入澤光世=soramame
安倍首相は戦後レジームからの脱却という。
レジームという言い方は、アンシャンレジームからの転用であるのは明白で、こうした用語を使用する本人は、いわゆる保守的な人ではなく、戦後学校教育をまともに受けた、極めて近代的な人なのだと思う。
安倍首相の言動から、現在、憲法9条をめぐる憲法改正が焦眉の的とする論調があるが、本当だろうか。
武力の放棄をめぐる戦後政治の課題は、社会党政権下で自衛隊をあっさり合憲と認めたし、また共産党なども現憲法の公布に関する論議の中では、軍備の放棄に反対した経緯がある。国家のあり方をめぐる本質的な考察であるべき武力の放棄は、今日まで時の政治勢力の〈出し〉にしかなかったのである。自民党にしろ、民主党にしろ、共産党にせよ、衆議院の憲法調査会の報告を見る限り、憲法を、あるいは軍事に関して本質的に取り組んでいるとは思えないのだ。
現憲法に関して私が記憶している本質的な問題提起は、福田恒存が言っていた国家元首の規定の問題だと思える。
確かに現憲法では国家元首の規定がない。国家元首は他国との条約の締結者であって、国家の最終的な権限を有している。明治憲法ではこれは言うまでもなく天皇だった。国体というのはつまり元首の規定の問題であった。国事行為は現在は内閣総理大臣が天皇に進言することで、行うことになっていることから、戦前の支配層は国体は維持されたと得心したとされる。
戦後民主主義の課題は、だから九条の問題ではなく、私は福田恒存が指摘した国家元首の問題だと考えている。これを明確にすることによって政治の責任の所在がはっきりする。中曽根康弘氏が主張していた総理大臣公選制というのも、結局は元首の規定の問題のようにも思う。
私は福田や中曽根氏などとは意見がことなるが、元首を明確にして、その上で九条のあり方を再規定すべきだと考える。国際間の紛争の解決に当たっては武力を行使せず、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持するという憲法の理想は、WW2後の世界情勢の要請でもあったが、世界の政治情勢如何にかかわず、主権者としての国民の願いとしてこれを明記すべきと考えるのである。【彬】