訪れたのは首里城だが、ここでは敢えて首里と書く。
先日の投稿に載せた「慶良間チージ」から見える首里。
その首里の高台に立つ首里城は世界遺産ではない。
首里城。1992年再建。
首里城城壁。
首里城のあった首里城跡が世界遺産に登録されているのだ。
そこがかつての首里攻防戦の場所となる。
トイレの蛇口。
首里城 鎖之間縁側に立つゆきたんく。
この首里を巡る戦いのことを知ったのは、帰宅後のことである。
いかに不勉強だったか。
沖縄線では、日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いていた。
1945年5月25日から3日間に渡り軍艦などから砲撃を受けて27日に焼失したそうだ。
この戦闘では、首里城やその城下の町並み、琉球王国の宝物・文書を含む多くの文化財が破壊されたという。
第32軍の無線所跡。立てかけてある札で知る。
長さ30㎝ほどの札。
爆撃を受けて崩れたコンクリートの壁。
そして32軍の司令部跡だ。
第32軍司令部跡。
中はしっかりと作ってある。
解説。
5月27日の日本軍南部撤退の際には、歩行不能の重傷兵約5000名が首里城の地下陣地で自決したという。
もちろん、この写真の壕の中でも・・・
合掌。