろうな、ということが実感させられる。このコロナ禍でそんなことに出くわした。

車社会アメリカでは当然自動車保険がつきもの。このコロナ禍で各州とも法律に基づき「自宅待機」命令が出た。ということは、不要不急での外出は禁止となるから、当然足である車に乗る時間もグッと少なくなる。自宅待機発令から一か月が経ったころ、保険会社からEメールが来た。先払いした保険料の15%を月割りで返却するという。恐らく待機解除まで続くようだ。

保険料は或る一定マイルを乗る前提で計算されているわけだから、このような非常事態では当然走行マイルは減る。取り過ぎ部分を返却するわけである。額の多少にかかわらず、考え方として気持ちがいい。合理性を垣間見る思いだ。日本ではそういうことにはなるまい。




コロナの後、日本は注目の的となる

2020年05月10日 | アメリカ通信
世界も、そして日本も漸くコロナ禍の峠を越しつつある。それにしても世界の先進国と言われる欧米諸国が軒並み手痛いダメージを受けたのは、何故だろうか。とりわけアメリカが、医学面経済面で予想外のダメージ様相を呈している。ひとつの原因として「政治が科学を無視した」ことが挙げられよう。

さて、今回のコロナ報道は、連日のように感染者数を前面に報じて、ある種市民の恐怖を煽っているようにも感ずるのだが、被害の実態は感染者数もさることながら、死者数で測るべきではないだろうか。それがその国が対応した実力評価でもあるはずだ。

死者数でみると、日本は驚異的とも言える程死者数が少ない。ずば抜けて少ないのだ。現在(5月9日)のデータで主要国を人口比でみると、100万人当たりの死者数は次の通りとなる。
日本と韓国が拮抗して5人、ドイツが二ケタ台で90人、アメリカが240人、英仏伊西が400~500人超となっている。

諸外国のようなロックダウンもせず 、自粛で乗り切る日本は羨望とともにヤッカミの対象になっているが、コロナ禍が収束すれば否応なしに注目の的になるだろう。世界がヤッカムのもよく理解できる。ロックダウンもしないのに何故少ない? 通勤満員電車が都市部では当たり前なのに何故少ない? などなど、日本人のよし坊でも何故?と思う。日本の当局はこの辺りを検証して、何故日本はそうなりつつあるのか、を世界に知らしめてほしいものだ。

コロナのアメリカ

2020年05月03日 | アメリカ通信
一昨年のイエローストーンに続き、ユタの有名なアーチーズへ行く予定でホテルも早々と予約していたのだが、このコロナ禍で不可能となった。この秋冬もコロナがぶり返す可能性大、とCDCがコメントしているところからすると、今年の種々イベントは殆どうまくはいくまい。来年の東京五輪も怪しくなってくる。

アメリカもどうやら峠を越したようだ。我が家のコロナ対策はご多分に漏れず、マスクに半透明の手袋で二週間に一度の買い物に行く。そろそろ来週からいつもの週一に戻そうと考えているところだ。

当初はさすがのアメリカでもトイレットペーパーパニックが起こったが、程なく鎮静化したが、パニックの最中、取り合いで警察沙汰になる光景がニュースに流れていたから、アメリカ人もいざとなると本性が剥き出しになる。

買い物でひとつ変化がある。食料品は韓国系のスーパーに依存しているのだが、カリフォルニア産の日本ブランドの米が姿を消しているのだ。お米命、の我々にとって大きな問題で、早く店頭に並んでほしいものだ。

毎日が日曜日、の我々年金生活者は、コロナ禍の自粛生活もそれほど苦にならぬが、勤めの人達にとっては相当の苦痛というかストレスに違いない。特に日銭商売のビジネス形態は”大変”を通り越しているだろう。

今回の混乱は、リーマンショック時の比ではないことはよく分かる。単なる金融不祥事による経済混乱ではないからだ。社会システムの混乱とダメージはけた外れだろう。何やら世界が疲弊した第二次世界大戦以来、イケイケどんどんの世界の在り方に神が警鐘を鳴らしたような気がしてならない。これからの未来への生き方を立ち止まって考えろ、と言っているような気がする。