ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

洪水災害に思う

2020年07月13日 | 日記

 椿の実が鈴なりだったので、失敬してきた。

 九州や関西、中部一帯の降雨量が尋常ではない。一日に300mlも降ったという。これが1週間も続いている。河川が至るところで寸断・氾濫し、山間からの土砂に混じって、道路から家々までを破壊しつくしている。
 安全な場所に避難せよと訴えられているが、どこに安全な場所があるものやら。当然、電気・水道はなし。避難生活を持ち堪えるのも、限界点に近いのだと推測される。
 昨年は台風の影響で信濃川上流・千曲川流域で甚大な被害があった。近年、水害が絶えることはない状態だ。
 日本に限らず、治水と灌漑は、水稲を生産するアジアでは特に最重要な統治上のテーマであった。治水と灌漑がうまくいけば、崇拝すべき統治者になれる。我が国でも、古来より治水と灌漑は最大の統治テーマで、武士は同時に水利土木を専門とする人々だった。300年の長期にわたって徳川時代が続いたが、その背景には、この幕府の水利事業が横たわっている。関東だと利根川の改修(東京湾に流れていたものを銚子に移した)、江戸川、荒川の改修、それに台場付近の整地、こうした事業を各地の大名、有名なのは外様の薩摩藩に任せたのである。それによって幕府に対する忠誠を求めた。そして治水灌漑は農産物の生産力を高め、水利交通の利便をもたらした。
 治水では遊水池を作ること、河川敷を広めることが主で、築堤を高くすることではなかったようである。遊水池は流量を一時的に抑制する、今で言えば貯水ダムにあたる。関東ではこの遊水池が昨年の台風で、多大な役割を果たした。また都心では地下に巨大な空洞をつくり、これを遊水池がわりにしている。こうした場所は公開されていないが、治水を理解するうえで、施設見学ができるようにならないものか、と思う。
 九州各地ではどんな治水方法がなされていたのか。
 九州はシラス台地で、思った以上に複雑な地形をしている。その上、有明海も奥行きが深く、複雑な海流を形成しているのだと思う。今度の被災はそんな地形が被害を増大させ、さらに治水対策の難しさ・停滞の要因になっていたのではと、推察されるのである。
 憶測だが、いまでも解決の目処がたっていない、有明ダム問題はこの複雑な海底と海流が関係しているのではないだろうか。湾曲した球磨川の治水についても同様な問題があるのかも知れない。単に鮎の魚道をつくるとかと自然環境の保護とかといった単純な問題ではないような気がする。
 コロナ風邪などタカが知れている。全国どの自治体でも、治水と灌漑に関する知見を広め深め、自然災害に対する対策を早急に進めるべきではないだろうか。避難場所は学校などではなく、それに相応しい施設が必要だ。当然そこは発電設備を備え、水道も使える。また消防署と看護施設を併設するのがよいのかもしれない。そうした施設こそ真に共同体を象徴する場所であり、そこはいつでもは住民に開かれていて、講演会やらコンサートなど開催できるのが理想だろう。【彬】

 

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