葵
来週から東京都は、緊急事態から蔓延防止に移行する。相変わらず、飲食業は夜7時以降の酒提供が禁止される。こうした行政措置に対して、憲法の基本的人権の営業権に反するのではないか、との見解を示す法学者も現れた。
「憲法学においては、営業の自由を含む「経済的自由」の公権力による規制は、表現の自由などの「精神的自由」の規制よりも緩やかな司法審査に服すこととなっており、このように規制対象によって基準が二重になっていることを指して「二重の基準」と呼んできた。
噛み砕いて言うなら、「営業の自由」は「表現の自由」や「報道の自由」などに比べると、簡単に政府による規制の対象となってしまうのである。このようなかたちで経済的自由を精神的自由に対して劣位に置くのは、「知識人」特有の偏見なのではないかと法哲学者の井上達夫は論じた。」谷口功一(東京都立大学法学部教授)web Voice6月14日公開より。
私もそう思う。法律論議については専門ではないが、飲食業の規制は、普通に考えてもおかしいのだ。
何故か。
私は二つの点を上げたい。一つは効果の問題。二つは飲食店がスケープゴートにされていること、である。
感染が確認されて以来かれこれ2年余り経過しているので、感染経路がおおよそ分かってきていると思うが、感染に関して飲食店がどのくらい関与媒介しているかという問題が一つである。思うに、マスコミ等各種メディアで報じられているところから類推するに、飲食店経由は皆無ではないのか。
私の知っているお店は、通気性を気にし、テーブルにはパーテーションを置き、手を消毒させる。さらに客席を離すなど、懸命だ。そして生き残り策としてデリバリーを始めており、街中を配達員が絶え間なく動き回っている。人流を抑えること、三密を防ぐことなどの、キャッチフレーズから言っても、飲食店があることによって、人流が増えるなどということはない。もともと人流が多いから飲食店があるのである。加えて、人流が増えたこと、三密を避けたことが感染者数とどう関係しているものやら。人流の最も激しい鉄道などで、患者が増えたというのか。
二つ目のこととして、飲食店がターゲットにされるのは、多分、お酒=行儀の悪さ、盛上り習慣があるのだろう。アメリカではかつて禁酒法で酒を禁止したことがあるが、この制定理由もピューリタンから見ると、お酒=行儀悪さ・仕事に差し障るということが根本にあったようだ。その禁酒法がどんなに悪法であったかは周知のことであり、お酒はスケープゴートにし易いのである。飲食店でクラスターが発生したなどと聞いたことがない。都内の繁華街を行政官がマイク片手に帰宅するよう呼びけている姿は全く喜劇である。
一部のデータだが、感染の多くは家庭であり、あるいは合宿や合同宿泊所(スポーツ、養老、病院など)であることはだんだん分かってきている。
飲食業を規制から解放することが、喫緊の課題であるべきだとつくづく思う。