JR青梅線沿いの植林事業風景=山が丸裸にされている。
山歩きをしていると、植林された杉や檜の針葉樹の間を通る際は、なんとも陰鬱な気分になるものである。密植されているため、光が入らず下草も生えない。そして倒木が放置され荒放題といった状態が多いのも杉・檜の林の特徴である。そして最近では山蛭が出没するし、こんな場所は早く抜けたいと思う。反対に落葉広葉樹の林は本当に気分が晴れやかになる。新緑の頃は緑が爽やかで、様々な草木の花も楽しい。秋は紅葉が美しい。
また広葉樹は水源の機能も持っていることから、建築材としての針葉樹から自然環境としての広葉樹への変換が歓迎されている。都内では、針葉樹から広葉樹への植え替え事業が盛んで、行政も補助金を出して植え替えを促進しているほどである。
たとえば、青梅市周辺の山々がそうした事業が活発で、JR青梅線の御岳周辺は車窓からは、その一端を垣間見ることができる。ところがこの植林、気になることがある。植林に際し、山肌を丸裸にして行なわれるのである。そのほうが木の配置、植えやすさ、育ちやすさ等から、効率的なのだろう。だが、急勾配の斜面は本来、草木と岩や土との共生の関係にあって原状を維持しているはずだから、これで強い風雨がきたらどうなるかと心配になる。
山林は、田や畑のように栽培のために開発されるものではない。現在、あちこちに植林されている杉、檜は、戦後の住宅難を解決するための応急の林野事業だった名残である。檜や杉でもまばらに生えた自然状態なら、そんなに鬱陶しいものではないのだが、建築材を効率よく生産するために、今日のように密に植える事態が生じたのである。
山は目的を限定することを嫌うものだ。今日の広葉樹林化も、「美しい自然」などと目的化すると(人工的な美と自然状態としての美とは違う)、将来思わぬ弊害が生じるやもしれない。
日本は南北に長く、しかも降雨量が多いことから、植物の種類が圧倒的に多い国柄である。樹木を限定して、純林もどきの体裁に整えるのは日本の自然環境にそぐわない。いろいろな木を植え、植物自体に生存を任せることが重要で、生態学者の宮脇昭さんが夙に指摘するところである。松、杉、檜の針葉樹、樫やタブの常緑樹があって、楢、クヌギ、ケヤキなど落葉樹などが群生する風景が、日本の山野である。【彬】