ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

台風被害の倒木に思う

2016年08月25日 | 日記

  タマスダレがちょうどシーズンである。

 台風が各地に冠水、崖崩れ、倒木などの被害をもたらしている。1時間に100ミリを越す大量の雨が降れば、当然だ。こうした被害のたびに思うことがある。それは昔に比べ、復旧がずいぶん早いことである。山間の崖崩れや、細い道路や線路にかかった倒木など、程なくかたずけられる。重機が威力を発揮しているわけだが、私の子供の頃は、復旧がなかなか進まなかった。倒木の処理や土砂の除去など、人出に頼らなければならなかったからだ。

 木を切ったこと、例えば薪木を伐ったり、庭木の剪定をしたことがある人は実感するはずだが、これを鋸で処理するには大変な労力が必要だ。しかし現在、足場さえ確保できれば電動ノコ、つまりチェーンソウを使って一瞬に片がつく。文明の威力をつくづく思う。

 木を切ることで思い出したことがある。縄文期の伐採である。三内丸山遺跡をはじめ、縄文期の遺跡に直径1mを超す柱跡が発掘されている。使用された材は栗の木。そんな栗の巨木をどうやって切ったのか。謎である。だからノコギリのような金属の道具があったのではないか、などと推測する人もいる。

 建築家の藤森照信氏が当時の 石斧(せきふ)で実験してみた(「縄文の謎の扉を開く」富山房インタナショナル刊のうちの「縄文住居の謎」より)。すると鋭利な石ではなく、錬磨した比較的柔らかい石をツタなどで柄にくくりつけた斧で水平に打ちつけてみると、小学生の力でも、多少時間はかかるものの、なんと問題なく木が切れたというのだ。考えてみれば、硬いものに対しては柔らかいもので研磨し、柔らかいものに対しては硬いもので切り落とすというのは、今では常識のようなものだ。大きな樹木を石のカケラのような石斧で切り倒す、それが実証されたのである。

 このレポート、私の抱いていた疑問が一気に氷解したような気になった。【彬】


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