よし坊のあっちこっち

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昭和の足跡(13)整備士としての親父

2020年07月03日 | 昭和の足跡
前稿で書いたように、親父は整備士だった。熊本工業高校を出たと言っていたから、そこで機械工学を学んだようだ。巨人の川上が同窓だったのが自慢だった。

高校を出てから親父は上京している。車の整備士として主としてタクシー会社を何度か変わっている。昭和14~5年の頃だから、世の中決していい時代ではなかったろう。仕事にありつけるのも地方出身者にとっては楽ではなかったはずだ。

当時のスポーツは野球が中心で、たまに親父は六大学の試合、とりわけ早慶戦に連れて行ってくれた。早稲田贔屓だったので、よし坊も自然と早稲田ファンになり、野球のユニフォームを買ってもらった時、ソックスは当然エンジ色の早稲田カラーだった。

早稲田贔屓には理由がある。上京してから二級整備士の資格を取る為に、早稲田の夜学(と言っても、所謂夜学ではなく、資格を取る為の必須コースを受講したのだろうと推測する)に通い、資格を取得している。決して裕福ではなかったが、この資格のお陰で職場がよく倒産したが次の職場に比較的早く就けたようだ。

整備士としての腕は評価が高かったようで、当時プロ野球出身のラジオの解説者(名前は忘れたが)の乗っている外車(マスタングだったと思う)の整備を個人的に全て任されていた。

小学校4.5年の頃だったか、親父が、今で言う、海外協力隊に応募してシンガポールを目指したことがあったが、母の猛反対にあって実現しなかった。自分の腕を海外で試し、かつ貢献したかったのだと思う。心残りのひとつだったに違いない。

親父の機械いじりのDNAは9歳年下の弟に受け継がれたが、残念ながら48歳であの世に行ってしまった。よし坊にはDNAは引き継がれなかったが、もし、生まれ変わることが出来たなら、今度は機械いじりをやってみたい気がする。