よし坊のあっちこっち

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親父の人生(5)縁切り、そして東京へ

2022年11月14日 | 昭和の足跡
親父は台湾で中学を出ると、熊本の祖父の実家に居候し、熊本工業高校に入学、機械工学を学んだ。中学卒業までは過酷な仕打ちに耐え、満を持して祖父に熊工受験を申し出たに違いない。何故なら、それが唯一台湾脱出、即ちイジメからの脱出のチャンスだったからに違いない。そしてその切符を手にした。こうして親父は自動車整備の道を歩み始める。

昭和8年祖父達一家は日本へ引き上げたようだ。それは同年の戸籍記述に家督が曾祖父にあったものが祖父に家督相続された届出やその他多くの届け出が記されており、一家引き上げはこの家督相続によるものだと思われる。

期せずして、この年は親父が熊工卒業の年にあたってるのではないか。そのタイミングで親父は家を出た。親父が縁を切って出た裏付けが二つある。東京への汽車賃なるものは持たずに出た事、そして生涯一度も熊本には帰らなかった事。祖父が亡くなった時も帰らなかった。東京へは今でいうヒッチハイクでたどり着いたという。広島の呉あたりの海岸で魚を取って野宿をしたと話してくれたことがある。戦争中は蛇でもなんでも食った、という話が思い出される。戦争で生き残った者は驚くほど強い。脱帽である。