垣根のソヨゴが真っ赤な実をつけています。
前々回だったか、新聞社の世論調査に触れたことがある。
世論というような実態のあやふやなものを統計という固定化された数値に置き換えることの意味について、触れたものである。
統計については、いま、厚生労働省で勤労統計について、不正があったと、政界やジャーナリズム界隈で大騒ぎである。法律上、従業員500名以上の事業所については全数調査であるべきものを、特定のものだけを抽出した調査でしかなかったと問題になっているのである。その結果、統計数値に誤りが出て、失業保険などの給付額が減額されているというのだ。そして再調査し、不足分を支給し直すというのである。
再調査してどのくらいの違いが出てくるのか。
指摘されているように法律に規定された通りに調査を行えば、果たして正確な結果を得られるものなのだろうか。私はそうとは思えない。調査の途中で記述の誤りなどが出てくる、集計の間違いが出る、など人為的な過失が当然出てくる。正確に調べたから正確なデータとなるわけではない。自然科学で追試験を何度も行うことを見てもわかると思う。
学としての統計学は誤りを補正するために、逆に対象を抽出して調べることの意義を提案している。そしてこのことによって膨大な作業を簡略、誤差を一定の範囲内に収めることができるというのである。
今問題の勤労統計も、今日のように職場環境が多岐に広がった社会では、すべてのデータを収集することより、統計学に準じて実施した方がより正確なデータをえることができると思うのは当然である。私は、だから、厚労省が行った調査は、法律的には不正であってもデータとしてはそれほど違いがないと思っている。
厚労省の担当役人はこうした統計法を十分に知っていたと思われる。だから、全対象者の調査ではなく、サンプリングした調査を実施してきたに違いない。
しかし、政治的に見ると、この実施の仕方が大問題となる。とにかく法律の定め通りに実施していないのだから。おそらく担当の役人、あるいはそれを許可してきた上司は、統計学的な裏ずけもあるのだし、この調査を良かれと判断し、実施してきたのだと思う。
しかし、政治的な分野では、良かれと思ったことを素直に行うととんでもないことに行き着くのだ。これを官僚主義の弊害を云々することもできようが、問題は政治家が権力闘争ばかりに熱をあげ、政治的な利害の調整をしていないことの方が問題だと思われる。
高度な福祉国家、そして高齢化社会になり、私たちの生活に行政が関与する度合がすこぶる大きくなっている。そして行政への要求が著しく高まっている今、行政を改革することを要求する政治家が多いが、問題の本質は、政治家が行政の実態を知らないことの方が問題だ。政治は理想ではなく、無知が罰せられる世界であるのだ。【彬】