よし坊のあっちこっち

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どこまで便利さを求めるのか - 老人大国の中で

2019年06月19日 | いろいろ
最近やたらと紙面を賑わしている老人の車事故は他人事ではない。よし坊も既に、世間を騒がしている年齢に達しているからだ。事故の殆どは、恐らく老人達の思い違い(ブレーキとアクセルの踏み間違え)や老人ゆえの反応の鈍さに起因するのだろう。その意味で免許返納の流れが出てきたのは自然のながれ。とはいえ、移動の手段が無い過疎地では簡単に返納とはいかないだろう。今住んでいるアメリカは 日本の過疎地のようなもので、車で30分くらい行かないとスーパーに行けない。幸いなことにアメリカの道路は広く、チャリンコが通っているわけでもないから老人でも運転が出来る。しかし、日本のような狭い過密な所ではとてもじゃないが、怖さが先に立つ。

先日面白い記事に遭遇した。車の自動変速機、即ちAT車だが、これが今足かせになっているのではないか、というものだ。AT車は瞬く間に広がり、それまでギアの切り替えが煩雑で敬遠していた女性ドライバーもグンと増え、車の会社を潤った。よし坊も最初はカローラのマニュアル車だったが、二台目はカムリのオートマにした。この便利なオートマの機構が一端アクセルを踏み、更に踏み込んで暴走を誘発しているとの指摘である。

マニュアル車は、速度に応じてギア切り替えをその都度しなければならない。ローかセコンドで走っている時に事故ったり、何かの理由でパニックになりブレーキを踏むところをアクセルを踏んでしまってもギアを切り替えない限り、加速は抑えられる仕組みだ。ところがオートマで間違ってアクセルを踏み込めば、あっという間に加速され制御不能となる。

何やら、便利さのツケがこう言う所に出てきたような話である。それを見越してなのか、九州のあるメーカーが何十年も前に、マニュアルとオートマの折衷技術のようなもので、加速されにくい仕組みを開発、細々と販売してきたのが、ここにきて一挙に注目されているという。当時名だたるトヨタや日産に売り込んだが、けんもほろろだったらしい。この経営者の眼力はなかなかのものである。

今の世の中、便利さの追求が幸せに繋がるという考えが主流だが、果たしてそうかのか、よくよく考える必要がある。企業は新技術、新技術と売らんが為に世情を煽るが、消費者は身の丈を考え、どこまでの便利さを求め、過剰な便利さに追随しない眼力を肥やす必要があるだろう。ローテクが生きる領域は、この世の中にまだまだ相当残されているような気がする。

ローテクへ帰ろうではないか、諸君。