先日書いたチビチリガマから直線で南東に800m離れている同じ読谷村のシムクガマでは、1000名あまりの村民が生きて脱出した。
最初はチビチリガマ同様、自決するべきという意思を皆が持っていたようだ。
もう戦うしかないとなった時に、もとハワイ移民の住民たちがアメリカ兵と対話をした。
「手向かいしない限り殺さないのでガマを出るように伝えられた」ため、村民たちを説得した。
その結果、シムクガマからは1000名あまりの村民が自決することなく脱出した。
アメリカ兵は、捕まったらどんな目に遭わされるか分からない「鬼畜米英」ではなかった。
チビチリガマでは、2人の村民が落下傘で降りてきたアメリカ兵が数少ないので十分竹槍で戦えると思いアメリカ兵に立ち向かった。
その結果、機関銃や手榴弾を浴びた。
集団自決はその後のことである。
シムクガマでは村民(子供)が竹槍を持ってガマを出て戦おうとした時に元ハワイ住民に止められたという。
武器を持って出て行ったら間違いなく殺されていただろう。
アメリカ兵に手向かいしなかったこと、アメリカ兵と対話できる人間がいたこと。
この差が自決者82名(85名とも言われている。)と自決者0の違いになった。
場所を探していたら足元に
階段などない。足元に注意して。
奥深く壕がある。
内側でフラッシュを焚いた一枚。
鍾乳洞ということが分かる。
頭上注意。この出っ張りに頭をぶつけた。
奥に「北之天満金満宮」
元ハワイ移民の「比嘉平治氏、比嘉平蔵氏」をたたえる碑
奥は真っ暗だ。ここはもともと沖縄県民の憩いの場であった。