よし坊のあっちこっち

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世紀の出資金詐欺事件ーバーニー・メイドフ事件

2021年11月04日 | アメリカ通信
詐欺という犯罪、何故騙されるのか。要素のひとつに相手の知名度やステータスが上げられる。有名女優が宣伝してるから安心、とか あれだけ高名の人だからまさか騙さないだろう、とか。これが大きな落とし穴である。逆に言えば、詐欺を働くなら有名人の自称”友達”になり知名度を上げるのが近道となる。

2008年に発覚した、米国市場最大の投資詐欺事件もその類である。概要はナスダック証券取引所のトップをも務め金融界で名を馳せていたバーニー・メイドフが何と被害総額500億ドルに達する投資詐欺(Ponzi scheme)を行っていた。リタイアして悠々自適の生活をしていた人達も、瀟洒な邸宅を売り払い小さなアパート暮らしを強いられることになった。メイドフは逮捕、起訴され獄中で首を吊ったが、その前に長男は父親を恥じてか自殺している。

多くの重大事件の影にUnsung Heroがいるが、この事件も、ひとりの自称”数学オタク”がいなかったら、被害者はもっと増えていた。
大学で経営学を学び金融業界に身と投じたハリー・マーコポロスがボストンの会社にいた1999年のある日、当時話題をさらっていたメイドフの投資ビジネスにうさん臭さを感じていたマーコポロスに、上司がメイドフのビジネスをシミュレーションしてみてはどうか、と提案したのがすべての始まりとなる。

ビジネスで動くお金は会計処理されるが、単純な数学でもある。粉飾決算がばれるのは単純に足し算引き算の答えが合わないからである。合わない部分には必ず作為が存在するというわけだ。マーコポロスはあらゆる要素を組み合わせてメイドフの投資商品の考えられないハイリターンの仕組みを解明しようとしたが、出るべき方程式が出てこない。出した結論は投資詐欺であった。

彼は数字に裏付けされた調査記録をもとに、SEC(米国証券取引委員会)に対し2000年に告発を行ったが一笑に付された。それでも諦めず、合計5回の告発を経て2008年漸くSECと司直が動き、メイドフ逮捕に繋がったのである。
マーコポロスがいみじくも言っているように、優秀な弁護士や会計士を抱えているにも関わらずSECは度重なる告発に対し何も手を付けなかった、と嘆いている。メイドフの知名度のもとに”そんなはずはない”で片づけて被害を増大させた当時のSECの責任は極めて大きい。

クオモ凋落に見る男の性(さが)

2021年10月04日 | アメリカ通信
アンドリュー・クオモが11件のセクハラ告発を受けて輝かしいNY市長の座を降りた。高まる弾劾裁判の前に辞任することで、辛うじて裁判クロ判定による屈辱を回避した。しかしながら、セクハラ訴訟はこれからであり、茨の道が続く。

それにしても、コロナ対策で連日のようにTV画面に登場した獅子奮迅の姿は大いに市民の好感度を上げ、このまま行けば父親から引き継いだクオモ帝国の維持も安泰かに見えたが、その幕切れは実にあっけないものだった。

今更ながら、男の人格は臍を境にして上と下では違うことを痛感する。昔から「臍下三寸人格無し」と言われる如く、それだからこそ、男は理性でコントロールしていかなければならないし、女性は男性の”臍の下”には基本的に人格が無いことを肝に銘じておかなければならない。世間的にどんなに立派だと称される男でも、その評価は臍上の話で、臍下には要注意、ということである。

思い出す話がある。もう20年以上も前のことだが、TVのドキュメンタリーで東京の下町の産婦人科医の老先生が地域の人達に長年ユニークな性教育をやっている姿を取り上げていた。対象は小学生(男女)。しかも親同伴である。内容は男女の身体の違いと意味、子供が生まれる仕組み、生まれるための性行為を図解で説明する。すると、一人の子供がママに質問した。”ママもパパとこういうことをしてるの?”ママは”そうよ”とあっけらかんと答えた。こういう教育が既に親子3代に渡って行われているとのことであった。

老先生の説明の中で最も基本的で重要な発言があった。「男は”出したくなる”動物です。男の子はそれを自覚し、無暗やたらと行動してはいけない。逆に女の子はこのことを十分頭にいれて行動しなければいけない」と説いていた。男が思春期の過程で”夢精”を経験するのは、正に男の性(さが)の始まりなのである。これをいかにコントロールするかが死ぬまで男に課せられた使命でもある。

優れた経歴や輝かしい業績を高く評価することは、いわば”臍の上”の評価であって、それをもって”臍の下”人格も同等と考えてはいけないのである。かつてNY州司法長官として辣腕を振るい、NY州知事にもなったEliot Spitzerも高級売春組織の客だったことが暴露され、男の性(さが)の軍門に下った。

アトランタ殺人事件とKKKの影

2021年07月08日 | アメリカ通信
アガサ・クリスティのタイトルにもなりそうな「アトランタ殺人事件」と呼ばれるジョージアでは有名な未解決事件がある。1979年~1981年にかけて起こったこの連続殺人事件(内訳:子供24人大人5人)は別名「Atlanta Child Murders」とも呼ばれる奇妙なコールド・ケース(未解決事件)である。アフリカ系アメリカ人の子供が次々と行方不明になり殺人の犠牲者となった。捜査に当たったアトランタ所轄警察は殺人の最後の局面で起きた大人の殺人事件で浮かんだアフリカ系アメリカ人の容疑者ウェイン・ウィリアムスを逮捕、一連の連続殺人事件の犯人と断定したが、立件起訴に持ち込めたのは大人二件の殺人のみで、他は確固たる証拠もなく、立件できなかった。

この事件の捜査には疑問点が残る。(1)最後のほうで起こった大人の事件での犯人逮捕で一連の事件の同一犯人と結論付けたのは正しかったか(2)ターゲットが子供ばかりという明確なパターンのある連続殺人の流れの最後に突然大人の殺人パターンが入り込むという違和感をどう説明するのか。結局こうした疑問を解くことが出来なかったのである。

1986年、二人のジャーナリストが州捜査局GBIの秘密裏の捜査をすっぱ抜いた。実はGBIは一連の子供の殺人にはKKKが絡んでいるのではないか、との観点から捜査に入っていた。捜査の過程で、KKKのあるファミリーが仲間を集い”人種戦争”を起こそうと計画していたことを突き止めた。GBIの”情報提供者”から、KKKメンバーのひとり、麻薬密売人が仲間内で殺人を仄めかす話をしている事実を受け、隠しマイクでの殺人供述の録音までは成功したが、事件が二人の起訴で幕引きとなったため、Cold Caseとなった。

2004年、DNA捜査が一般的になったこともあり、当時の捜査員だったルイス・グラハムは所轄警察署長になったのを機に、再捜査すべくDNA鑑定を指示したが、当時は未だ、両親の痕跡を受け継ぐ核DNA検査ではなく、母親の痕跡のみ引き継ぐミトコンドリアDNA検査であったため、黒白をつけるには至らなかった。そして核DNA検査が犯罪捜査の主流になったことを受けて、2019年、アトランタ市長ケイシャ・ボトムスはこの事件に決着をつけるべく、再捜査を宣言したのである。因みに、ウェイン・ウィリアムスは当初から犯行を否認し続けている。

味にうるさい日本人

2021年06月04日 | アメリカ通信
味に少々うるさい外国人でも初めて日本に行き、その食文化に接して驚くことが多いようだ。ヨーロッパで美味しいケーキを食べ慣れているドイツ人が”なんでこんな外れた町でヨーロッパでもお目にかかれない美味しいケーキを売ってるんだ”とか、フランスのパンが世界最高と思っていたフランス人が日本のパンの美味さに舌を巻き、菓子パンの豊富さに度肝を抜かれているのだ。

日本の食生活は恐らく世界に比類がないくらい奥深く幅広いのだと思う。生に始まり煮て、焼いて、揚げて、蒸す。食材もピンキリだが、あの小さな鰯の稚魚をしらす干しやちりめんじゃこで食べたり、アメリカ人なら見向きもしないシジミが佃煮に化ける等、想像もつかないだろう。

こうしたバラエティに富んだ食文化の中で育った日本人は飛び切り舌が肥えている。だから、外国人が日本人相手に商売をしようとすると大変な困難さを伴い、多くの場合は失敗するのである。ファーストフードはその典型だ。バーガーキングは3度の挑戦で挫折した。3度目の挑戦は、”我々は過去の二度の失敗で多くを学び、今度こそ成功させる”と豪語していたにもかかわらずだ。ウェンディーズも沈没した。そして、開店当初は長蛇の列で何時間も待たされたクリスピー・.クリーム・ドーナツも今や風前の灯である。

マクドナルドは健闘しているではないかと言われるだろうが、これは歴史が違う。今からおよそ50年前、ファーストフードの将来性を見越した藤田田という経営者を得て事業展開したが、定着せず一度撤退。藤田田の再挑戦で悪戦苦闘の末現在に至った。当初の失敗はアメリカ本社の”アメリカン・テイスト”の頑ななゴリ押しによる。「アメリカNo1の味が日本人に合わないはずがない}と。

逆から見た面白いエピソードがある。今から10年以上前の話だが、二人のアメリカ人が初めて日本に出張し、ハンバーガーを食べた。仕事を終え帰国の途に就いた二人が飛行機を降りコンコースに出た途端、向かったのはマクドナルドだった。「ハンバーガーはこれに限るぜ」と言ったとか。 人それぞれの食に対するテイストは生まれ育った所で決まるから、彼らの行動もよくわかる。だからこそ、日本人相手に食べ物の商売をする時、相手が、「The most discerning people in food on this planet」であることを認識しないと成功はおぼつかない。

Tulip Treeが百合の木とは

2021年05月17日 | アメリカ通信
日頃目にしているが見ていないもの。日常にはそんなものがごろごろある。

裏庭のクリーク沿いにいろいろな木が乱立している。毎朝ワイフとそんな光景を観ながら雑談しているから、景色としては見慣れたもののはずだ。だが、目には入っているがしっかりとは見ていないのだ。

先日、あれは花か?とワイフが突然目の前の木の上のほうを指して言う。みれば間違いなく花だ。いつも見ているはずの木に花が咲いているではないか。もう20年近く見てきたはずなのに、なぜ今まで気が付かなかったのだろうか、思った。目に映ってはいたけれど、見ていなかったのだ。

早速ワイフがインターネットでそれらしき木と花を見つけた。百合の木といい、花はチューリップの形をしている。だからだろうか、英語名はTulip Treeとなっている。日本ではなぜ百合の木と呼ぶのか分からないが、英語名のほうが表現としては分かりやすい。これを知ってから近所の木や林を観ると、やたらとTulip Treeが多いことに気が付いた。調べたら原産は北米東南部とあった。多いはずである。

Cheap Wineを侮るな

2021年05月03日 | アメリカ通信
まだ日本に居た頃、テレビのバラエティでワイン通を自称する芸能人数人に安いワイン(1000円級)と高級ワイン(?万円級)のブラインド・テイスティングをさせる番組があった。結果は安いワインを高級ワインと見事(?)に言い当てていた。日本には自称ワイン通はゴマンといるが、さほど当てにならぬ。

ボージョレ・ヌーヴォーというのがある。世界を尻目にその時期になると狂喜する日本人。何しろ輸出量の半分が日本向けとあるから、その狂喜度は凄まじい。熟成後の出来を占うほやほやワインをを新酒として売り出したワイン業者のしたたかさに、新しもの好きの日本人は見事に嵌った。ワインは年代物じゃないと、という一方で”獲れたて”というだけのボージョレに至極ご満悦なのである。

よし坊はワイン通ではない。アルコールは好きだからワインもたまに飲むが、焼肉かスペアリブの時くらいで年に数回、それもALDIかTrader Joe’sの3ドルクラスのワイン。このワインの世界に踏み込んだジャーナリストのビアンカ・ボスカーの「Cork Dork」がSmithonian Magazineに紹介されていて面白い。彼女はワインの裏側を知るためにソムリエの訓練を受けて一年半かけて取材したそうである(以下ハイライト)。

”伝統を壊す”のが得意なアメリカ人は最新の科学の力を駆使して世の高級ワインの味に近づけた安いワインの製造に成功したという。ワインは法律上、アルコール度、酸化防止剤及び着色剤使用の有無のみ表示すれば良く、そこに自由度を見出した人達は最新技術によるフレーバー研究等により、消費者が求める香りや軽さ、重さ、渋味などを自在に管理し、安定生産を可能にしたという。安くて上質なワインの誕生により、アメリカは今、ワイン飲酒の黄金時代を迎えている。

安いワインにはいろいろと”混ぜ物”が入っているのだが、しからば、高級ワインは混ぜ物は無いのか、といえば、今頃のワインには程度の差こそあれ、立派に混ぜ物が入っているそうだ。表示の必要がないからいかにも無さそうな振りをして、有名な産地を売りものに安いワインの10倍の値段を取っているのが現状だという。知らぬは消費者ばかりなり。あなたはどちらのワインを飲む?

44回目の結婚記念日

2021年03月21日 | アメリカ通信
20日の土曜日、44回目の結婚記念日を迎えた。結婚してから18年が日本、26年がアメリカ生活ということになる。

来年は節目の45年だから、どこか行きたいが、はてさてコロナが何処まで続くやら。願わくば、もう一度スペイン・ポルトガルへ行きたいのだが、このご時世だから最早諦めねばならないのだろうと思う。

今のところ、夫婦揃って、まあまあ健康の部類だ。今の楽しみがウォーキング、トレッキングだから、よしとすべし。それでも年を取るといろいろ出てくるのは致し方あるまい。
よし坊は年一回の通風。血圧も年だけに高めだが、何とか薬を飲まずに済んでいる。3年前だったか、帯状疱疹の時、血圧が以上に高く、医者から薬を飲むよう勧められたが、測定データを二か月取ってみたら現象に転じたので飲まないことに決めた。以来毎日データを取っている。気が付いたのは冬場には上がるということだ。今のところまだ飲まなくて済みそうだ。

ワイフは、数年前から魚の目が出来やすくなった。魚の目コロリを塗っているが、根っこから取れない、とぼやいている。人間それぞれ、何がしかあるものだ。

今我が家の桜は満開を迎えた。記念日は我が家お好みのJet’S Pizza のバーベキュー・チキンに安いワイン。上々の記念日となった。

スペインの憂鬱 ー バルセロナ

2021年03月02日 | アメリカ通信
マドリードとともにスペインを代表するバルセロナは、観光地としても訪れるに足る街であるが、実はスペインにとっては過去も現在も、そして未来も頭痛のタネなのである。これを理解するには歴史を紐解かなけらばならない。

国家の火種は部族や民族が自己のアイデンティティの拠り所である文化的背景、特に言語の破壊によって起こる。現在中国の新彊ウィグル自治区で進められている中国語強制によるウィグル語破壊はいい例で、征服者の常套手段である。バルセロナを首都とするカタロニア自治州はイベリア半島の反抗の歴史の渦の中で、常に独特の存在感を放ってきた。

スペインを大雑把に言えば、マドリードを中心とするカスティーリャ地域とバルセロナを中心とするカタロニア地域から成り立っているが、文化も言語も独自の発展を遂げている。古代ローマ帝国の支配により、キリスト教とラテン文化が導入され国の根幹となった。だが、8世紀にイスラム勢力がイベリア半島を制圧、イスラム化が推し進められた。カスティーリャは隷属し、復権まで800年を費やせねばならなかったが、カタロニアは80年で自治を奪還した。ここに、スペインの独立はカタロニアが先導したという自負とプライドが培われた。

1469年、イスラム隷属下のカスティーリャ王国とカタロニアを中心としたアラゴン王国が手を結び、漸くイスラム勢力をイベリア半島から駆逐、カスティーリャも復権した。以後、両王国はお互いの自治を認めた名目上の連合体を形成するが、カスティーリャ王国に組み込まれていたポルトガルが反旗独立を達成すると、カタロニアの独立闘争心に再び火がともり、70年戦争が始まった。結果はカタロニアの敗北に終わり、これを契機にカスティーリャのカタロニア差別、即ち教育におけるカタロニア・スペイン語の禁止が始まる。 両勢力の戦いは続き、1930年代のフランコ軍事政権に反対したカタロニアは内戦状態に入るが、ヒットラーやムッソリーニのファシスト勢力の援助を受けたフランコ勢力が圧勝し、一層カタロニアへの差別弾圧が強化されていく。そして1975年、フランコの死をもって、カタロニアの言語と教育の自治権が漸く復権した。

かつてイスラム勢力の駆逐に先鞭をつけた誇りと、近年までの差別の歴史がカタロニア・ナショナリズムを支えて、バルセロナは独自の道を模索し続ける。

1979年 アメリカは中国を見誤った

2020年12月16日 | アメリカ通信
1978年、中国の鄧小平は共産主義国家でありながら資本主義経済の導入という意表をついた政策を公表、世間をあっと言わせた。東西冷戦の象徴である共産主義と資本主義という二つの対立軸を中国は飲み込んでしまったのである。

この新政策に対し、アメリカが大きな期待を抱いたのは当然だった。市場経済で国は豊かになり民度は上がる。その結果自由主義、民主主義の良さが浸透し、やがて共産主義にとってかわる。そうなれば、計り知れない巨大市場が開放され、アメリカ経済にとっても多大な利益を享受できる。アメリカはそう考えた。

1979年、大統領ニクソンは電撃訪中により米中国交正常化をやってのけた。以来、軽工業品を中心に企業進出が始まり、Nikeを筆頭に、中国主要都市に拠点工場を設立、その後、満を持して自動車産業が海を渡っていった。

そして40年経った今、何が起こっているか。遅ればせながらトランプの強烈な中国叩きである。中国は共産主義と資本主義を狡猾に利用し、アメリカと西側諸国が期待した民主主義国家とは異なる、世界覇権を目指す化け物国家へと変貌した。1979年の国交回復に抱いたアメリカの期待は、”幻想”に終わった。

中国の世界覇権の目論みは着実に進行中だ。総合的軍事力ではまだアメリカが優位だが、最近の衝撃レポートがある。軍艦数は既に中国がアメリカを上回っているという。陸の一帯一路政策に並行して海洋覇権を目指していることは明白である。この軍艦数に追いつくのにアメリカは5~10年はかかるという。

この海洋軍事力の逆転の兆候をアメリカはもっと早く察知すべきだったがオバマ政権は見逃した。オバマは中国にはユルユルの友好政策をとり、中国海軍との合同演習までやってしまった。この間中国は着々と軍艦建造に励んでいたわけである。だが、この演習の時に行われた両軍司令官の会談の際に、中国側から、「将来太平洋はアメリカと中国で二分しようではないか」との提案がなされた。漸くオバマは事の重大さを認識、中国政策転換を図ったが、時既に遅かった。

白人対白人の米ソ冷戦に比べ、米中冷戦は白人対東洋人の構図故に、厄介さの度合はかなり大きいと思わざるを得ない。

Thanksgiving 感謝祭 の真実

2020年12月02日 | アメリカ通信
感謝祭が終わり、人々はクリスマスに向かう今日この頃であるが、その感謝祭について。

史実というのは必ずしも真実ではない。後々誤って伝えられることもあるが、為政者が都合よく捏造したり美化することもある。

ボストン近郊の町プリマスと言えば1720年メイフラワー号に乗った清教徒が最初に踏んだアメリカの地であり、それを記念した石が観光スポットになっている。1980年代の後半、日本からのアメリカ出張でニューイングランド地方を訪れた時にプリマスに立ち寄ったことがあるが、多くの外国人観光客がそうであるように、当時の筆者の頭の中は、学校の世界史で教わる「清教徒、メイフラワー号、プリマス」だけであった。

次のプリマスとの出会いは1996年。前年、家族共々アトランタに赴任、日本の高1だった娘がこちらのハイスクールに入ったのがきっかけだ。英語が最も不得意な娘にとって、授業や宿題は難行である。そこで筆者が夜な夜な宿題を助ける羽目になった。その時読んだ歴史の教科書では「入植者とネイティブアメリカンは宴を張り、これがThanksgivingの始まりとなった」とある。あたかも未知の世界に足を踏み入れた入植者達が土着の民に歓迎されたかのような記述となっていた。多くの人達はこのレベルで納得し毎年ターキーを食するのである。

そして昨年、ほぼ25年振りにプリマスに関わる”Thanksgivingの真実”という記事に遭遇した。

記事によれば、プリマスに上陸した清教徒達が戦いの準備をしているのを察知したネイティブアメリカンは「何故戦おうとするのか。よく話し合おうではないか」と持ち込んだ食料を食しながらの会談となった。これがThanksgivingの発端だが、決して歓迎の為に食料を提供したのではないのだ。その後はどうなったか。外からの侵略者達は次々と土地を奪取、土着の民を駆逐していった。

プリマスの石の近く、Cole's Hill公園の一角にネイティブアメリカンの史実を反映した記念プレートが設置されている。「アメリカ国家が定めた感謝祭の日はネイティブアメリカンにとっては、先祖が土地を奪われ、虐殺され、文化を破壊されてことを忘れず追悼する日である」と記されている。アメリカ人の今があるのは、これらの犠牲の上に成り立っている、と説いている。