色づいてきたキンカン
パソコンに「まぎゃく」と打ち込むと「真逆」と変換される。辞書にも真逆という項目があって、「まぎゃく」という言葉がすっかり市民権を持ったようだ。
私たちの時代にはこんな言葉はなかった。同じ意味で言うなら、正反対とか、単に逆という言葉を使った。真上とか、真南とか、真下とかとおなじように、「逆」という言葉に、なぜ「ま」という接頭語をつけたのだろうか。
「逆」という表現は、かなりキツイ言い回しである。だから意味を損なわずに、より緩やかな感じがする「真」というコトバを加え、対話や討論の時に角が立たないようにしたのかもしれない。それが今の人たちの語感なのだろう。
言葉は生き物だから時代と共に変化していく。しかし、その変化の様子に違和感を感ずるものと、納得できるものがある。「真逆」というのは、私にとっては前者だと思う。
「重複」というのもそうだ。いつのまにか「じゅうふく」が一般的になった。私の学生の頃は「じゅうふく」だとバツになったと思う。そんなことを思っていると、テレビ画面で「そっきゅう」という言い回しに出会った。早急の新たな読み方なのだろうか。「早急」は「さっきゅう」のはずだが、いつのまにか「そうきゅう」になった。そして「そっきゅう」になるのか。
日本語には和語と漢語が入り混じっている。その区別に敏感になることが、教養の第一の条件であった。これからはこれに西洋語が噛んでくる。西洋語をいかに上手に組み込んでいくかが日本人の教養のひとつになっていくのであろう。そしてSNS語もそのひとつ。わたしたち老人には、対応の難しい時代になった。【彬】