事件が起こるとメディアは一斉に報道を始める。だが、当初の報道内容は事実の断片に過ぎず、全容が判明するのは裁判を経た後になる。その間飛び交う色々な憶測が、事実の断片の間を埋めていき、真実とかけ離れた物語が創られ、誤解と共に世間に定着してしまう。
駐在でアメリカに派遣される時、本社で注意を喚起される項目の一つが「訴訟」。そして、アメリカに来て、早い時期に耳にする伝説的訴訟事件が、マクドナルド・コーヒー訴訟である。「おばあちゃんがコーヒーを膝に溢して火傷を負い、たった一杯で大金を勝ち取った」と聞いて ”さすが訴訟の国”と納得して終わるのだが、本当はどんな事件だったのだろうか。
1992年2月、79歳のステラ・リーベックが孫とニューメキシコ州アルバカーキのマクドナルドのドライブスルーで朝食を買った。駐車場で紙コップの蓋を開けようとして膝に溢し、膝、腰回りにかけ、全体の16%に火傷を負った。治療費2万ドルの負担は大きく、マクドナルドに治療費負担と、コーヒーの温度を下げる依頼を手紙にした。当初、ステラは訴訟など全く考えておらず、誠意ある回答を期待しただけだが、回答は800ドルであった。
困っているステラに地元弁護士が協力し、何とか話し合いたいと、2回に渡ってマクドナルドと交渉したが埒が明かなかった。一方マクドナルドでは当時年間700件以上のコーヒーによる火傷被害が報告されているにも関わらず、何一つ対策が打たれていない事が分かった。弁護士のアドバイスで、ステラは自分及び過去の被害者の為に訴訟に踏み切った。
陪審員はマクドナルドに対し、損害賠償16万ドル、対企業懲罰賠償270万ドルを答申。これが「290万ドル」として全世界に配信されたが、その内容は正確さと冷静さを欠き、ステラが溢した状況を、車を運転中の出来事だったと報道する局まで出る始末となった。この過熱報道は、「コーヒー一杯で大金をせしめたおばあさん」というネガティブなレッテルをステラに貼り付け、彼女は生涯この有難くない視線を受け続けることになる。
「290万ドル」のその後はどうなったのか。裁判官は懲罰賠償を48万ドルに減額、損害賠償と合わせた64万ドルをベースに話し合いを促し、双方はある「合意額」で和解した。
この事件は、被害報告に対する企業の無視や怠慢が何をもたらすかを浮き彫りにし、更に、マスメディアの初期の報道姿勢のあり方を問うと共に、事件全容を含めたその後のフォローアップ報道が如何に重要かを示している。
駐在でアメリカに派遣される時、本社で注意を喚起される項目の一つが「訴訟」。そして、アメリカに来て、早い時期に耳にする伝説的訴訟事件が、マクドナルド・コーヒー訴訟である。「おばあちゃんがコーヒーを膝に溢して火傷を負い、たった一杯で大金を勝ち取った」と聞いて ”さすが訴訟の国”と納得して終わるのだが、本当はどんな事件だったのだろうか。
1992年2月、79歳のステラ・リーベックが孫とニューメキシコ州アルバカーキのマクドナルドのドライブスルーで朝食を買った。駐車場で紙コップの蓋を開けようとして膝に溢し、膝、腰回りにかけ、全体の16%に火傷を負った。治療費2万ドルの負担は大きく、マクドナルドに治療費負担と、コーヒーの温度を下げる依頼を手紙にした。当初、ステラは訴訟など全く考えておらず、誠意ある回答を期待しただけだが、回答は800ドルであった。
困っているステラに地元弁護士が協力し、何とか話し合いたいと、2回に渡ってマクドナルドと交渉したが埒が明かなかった。一方マクドナルドでは当時年間700件以上のコーヒーによる火傷被害が報告されているにも関わらず、何一つ対策が打たれていない事が分かった。弁護士のアドバイスで、ステラは自分及び過去の被害者の為に訴訟に踏み切った。
陪審員はマクドナルドに対し、損害賠償16万ドル、対企業懲罰賠償270万ドルを答申。これが「290万ドル」として全世界に配信されたが、その内容は正確さと冷静さを欠き、ステラが溢した状況を、車を運転中の出来事だったと報道する局まで出る始末となった。この過熱報道は、「コーヒー一杯で大金をせしめたおばあさん」というネガティブなレッテルをステラに貼り付け、彼女は生涯この有難くない視線を受け続けることになる。
「290万ドル」のその後はどうなったのか。裁判官は懲罰賠償を48万ドルに減額、損害賠償と合わせた64万ドルをベースに話し合いを促し、双方はある「合意額」で和解した。
この事件は、被害報告に対する企業の無視や怠慢が何をもたらすかを浮き彫りにし、更に、マスメディアの初期の報道姿勢のあり方を問うと共に、事件全容を含めたその後のフォローアップ報道が如何に重要かを示している。