ナデシコ
菅義偉氏は首相に選ばれての初めての所信表明で、「取り組むべき最優先の課題は新型コロナウイルス対策だ。欧米諸国のような爆発的な感染拡大は絶対に阻止し、国民の命と健康を守り抜き、社会経済活動との両立を目指す」と明言した。当然のことであり、しかも喫緊の政治課題であることは、日本だけの問題ではなく、今日の世界共通の課題であるように思う。コロナをどう凌ぐのか、これは社会制度とも関わる、大きく言えば文明の行き先に関わる問題であるかもしれない。それらの具体策については、医療専門家からジャーナリスト、政治家、さらには素人があいまじりあい、曰まわっいる。
しかし私には肝腎要のことが触れられていないように思う。それは、この病気がどのような症状をきたし、どのようにすれば回復するのか、そしてどのように感染するかという病理についてである。
報道されていることを鵜呑みにすれば、感染して1週間程度すると、発熱発症するということ(WHOは14日と言っている)、発症し重症化すると肺炎になり、最悪死に至るという病気だということ。重症化する人は高齢者や持病を持っていて体調に不安のある人ということになる。この過程を考えると、ごく普通の病、例えばインフルエンザや夏風邪と同じで、発症しても解熱剤などを服用し、安静にしていると通常は回復するということ。発症者を隔離するというと大げさになるが、最近だと自宅で静養していても良いという。
ただし少し厄介なのは感染力が強そうだということ。インフルエンザも感染力が強いが、それ以上らしい。そしてこのウイルスを媒介するのは、飛沫らしいということ。だから大声でわめいたり密になることを避けること、さらに密集状態ではマスクが欠かせないということになる。
ならば私たちはこの病気の何を一番恐れなければならないのか、ということになる。感染力なのか。重症化なのか。
報告されているところによると、感染と発症は違うことがわかる。PCRなどで調べると陽性になっていて感染したことになるが、発熱しない場合もあり、結局発症しないで自然治癒する人が大勢いるのである。おそらくこれは人類が、各種のウイルスに対する数千年にわたる闘いの結果、身につけた体質の結果だとみなせる。
発症した場合、気になるのはいきなり重症化するということらしい。通常の病気のように徐々に悪化していくのであれば、対応に余裕があるが、いきなりというのが厄介だ。タレントの人が重症化の恐怖を語っているが、それは急だったことに原因がある。しかし、こうした重症化は感染者の1%にも満たないわずかな人たちである。
以上から判断すれば、政治的・社会的な対処方針は一目瞭然である。
一言で言えば感染は発症と違うのだから、感染を恐れないことに尽きる。そして重症化した患者を早期に発見し、必要な措置を施すことだ。
子宮頸癌ワクチンを推進している医師の村中璃子は次のように述べている。「ウイルスはいなくなりません。日本も都道府県も『鎖国』は続けられません。新規感染者の小さな増減は許容する前提で、日本も一歩前へ進むべき」(東京新聞)
コロナ恐怖症という社会心理を解きほぐすのは、医療専門家が、まず感染と発症はどのように違うかを明確にすることが最大の課題だ。そして毎日発表される感染者というのが、感染者なのか、発症者なのか、はっきりとさせることだ。【彬】