ヒメジオン
2021東京オリンピック・パラリンピックを中止すべきとの論調が、マスコミやネット上で盛んになっている。朝日新聞は5月26日の社説欄で、「中止の決断を首相にもとめる」という異例ともいえる2倍のスペースを使って論説を掲げた。
「誰もが安全・安心を確信できる状況にはほど遠い。残念ながらそれが現実ではないか。」
「五輪憲章は機会の平等と友情、連帯、フェアプレー、相互理解を求め、人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう」
とし、コロナ禍の現状はそうした理念から遠いと指摘。
「こうした認識は多くの市民が共有するところだ。今月の小紙の世論調査で、この夏の開催を支持する答えは14%にとどまった。背景には、五輪を開催する意義そのものへの疑念が深まっていることもうかがえる。」
といった内容である。
私はこうした論調に反対で、全力を尽くしてこのイベントを全うすべきと考えている。
何故か。
オリンピックを招致したのは国民の要望であって、これを最重要にすべきだと思うからである。国民を代表する国会、歴代の東京都知事、そして民間も含めて多大な労力と資金を長年にわたって費やし、やっと招致にこぎつけたのは周知のことであって、いまさら理念がどうのこうの、という段階ではない。ましてはIOCから頼まれたのでもないし、易々と開催が決まったわけではない。そしてこれは東京都とIOCの契約である。だから簡単に返上すべき事柄ではないし、できないのだ。それに日本のコロナ禍は、諸外国に比べ、圧倒的に軽微であって、医療とてそれほど逼迫しているとも思えない。
つまり、日本がイベント開催を返上するような状況にあるとはとても思えないのである。それに加え、進んで契約したことはなんとしても成功裏に治めるというのが、人としての、また政治的な道理なのである。快適で、理想的な状況で物事が進むなど、夢のまた夢物語である。
現にテニス、サッカー、ゴルフ、野球など多くのスポーツは、国外国内を問わず実施しているのではないか。オリンピックだけ開催できないという理由はない。皮肉を言うなら朝日新聞は夏の高校野球を率先して休止したらよい。
民主主義の政治的な基盤は、反対するものを最大限尊重するが、一度決まったことについてはそれに従うというのが基本だ。
表層で判断するのではなく、物事の理路に従うべきである。
とはいえ、オリンピックそのものには私もおおいに疑問を持っている。招致が決まる以前は、この運動に反対であった。今でも変わらない。このことについては別の機会に述べたい。【彬】