よし坊のあっちこっち

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小学校の時代

2011年03月30日 | いろいろ
人生、そこそこ長くやっていれば、色々な思い出がある。思い出すものは、夫々に貴重で、懐かしくもある。どの時代が一番印象深いかは人それぞれだろうが、よし坊の場合は小学校時代がそれにあたる。

遊びは何だったか。チャンバラごっこが筆頭に来る。近くの竹やぶで手頃な竹を切り、刀に使う。面子やベーゴマもやった。缶蹴りや鬼畜米英というのも有った。

スポーツでもあり遊びでもあったのが、野球だ。ゴムボールの手打ち野球と本格的な軟式野球。学校の運動場や近くの広っぱで、よくやった。ポジションは先発のピッチャー。途中でガキ大将の吉井君と代わり(代わらせられるわけだ)、ショートを守るのがいつものパターンだった。巨人の広岡が好きだったから、ショート。

東京と言っても、当時の杉並は田舎である。田んぼに行けばオタマジャクシノの卵。沼に行けばザリガニ。周りはそんな風景である。

ごくたまに、親に連れられて新宿へ。あのチョコレート色の省線というやつだ。今で言うJR。他に印象深かったのがトロリーバス。阿佐ヶ谷の青梅街道を走っていたと記憶する。乗ったのは一回か二回で、その後は路面電車の都電が専ら足となったから、トロリーバスは廃止になったのだろう。今の若い人にはピンと来ない話だ。

バスも印象深い。必ず女性の車掌さんがいた。切符も切るが大きな仕事は対向車すれ違いの誘導だ。昔は道路と行っても狭い。車一台分にちょっと広いくらいの道路をバスが走る。向こうからバスが来ればスンナリ通れない。そこで、車掌が道路ギリギリまでの車寄せを誘導する寸法だ。そして、ギリギリの攻防を終えて、又走り出す。子供には正に神業に見え、圧巻のシーンとなる。

小学校三年の夏休み、初めて母親の田舎、信州諏訪へ遊びに行かされた。何せ、杉並とはいえ東京育ち。田舎は初めてで、その印象は強烈だ。家の外、暗い、そしていかにも嵌りそうなトイレ。家の脇に流れる小川のドジョウ取り。ドジョウはフライパンで焼かれる時、小さな声でピューピューと鳴く。夜中の墓地での我慢比べ。従兄弟にあたる兄貴が天井裏から蜂の巣を取ってきて、蜂の子を初めて食べさせられた。初めて山に登り、おにぎりを頬ばりながらの初めての湧き水は美味しかった。この時に捕った蝶の標本が夏休みの宿題になったのを覚えている。田舎がりんご園をやっているので、リンゴの木を炭にして使う。その炭焼きの手伝いも滅多に出来るものではない。屋根裏の蚕棚に案内され、初めて蚕を見たのもこの時だ。翌日から、朝早くリヤカーで桑の葉を取りに出かけ、帰ってきたら棚に敷いてやる。桑の葉を取りながら、芋も掘る、トマトも捥ぐ。牛を二頭飼っているから乳絞り。たまに牛乳風呂が味わえる。
この小学校三年の夏はよし坊にとって、特別な夏となった。今考えると、なんと贅沢で豊かな夏だったんだろうかと思う。

素足で古い運動靴を履き、尻の所に見事なキャッチャーミットの継ぎ当てがある半ズボンを履いた我が小学生の姿が浮かんでくる。歳を取った者のノスタルジーか。