カンナ
都知事選挙がこの5日、と迫ってきた。街宣車が時々回ってくるが、街中は選挙関係の動きはなく閑散としている。候補者はどこでどのように選挙運動をしているものやら。
選挙の掲示板には、候補者全員全員のポスターが貼られているわけではない。泡沫候補という人たちは一体何を思って、高額の供託金を払ってまで立候補するのだろうか。私にはとんとわからない。
そういえば広島県の河井夫妻議員というのもわからない。奥さん議員は、私も議員になりたいといって、主人におねだりしたのだろうか。あるいは旦那の方がお前も議員になれと勧めたのだろうか。議員というのは、そんなにしてまでなりたいものなのだろうか。高額の報酬があるといっても、他の職業に比べて頭抜けているわけではない。
政治家になる、なりたいというのは、国家共同体について何か不満があって、あるいは理想があって、それを実現するためであろう。ところが立候補者からは、そういった考えはまったく見えも聞こえもしない。不思議な民主主義政治である。
河井夫人の場合は、男女共同参画社会の求めというのがあるのだろう。日本の国会議員は、女性が少なすぎるから、という。しかし国家共同体の理想を求める政治活動の上で、男女の構成比が同じでなければならないというのは、どういう思想が反映しているのだろうか。
私は学生時代に若干学生運動に関わったことがあるが、それは政治活動などというものではなく、反対運動、例えば学費値上げ反対とか、学生退学処分反対とか、ベトナム戦争反対とかといったもので、一種の対抗志向だった。日本の政治を変えるために政治家になるなどといった、そんな気持ちは微塵もなかった。
だから、政治家を志す今日の立候補者の動機、気持ちが分からないのである。
現在、都政の中で、具体的に何かをしたいというのであれば、ビラ配りとか躊躇なく手助けできるのだが。オリンピック中止とか、100万円給付とか、そんな馬鹿げた空想話は、もちろん鼻からお断りだが。【彬】