ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

諏訪神社の神楽殿

2015年09月01日 | 日記

       

      諏訪神社・春宮の銅板製の大鳥居に掛けられた御紋を形どった注連縄

 子供の頃の遊びは神社の森や境内だった。そんなことから、詳しくはないが、神社については少なからず関心を持ってきた。内藤湖南の神社の歴史など、興味深く読んだ記憶がある。

 夏休みを利用し、諏訪神社を訪れた。前は若宮、上社をまわったが、今回は下社の春宮、秋宮と訪ね、諏訪神社は一通りめぐったことになる。

 諏訪神社については言うべきことがたくさんあるように思う。前に訪れた時には、御柱や梶の木について触れておいた。今回は神楽殿の位置について関心を持った。

 この神社は本殿(一位の木と杉の木がご神体となっている)というものがないのが特徴であるが、その分、神楽殿が重要な役割を果たしているように思う。関東などでは神楽殿は本殿の脇に建っているのが普通なのに、諏訪では境内の中央に、神殿を隠すようにしつらえている。秋宮では賽銭箱は神殿ではなく、神楽殿に設置されており、しかもお神楽は境内の参拝者からは見えないように板塀で囲われている中で舞われるのである。

 安曇野の穂高神社でも神楽殿の位置は同様に境内の中央にある。

 これはおそらく神楽の古型を残しているのだ。つまり神へのお祈りは一般人が直接行うものではなく、神楽人に媒介されるということである。仏教やキリスト教のように、教えを垂れるという宗教ではなく、神に願をかけるという行為なのである。しかも、間接的に。時代が経緯して、お神楽を芸能の一種として楽しむようになったのは、言ってみれば神や神楽人の零落した形なのであろう。

 神楽殿の位置については禰宜さんに聞いても要領を得ず、またネット上調べたが、問題を提起するような解説は得られなかった。調べてみる価値があるのかもしれない。【彬】

 
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